第3話 王都へ ~それぞれの思惑~

「本気か?明日、プーマ王国へ発つっていうのは?」


 扉を閉め、二人きりになるやいなや、皇国第二騎士団~通称『黒騎士団』あるいは『黒の皇子親衛隊』~の副団長エクセル・カッツエルは、第二騎士団団長にして、主君であり、母方の従弟であり、幼馴染でもある男に、遠慮なく問いかけた。


「いくら何でも早すぎないか。皇帝陛下の言に従って、もう少し、英気を養ってから出かけるべきじゃないか?ダンジョン攻略から戻って、まだ1週間だ。俺やお前はともかく、騎士団の中には、疲労困憊してる奴も少なくないぞ」


「全員で行く必要はない。選定は任せる」


「おいおい、俺に適当に選べって?」


「もう1週間は休んだ。これ以上ここにいると、無駄に大量の令嬢の肖像画を見せられる。凱旋祝いの宴も、もううんざりだ」


「俺は、陛下の気持ちがわからなくもないな。お前ももうすぐ21歳だ。そろそろ婚約者くらい決めたいだろうよ」


 他人事のようにエクセルが言う。ちなみに、5つ上の彼も、もちろん独身だ。


「父上が何と言われようと、妻を娶るつもりはない。お前にもわかってるだろう?」


 皇国第二皇子アルフォンソ・エイゼル・ゾーン。金髪碧眼の皇族には稀有な漆黒の髪と瞳の持ち主。巷では伝説の聖なる黒竜の化身とも称えられる皇子は、その端正な顔に何の表情も浮かべずに淡々と言う。


「皇国内の対象範囲は探し尽くした。マルノザ帝国とユーフェ連合国も、だ。この先、今赴ける範囲で、残った国はプーマ王国だけだ」


「そりゃそうだが。少しは、皇帝陛下の、父君の気持ちも考えろ。純粋に親としてお前の身を案じておられるんだ」


「親として?まあ、父上は、そうかもしれないな」


 アルフォンソは、言葉とは裏腹に、疑わしそうに言った。


 それから、胸元に下げているペンダントにそっと触れて何やら考え込む。


 その金色の鎖の先についているのは、親指ほどの黒い石だ。確かめるようにその石を固く握りしめて、アルフォンソは重い口を開いた。


「正直に言うよ。もうあまり時間がない。そんな気がするんだ」


 エクセルから、そのお気楽な陽気さが抜け落ちた。


「アル、今生は・・・」


 アルフォンソの目を見て、言いかけた言葉を飲み込む。視線を逸らし、改めて問いかける。


「ブーマには、伝えたのか?」


「国王にはすでに訪問の旨、伝えてある。こちらの要望も。『宴』は開いてくれるそうだ」


「ブーマでも見つからなかったら?次は『魔の森』ってことになるのか?」


 皇国に接する諸国群の中で、比較的新興の国ブーマ。その東側に広がるのは、『魔の森』と呼ばれる、広大な魔物の住処だ。


「そのつもりだ」


「『魔の森』に住むものは、人間とは限らないぞ?それでも?」


「ああ。可能性がないわけじゃない」


 再び、二人の視線が重なり、沈黙が落ちる。


 先に目をそらしたのは、エクセルの方だった。


「準備が整うまでは待ってくれ。そうだな、あと2日は。皇帝が頷かざるをえないほどの準備を整えてやるさ」


 皇国一の、剣の腕と令嬢間好感度を自称するエクセルは、いつもの気の置けない幼馴染然とした口調で言った。


「毎回無理言ってすまない。お前には申し訳なく思ってる」


 あくまでも平坦な第二王子の声。その中に確かな謝罪の響きを聞き取れるのは、おそらく付き合いが異常に長い自分だけだろう。


 そんなことに、少し優越感を覚えてしまう自分に、エクセルは、かすかに苦笑した。


「俺のことは気にするな。好きでやってるんだ、ある意味。お前といると退屈しないよ」


 今度こそ約束を守るから。


 エクセルは声に出さずに、そう呟くと、皇子の肩を軽くたたいた。



*  *  *  *  *



 『伝説の勇者』の一行がこの大陸から魔王を滅して、早1000年。魔王の恐怖から解放された人々は、時には反目し、時には協力しながら、いくつかの国を築き上げた。


 大陸のほぼ中央に位置するローザニアン皇国は、その最たるもの。勇者の甥を始祖とする由緒正しき最古の大国だ。


 ローザニアン・ゾーン王家には、誰が記したのかも定かではない三つの伝承の書が秘蔵されている。


 一つは、『大いなる勇者の伝説』として、この大陸に知れ渡っている、神に選ばれし勇者一行と魔王との戦いを著したもの。金の勇者マリシアス、銀の聖女リーシャルーダとその守護者黒竜ゾーン、青の大魔導士フェイの活躍を描いたその話は、王族の許可の下、閲覧することも可能だ。国教でもある『大いなる恩赦の書教会』の教義の礎となった伝承の書でもある。


