第30話 エクセル、決心する
結界が破れてしばし後・・・
マリーナが呼びよせた雨雲で、なんとか燃え広がる炎を消し止めることはできたものの、月明かりにぼんやり照らしだされた光景は、予想以上にひどいものだった。
旧教会は、今度こそ完全な廃墟となり、建物と言うより、ほぼ、焼け焦げた黒い骨組みの塊になり果てていた。
マリーナが放った照明術ライトニングの灯で周囲を、足元を、照らだしながら、漂う煙を吸い込まぬよう口元を袖で覆い、エクセルとクレインは慎重に足を踏み入れた。
「アルフォンソ!アル、どこだ?」
「シャル、いるなら返事をしろ!」
呼びかけてみても、何の返事もない。生き物の気配すら感じられない。
黒ずんだ残滓を空に散らす夜風がいやに耳につく。
あたり一面には、落下した屋根の破片、壁や床であったものの残骸が燻ぶる瓦礫となって、散乱していた
タンパク質の焦げる嫌な臭いに、二人が立ち止まって顔を見合わせたその時・・・
ぼこりと瓦礫の一か所が盛り上がったかと思うと、飛び散った。
その中からよろよろと現れた全身泥まみれの人影。
「アルフォンソ!」
駆け寄るエクセルの目には、アルフォンソがホッと安堵の息を吐いたのがわかった。
ぐっしょりと濡れ、泥水を滴らせて立つアルフォンソは、ぐったりとしたシャルを抱え込むようにして抱きしめていた。
「シャル!」
クレインとマリーナも、すぐに駆けつける。
「彼女を、頼む」
エクセルがアルフォンソの腕から意識のない華奢な身体を受け取って抱えなおそうとした。が、すぐに横合いから伸びてきたクレインの骨太い手が娘の身体を奪い取った。マリーナがかがみこんで娘の鼓動を確認し、脈を測る。
「大丈夫。気絶してるだけよ」
マリーナの言葉に安心したのか、アルフォンソが急によろけて片膝をついた。
「アル、お前、怪我したのか?」
その左腕が力なく垂れさがったのに気づいて、エクセルが血相を変えた。
慌てて二の腕を掴むと、ぬるりとした感触がする。アルフォンソが、喉の奥で小さくうめき声を上げた。
「ドジを踏んだ。肩をやられた」
照明ライティングに照らし出された肩口は大きく切り裂かれ、流れ落ちた血が幾重にも腕を伝って地面に滴り落ちていた。
娘の介抱に余念がないベルウエザー夫妻に助けを求めようとしたエクセルを、アルフォンソが首を振って引き留めた。血の気が失せた顔でエクセルにだけに聞こえるよう告げる。
「あれは、あの刃は、姿は変わっていたが、
「
思いがけず、はるか昔なじんだ剣の名を耳にして、エクエルは聞き返した。
「ああ。あれはあの黒く染まった刃だった・・・だからかな・・・どうしても、血が止まらない」
流れ続ける血に、その顔がますます色を失っていく。
アルフォンソは苦痛に顔をゆがめて、エクセルに寄り掛かるようにして何とか身体を支えた。
「アル、しっかりしろ!」
急速に力を失っていくアルフォンソ。
その胸元から、黒いうろこのようなものがぽろぽろと剥がれ落ちた。
* * * * *
本棟の焼け跡から、なんとか探し出した『魔鏡』。
ブーマ王宮へと密かに運び込まれたその魔道具は、枠が焦げ、その中心の鏡にはいくつかひびが入っていたが、なんとか本来の目的に使用することは可能だった。
ずっと定期連絡を待ち受けていたらしい王に、エクセルがアルフォンソに代わり、状況を一通り説明する。
「現場はほぼ全焼しており、どうにか確認できた死体が数体。男か女かも判別しがたい状態です。聖女レダを騙っていた女については、身元も安否も、今のところ確定できてはおりません」
「人質になった令嬢の様子は?」
「リーシャルーダ・ベルウエザー嬢はほぼ無傷と言ってよろしいかと。アルフォンソ殿下が御身を持って庇われましたので」
「で、アルフォンソの意識は未だ戻らぬのだな?」
「申しわけございません」
『魔鏡』に映し出されたアルメニウス一世にエクセルは、畏まって頷いた。
「とりあえずは、一命はとりとめられましたが、予断を許さぬ状態でございます。チャスティス王がブーマ国屈指の治療師を治療に当たらせてくださったおかげで、かろうじて止血には成功しましたが、完全には左肩の刀傷が治癒しないのです。そこから広がる何らかの毒のせいか、昏睡状態から覚められません。殿下自らの癒しの力をもってすれば、傷を治癒させることは可能かもしれませんが」
「アルフォンソが目覚めぬ限り、これ以上、どうしようもないということか?」
「残念ながら」
「このままの状態が続けば、やがては命を落とすやもしれぬと?」
「御意の通りでございます」
王はしばし瞑目して、何事か考えているようだった。その右手が何度か軽く開いたり閉じたりし、ついには白くなるほど握りしめられる。
おかしなものだ。その手の動きを見つめながら、エクセルは思う。
表情は何一つ変わらないのに、その右手のみが、荒れ狂う心情を暴露するなんて。
