#17 「魔法少女を認めない」
「……紗さん、この名前はあなたが書いたもの、ですか?」
バイト終わり。
ロッカールームのドアを開けて早々、衿華はホワイトボード脇に座っていた紗に詰め寄った。
隣に並ぶのはびっしりと書き込まれた紗の名前。
昨日、帰る前に問題となったものだった。
それでも、紗はたった一瞥くれてやるだけでフンと鼻を鳴らすと、澄ました表情のまま言い放った。
「......そこに書いてある通りですわ。最初から最後まで今日はわたくし──ヴィエルジュシアンがステージに立ち続けるということです」
紗がホワイトボードに大量の名前を残していってから一日。
もしかしたら彼女を陥れようとした他の”魔法少女”が書いたものかもしれない、だとか。
その場に紗がいなかった上、杏が弁護をしたのも相まって昨日は一旦お開きとなった。
とはいえ、多分それは表面上の理由でしかないもので。
本人が出来心でやってしまったことを認め、消すのを待つために猶予を与えたと言っても差し支えなかったのだ──と、血相を変えた衿華、そして、その側に付き添っていた杏の横顔が余計青ざめたのを前に、遥は知った。
無理もない。まさか紗がこんなに堂々とした態度を取るだなんて、誰も思っていなかったのだ。
「……そう、なの。でも......だったら、認められるわけないよ。ゼッタイ、体力とか足りるワケないし……。紗ちゃんだってそこそこ長く"魔法少女"してるんだからわかるでしょ......?」
伏せられた瞳が、ちらちらと彷徨う。
その視線は最初に遥を捉え、躊躇うように一度瞬き、紗と一瞬だけかち合って逸らされた。
いつも通りにしようとしているのか、杏の口元に僅かな笑顔が湛えられる。
けれど、それはいつものはつらつ可愛いものとは真逆で、むしろ上辺だけ何とか誤魔化すように、必死に絞り出されたもの──遥の目にはそう映った。
「……わかっています。それでも──何だってやるのはあちらだって同じでしょう──ッ!?」
諭そうとする杏を遮って、紗は真っ直ぐに指した。
「……理解、しかねます」
──衿華を。
実際に口にした言葉と同じく、衿華の声には僅かな動揺が滲んでいるように思えた。
彼女にしては珍しい、歯切れの悪い答え。
「あなたはそもそも、何に対してその怒りをぶつけているのですか?」
「手段を選ばずに票を稼ごうとすること──”魔法少女”らしくないあなたの姿勢に、ですわ」
「……”手段を選ばずに”? 別に寸劇をするなとは、ルールでは定められていませんが。実際、マキさんにだって……」
「わたくしもです。ステージを独占するなとは、ルールでは定められていませんわ」
衿華と遥はあくまでも人に迷惑をかけずにやっただけで。寸劇は他の”魔法少女”がパフォーマンスに付け加えていなかっただけのもの。
それに反して紗は明らかに周囲の人間に迷惑をかけている上、ぶっ続けでステージに立つだなんて、不可能に決まっている。紗の言い分は無茶苦茶だ。
「……どうして? 紗ちゃんだって、わかってるんでしょ? 周りの人に迷惑をかけていること。自分の言ってることが無茶だってこと……っ!」
言っては返す。のらりくらりと、無理やり肯定しようとする。
紗が練った屁理屈に、杏が反論しようとした時。
「……あなたまで、肩入れするのですか。お姉様」
どこか突き放すように紗は言い切った。お姉様、と。
紗は杏を慕っていて、杏はそんな”可愛い後輩”である紗を手助けしている。
少なくとも、先輩後輩としての彼女たちの関係を見てきた遥にとって、それはあまりにも冷め冷めとした言い方に思えた。
確かに杏は紗の先輩だ。しかし、だからといって何もかも紗の言うことに頷いて、手伝って、彼女の側に立ち続けている必要もない。
むしろ、先輩だからこそ、紗を叱責しようとしているのだろう。