 そして一つは、異色の書。王家の中でもごく限られた者のみが閲覧できる書。そこに記されているのは、伝説のその後の物語。繰り返される疫災と救い主の物語。


 瘴気が溢れ、魔物の力が異様に増すその時期、王家に連なる血族に、必ず、黒髪に黒い目の子が生まれる。その手に闇色の輝石を握って。


 人ならぬ才を持つその御子は、長じて原初の魔の残り香を封じ、世界は再び平安を取り戻す。その後、世を平らげた黒き救い手は、穢れた地上を離れ神の御許へ戻るのだ。


 原初の魔を封じ、世界を救った、かの『偉大なる伝説の勇者と銀の聖女』と同様に。


 そして、残る一つは、決して明かされることのない、隠匿された、もう一つの『伝承の書』。そこに記されているのは、伝説の望ましくない


「其方には、わかるはず。こんなこと、決してあってはならないと」


 熱に浮かされた瞳が、狂気を帯びて、熱く囁く。


「あれは、存在すべきではない存在。この世の秩序を乱すために生まれてきた者」


 そうだ。この、『伝承の書』に記されたことは、狂人のたわ言だ。決して認めてはならない。全てが捏造。そうでなければ、ならないのだ。


「其方なら、あの悪魔から、世界を救える。いえ、其方は、そうすべき立場にある」


 女の瞳に燃え盛るのは、嫉妬それとも羨望?あるいは、母性なのだろうか?


 どちらにしても・・・


「安心するがよい。この書が世に出ることはない。なに、簡単なこと。其方にはその力がある」


 だから此度の好機を活かせ、と女は美しくも毒々しい笑みを浮かべた。



*  *  *  *  *



「うわぁ、すっごい。人がいっぱい!」


 城壁を抜けるや否や、サミュエルが馬車の窓から身を乗り出して感嘆の声を上げた。


「ほら、見て。あんな大きな建物。初めて見たよ。王都ってすごいね。そう思わない、姉上?」


「なんか賑やかなところね。いろいろな匂いもする」


 向かいの席で、普段より少ししゃれた装いをしたシャルは、ハンカチで鼻と口を覆っている。


 人並み外れた聴覚と臭覚を持つシャルは、もともと人混みが得意ではない。王都のそれは、良くも悪くも刺激的過ぎる。


 めったにできない親子そろっての馬車の旅は、それなりに楽しくはあったけど。


「姉上、なんか元気ないけど大丈夫?ここんとこ、まあ、その、いつもの食欲もないみたいだし」


 心配そうにサミュエルはシャルの顔を覗き込んだ。


「なんか、よく眠れなくて。冬なのに、変に暑いから体調狂ったのかも。馬車にこんなに長く乗るのも初めてだし」


「本当に大丈夫?明日の晩には、王様主催の、皇国使節団の歓迎会、とやらなんだよね。姉さま、社交界初デビューだよ?」


 本当に大したことないから、とシャルは笑ってみせた。それから真顔で尋ねる。


「やっぱり、これってデビューになると思う?母上は貴族令嬢として遅いくらいだって言うけど。今回のって、強制参加じゃない?気が重いな。クリス兄さまにも申し訳ないし」


 クリス・バイロンは、母マリーナの年の離れた腹違いの弟だ。小さい頃は屋敷で一緒に暮らしていたので、よく遊んでくれたものだ。年も近いので、姉弟は、彼をクリス兄さんと呼んでいる。


