2023年7月 SS集
小野寺かける
Day.1 傘
以前、祖母からこんな話を聞いた。
祖母が少女だった時分、おつかいで隣町まで出かけた。用事を済ませた帰り道、晴れているのに雨が降る――いわゆる〝狐の嫁入り〟に見舞われて、近くにあった木の下で雨宿りをしたという。
周囲に祖母以外の人影はない。雨粒が草花を濡らす静かな音だけが響き、空の青さを映す水溜まりも美しい。しばらくそれらを堪能していると、ふと道の向こうから赤いなにかが近づいてくるのに気づいた。
新緑に浮かび上がるそれは傘だった。なだらかな坂の向こうから、すうっと滑るようにこちらへ迫ってくる。傘の下から覗く着物は黒く、体格もがっしりしていたため男だろう。「傘があっていいな」と祖母はぼんやり羨んだ。
傘の持ち主は祖母の前を通り過ぎることなく、なぜか隣に並んだ。「お嬢さん」と訊ねる声は低く、それでいてまろやかで聞き心地が良い。
「傘が無くてお困りの様子。しばらく雨は止みそうにありませんし、よろしければ家までお送りしましょうか」
魅力的な提案だったが、祖母は「いいえ」ときっぱり拒否した。
「だって、良い声だわと思って顔を見たら、顔のところがそのまま傘になってたんだもの」
男だと思っていた傘の化け物は、すげなく断られてじゃっかん肩を落としつつ去ったという。その後まもなく雨も止み、祖母は無事に帰宅した。
もし誘いを受けていたらどうなっていたのか。別日にまた狐の嫁入りが起きた時は、近所の娘が行方不明になって帰ってこなかったそうだ。
晴れ間に雨が降ると、いつもその話を思い出す。
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