『手がかかるのかもしれないけど——真っ向から否定することはできないの』
紗と衿華が初めて揉めた後、杏はそう言ってまで何とか後輩である遥には微笑んで見せてくれたし、アドバイスまでしてくれた。
確かに、ダル絡みしてくるかもしれないし、抜けてるかもしれないし、面倒臭いところだってある。
それでも、杏は遥にとって立派な先輩なのだ。
そんな彼女に対して暴論を突きつけ、更には衿華とやった寸劇にまでケチを付けられた。
遥にとっても寸劇は衿華と一緒に何日もかけ、議論して、悩んだ末にやっと辿り着いたものだ。
ここまで言われて、腹が立たないわけがなかった。
「そもそも、紗さんは──」
紗に向けた罵り文句を遥が口にしようとした時、それは遮られた。
「──あなたの言ってること、おかしいよっ!」
真っ向からはっきりと、紗を。杏は否定した。
目尻に涙を溜めたまま、言い切った後にはっとしたかのように杏の瞳が見開かれる。
そこに映った紗が潤んで、揺れた。
「っ」
短い息切れ音。
紗が漏らしたそれを境に言葉の応酬は止んだ。
ただ、杏と同じく見開かれた瞳。
それが互いにかち合って。自分から決別するように、紗は目線を逸らす。
「……どこに、行くつもりですか」
呆けた杏を放ったまま、紗はドアの方へと歩き出す。
重苦しい空気の中、そんな彼女を衿華が引き止めた。
「……ここから、この店から出ていく、だけで」
「出ていったとして。いつ、戻ってくるのですか」
止まった紗の足。
カツン、と。履いていたヒールの音だけが虚しく部屋に響いた。
「……ちょっと。何の騒ぎよ、あなた達──って、紗さんに……杏……?」
そうして出来上がった静寂。そこに踏み込んできたのはマキだった。
ぐるりと部屋を見渡して、紗を。それから杏を捉えると、彼女はフリーズした。
杏が涙を滲ませていたから。そんな顔、マキとて見たことは無かったのだろう。
「……一旦、紗さんはついてきて。それから──杏。後で事情を教えてもらえる?」
マキに連れられて、紗が部屋を出ていくその間際。
あまりにも理不尽すぎた物言いに、遥が彼女を睨みつけようとした時、その表情に気が付いた。
また、奇妙なことに。僅かにくしゃり、と。
何かを堰き止めようとしているかのように、それは歪んでいた。
◇ ◇ ◇
「──以上が、事の顛末です」
「……なるほど、ね。補足ありがとう、衿華さん」
机の上に並んだ四つのコーヒーカップには、誰も手を付けていないまま。
マキは話を聞き終えると触れていた取っ手から手を離し、口を開いた。
「……紗さんには今は表の方でコーヒー飲んで落ち着いてもらってるわ。もう店じまいした後だし。杏、そもそも今日のバイト中は変わった様子、無かったのよね?」
「……無かった。あたしが覚えている範囲じゃ、無かったんです。だから、安心してました。もしかしたら昨日書いたのも紗ちゃんじゃなかったのかなって。冤罪だったんじゃないかって、そう思ってて……」
だからこそ、心底驚いていたのだろう。
バイト中はいつも通りだったのに、急転直下、終わってみればさっきの騒動。
俯いたまま答える杏に、マキが質問を続ける。
「……でも、違かったんでしょ? 書いたのは紗さんだったし、その上彼女は衿華さんたちまで罵った」
「……はい」
ロッカールームの外、今は閉じているドアの方へ視線を向けると、マキは深くため息を吐いた。
「……紗ちゃんは辞めたいって言ってる。ここには居場所がないって。むしろ、迷惑をかけたって。謝ってもいたわ」
「……そん、なの」
ぽつりと力なく杏が呟く。
それは僅かに苦々しげな響きを持っていて。だけれど、言葉にならないまま、すぐに掠れて消えた。
「ええ。これぐらいのことで解雇することもないけど、裏を返せば引き止める理由もこちらにはないの。本人の意思を尊重するのが基本方針だから。それでも、ね」