 昨年、クリスは王立騎士団に入団し、現在、ここ王都に居を構えているのだ。


「クリスは、喜んで引き受けてくれたぞ。キレイどころと知り合いになるチャンスだからな」


 上機嫌でクレインが言う。


「久々に会えるのを楽しみにしている。王都の案内をしてくれるって。あの子、嬉しそうに言ってたじゃない」


と、マリーナ。


 出発が決まってすぐに、得意の風魔法を使った《遠話》で弟に連絡済みだ。


「そりゃ、クリス兄さんに会えるのは楽しみだけど」


「ここで、久しぶりに、王様に会えるってのも、わくわくするよね?」


 と、クリスは待ちきれない様子だ。


「そうね。舞踏会さえなければ、かなり楽しめそうなんだけど」とシャルも同意する。


 ローザニアン皇国のアルフォンソ第二皇子。通称笑わない『黒の皇子』。


 噂だけならシャルだって知っている。小国の辺境領にだって、その名と功績を知らない者はいない。


 夜そのもののような漆黒の髪と瞳。冷たく冴えた、類まれなる美貌。その剣は恐ろしいオーガでさえ一太刀で屠り、その英知はすでに帝都の学者を凌ぐとか。


 ま、所詮、噂だから、真偽のほどは当てにはならないが。


 なにせ、由緒ある大国の王子様だ。多少、誇張があっても全然おかしくない。


 第二皇子は、16の誕生日を迎えて以降、友好のためと称して、その直属部隊とともに、視察団として周辺の国々をせっせと来訪しているらしい。ついでに、道々、盗賊や海賊の類や厄介な魔物を討伐しつつ。


 仮にも大国の第二王位継承者が、だ。ご苦労なことである。


 その武勇伝以外に、皇子の名を高めている奇行がもう一つ。


 行く先々で、王族や貴族の子女、更には平民とも交流を持つのが、どうやら皇子の趣味らしい。それも、「青の月の最後の日に生まれた者」限定で。


 皇家のお抱え占い師の予言に従って、未来の花嫁、運命の相手を探しているのだという噂が、巷ではもっともらしく囁かれている。


 男女問わずに、ってのが、ちょっと腑に落ちないけど。優秀な側近の選別も兼ねているってことかしら?それとも、まさか、第二皇子だから、伴侶は必ずしも異性でなくてもいいとか?


 それなのに、どんな素敵なご令嬢に言い寄られても、泰然自若、ニコリともしないって言うのも有名なのよね。


 シェルは、侍女やメイド達から聞いた話を心の中で反芻する。


 エルサなんか、『お嬢様、そこがクールでたまらないのでは?運命の人を探して彷徨う孤高の皇子。ロマンチックじゃありませんか』なんて言ってたっけ。


 ちなみに、シャルの専属侍女のエルサは、現在、ロイヤルロマンス小説にハマっている。


 いくら大国の皇子だとしても、常識的に考えて、いきなり他所からやってきて国を挙げて歓迎しろ、条件付きの宴を開けとは、はた迷惑な男ではないだろうか?


「あ、母上、あれ、あの建物。あれが『青の塔』?」


「ええ、そうよ」


 サミュエルが指さす先、山の中腹あたりには、青く輝く巨大な尖塔がそびえ立っている。


 魔術師育成総合学院。俗に言う『青の塔』だ。


 『大いなる伝説の勇者の一行』の一人、大魔導士フェイが創設した魔術の学び舎が元だと言われる魔術学校。この大陸上のすべての国の首都に、その分校が存在する。ちなみに、大もとになる本校は、ローザニアン皇国の帝都にある。


 ある程度の魔力を持つ貴族の子女は、必ずここで2年間以上、魔法について学ぶことが暗黙の了解となっている。


 サミュエルも、2年後には、入学する予定だ。大した魔力のないシャルと違って。


 マリーナが、青く輝く尖塔を懐かしそうに見つめた。


「思い出すわ。あの窓から夜中に、友達と抜け出して、下町をうろついたり、森の中でキャンプしたりしたこと。盗賊団を一網打尽にしたこともあったわね」


「覚えてるか?あの盗賊団のアジト。君は素晴らしく強くて、きれいで。俺は君に一目ぼれだった」


 クレインまでが遠い目で呟いた。


「まあ。いやだ、あなたったら。子供たちの前で。盗賊たちを殴り倒したあなたも、それなりに素敵だったわよ」


 久々の上京で、両親はかなりリラックスモードのようだ。仲良く昔話に花を咲かせだす。


 ロマンチックなのかそうじゃないのか判断に苦しむ二人の思い出話を聞き流しながら、シャルは何とはなしに、晴れ渡った空を眺めていた。


「?」


 青く澄んだ空に、ぽつんと現れた黒い点々。


 何だろうと見つめているうちにぐんぐんと大きくなっていく。


 蝙蝠の群れ?こんな昼間から?


 徐々に見えてくるおぞましい姿、あれは・・・


 ほぼ同時に異変に気付いたサミュエルが叫んだ。


「父上、母上、ガーゴイルが!」


 突如現れた悍ましい魔物、ガーゴイルの群れは、間違いなく、ここ王都を目指していた。

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