これも、血のなせる業なのだろうか?『伝説の勇者』の血族であるアルメニウス一世は、かの勇者とよく似た癖を持っている。おそらく誰も気が付いていない癖だ。
「ただちに、こちらからも、医者と治癒師を送る。何か必要なものがあれば、すぐ知らせよ」
内心の葛藤を抑え込んだ声に、エクセルはもはや黙っていることはできなかった。
「陛下、殿下は、意識を失われる寸前におっしゃいました。殿下を傷つけた刃は、
「
今度は、王の声には明らかに動揺が感じられた。
「あれは、王城の秘密の間で厳重に保管してあるはず」
「しかし、殿下が見間違うとは思えません。それに、殿下の傷がまこと、あの刃によるものだとすれば・・・治癒能力に長ける殿下が、極めて危険な状態に陥っている現状も、納得できるのです」
エクセルは知っている。
『銀の聖女』が、その命を絶つのに使用した剣でもあるのだと。
「誰かが持ち去ったのか、それとも業火に焼き尽くされたのか。殿下を傷つけた凶器そのものは、現場から見つかってはおりません。しかし、もし殿下の言葉通り、あの剣が使われたとすれば、おのずと関係者は絞られます」
剣の存在を知り、なおかつ厳重に封じられていた剣の保管場所まで把握しうる者は極めて限られている。そして、その中でアルフォンソに強い殺意を持っているのは・・・
「まさか、今回の事件に、王妃が関係していると?」
王の言葉に、エクセルは肯首し、皮肉たっぷりに言った。
「今回も、です。陛下は、ご存じのはずです。妃殿下が、アルフォンソ皇子を亡き者にしたがっているのを。妃殿下は、殿下を疎むだけでなく、心底憎んでおられる。そのご誕生の折から、何度も殺害を企てるほどに」
黙した王に、エクセルは、ほんの少し口調を和らげて続けた。
「だからこそ、殿下を遠方の母方の親族に預け、最強の戦士に育て上げさせた。彼を守るために、成人後すぐに、選び抜いた騎士たちで構成した騎士団のトップに据えた。あなたは、王妃の手から、愛する息子を守りたかった。違いますか?」
考えればわかることだ。なぜ、わざわざ、アルフォンソに王族にとってさえ極めて希少な魔道具『魔鏡』を持たせたか。なぜ、皇子自らに、それを通して王自身に直接、定期報告をするよう命じたか。
ただ息子が心配だったからだ。その無事な姿を自分の目で確認したかったからだ。
それに、王は『伝承の書』により当然知っているはず。王家の血脈に生まれる黒目黒髪の御子の定めを。王家に伝わる伝承が真ならば、皇子が生まれ持つ『黒の救い手』としての宿命、魔との戦いは止められないと。
生まれたときから内なる敵に狙われ、長じては魔と戦い続ける宿命の子。だからこその苦渋の決断。
王は肯定も否定もしなかった。ただ、鋭い視線を、笑みのようなものを顔に張り付かせたエクセルに向けた。
「アルは、アルフォンソ皇子は、叔母上に、フォスティーヌ様に生き写しですからね。王としてではなく、陛下個人が欲した唯一の人に。彼女は、王という役目でがんじがらめの陛下が唯一叶えた私欲だった」
「エクセル・カッツェル、お前は自分が何を言っているのか、わかっているのか?この私に向かって?」
「わかっているつもりです。誰よりもよく」
この生真面目な男は、勇者と呼ばれたあの愚か者に、本当によく似ている。国を、民を守るため、自分の欲も願いも犠牲にして、王としての義務しか知らない名君。
けど、まあ、あの男よりは、ましと言えばましかもしれない。
この男は、自らの立場を無視して、自らの願望を一つは叶えることができたのだから。短い時間とはいえ、愛する者を手中にできたのだから。
世界を救った『金の勇者』。
正義を振りかざしたあの男は、結局、一番守りたかった存在を救えなかった。
自分を敬う臣下に友を殺され、最愛の人にその命を奪われた、救いようもない、哀れな男。
王は、ふっと目をそらして、ため息を吐いた。
「剣のことは、こちらで、しかと調べよう。この件については、王妃とその関係者にも、しかるべき調べを行う。我が名にかけて誓う。だから、どうか、アルフォンソを、息子を」
助けてほしいと、王は声には出さずに呟いた。
* * * * *
『魔鏡』を通じて王との会見を終えるとすぐに、エクセルは王宮の一室、アルフォンソが手厚い看護を受けている場所へ足早に向かった。
アルフォンソの傷が完治しない原因が、意識が戻らない理由が、あの刃の特性にあるのなら、望みはあるかもしれない。
自分にはあの頃のような魔力はない。けれど、それでも・・・
試してみる価値はある。勝算は決して高くはないが。
手遅れになる前に。ようやく見つけた『彼女』のためにも。
エクセルは何としてでもアルフォンソを救う決意を固めていた。
今生に残された自分の全ての力を使ってでも。
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