マキの口元が僅かに綻ぶ。
今まではあまり見せたことのないような、優しげな微笑。
それが、俯いたままでいる杏に向けられた。
「杏が引き止めるって言うのなら、それも尊重する。止めないわ。先輩であるあなたの言うことなら、紗ちゃんだって……」
「……あたし、本当に先輩、できてましたか……?」
疑問形で、杏は溢した。
そもそも先輩として扱われていた事自体が不思議だと。そういう含みがあるような言い方。
「……逆に、どうして杏はそう思うの?」
「紗ちゃん、あんまりあたしに頼ってくれなくて……ユニットのこととか、持ち出したのあたしの方だし……この間の衿華ちゃんとの喧嘩の仲裁もできなかったし、あた、し……さっき、ひどいこと、言っちゃって......」
「あのね」
コーヒーを一口含むと、マキは口を開く。
「長い事先輩をやってるんだから気づきなさいな。そもそもとして、解決できない問題もあるんだから。紗さんと衿華さんとの喧嘩もそういう問題でしょう? あと、そういう時は実際に後輩の意見を聞いてみること、ね」
マキのウィンク。
それは、杏の後輩──遥の方を向いていた。
「……この間も言いましたけど、杏先輩は立派ですっ。それに──」
紗との喧嘩の仲裁に全く関われなかった日。
最後の最後で杏からもらったアドバイスが遥の脳裏をよぎる。
「躊躇った時に蹴り飛ばしてでも進むため──自信を持っておくんじゃなかったんですか……っ!?」
衿華の先輩として、教育係として。
先輩と呼ばれるのは未だこそばゆいけれど、遥自身、少しずつは慣れ始めていて。
それでも、きっかけはそれだけじゃなかった。
喧嘩の仲裁にすら全く関われなかった自分と、何とかその場を諌めた杏。
はっきり言って、その時遥は落ち込んでいた。
同じ教育係としてやっていても、こんなに差があるのかと思い知らされたような気がしたから。
だけれど、杏はその差を埋めるようにかがんで、優しい言葉で
先輩としてやっていけるように、と。遥の背中を押してくれたのだ。
「先輩は凄いですっ! すっごい可愛くて、ギャラリーみんな釘付けで──勝てないなってぐらい強い、僕にとっての”憧れ”で。間違いなく、紗さんだって杏先輩のこと、尊敬してたと思うんです。だから──お姉様、って」
「……そっか」
ぽつりと漏れた杏の声は、先程よりもずっとはっきりと音になった。
力なく、というよりもむしろ、何かに合点がいったかのような。
「お姉様を尊敬している──釘付け──居場所がない──。ううん、一方的だ。それじゃ……紗ちゃんにとって、あたしは……頼れる先輩、じゃなかった……?」
突如として、杏はその場で立ち上がった。
「……今回の件、あたしのせいかもしれません。薄々だけど……わかった気がします」
「何か腑に落ちたのね。それじゃあ、行くの? 杏」
「──はい。”魔法少女”として、このままお別れなんて嫌ですからっ」
未だ顔色は悪い。
それでも、はっきりと答えて、僅かに彼女は表情を緩めて見せた。
普段の”魔法少女”としての笑顔とも、異様なまでのハイテンションにへばり付いた笑みとも違う、杏の
ただ、一人の女の子らしい自然な笑顔が、遥に向けられる。
「上辺だけでも精一杯自信、覚えててくれたんだ。ありがとね」
「忘れるわけないです。僕、あの時の杏先輩に助けられましたから」
「じゃあ、紗ちゃんにも手を差し伸べなきゃ、だね。先輩として、あたしが頑張ってみせるから。安心して待ってて、二人共」
遥、そして衿華。二人の後輩に笑いかけると、何かを抱くように、そっと自分の胸を撫ぜて。杏は真正面を向いた。
ロッカールームの出口、ドアの向こうには紗がいる。
一度も振り向くことなく。ただ一人、杏はそのドアノブに手をかけた。
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