#12 「魔法少女は変わらない」
──らしいわたしが、落ち着く。
窓越しに慣れない景色を見ては、首を引っ込める。
一軒家からマンションへ、田舎から都心部へ。
まだ小学生にもならない少女が受け止める分には、大きすぎる変化だった。
騒音は酷いし、ベランダは小さな足でも十数歩で終わってしまうぐらいに狭い。
公園へ行くにも一人では遠すぎて、目に見えて両親は忙しくなった。
”変わる”、というのはあまり良いものではないらしい。
そんな意識が少女の中で芽生えるまでに、そう長い時間はかからなかった。
──”変わる”のは、怖い。
周囲が”変わった”ことを意識したくないから。だから、家に閉じこもる。
「お外、出たくないの?」
母親が口にすることには首を振った。
溜め込んだ絵本はどれも読んだことがあるものばかりで。
閉じた、自分だけの世界にいるうちは、少女は変わることなしに日々を送れた。
時折の外出には仮病を使い、出かけてもなるべくすぐに帰るよう親に説得して──当然、友人もできず。
だけれど、そうしている間は他のものに染まらず、変化を知ることもない。
確かに”変わらない”ままでいられた。
そんな日々の中、なんてことない週末の朝。
ふとした瞬間に親が付けたテレビ。
一目惚れだった。
跋扈する怪物、それを打ち倒す”魔法少女”。
走り、跳び──例え狭い画面の中だったとしても、それを打ち破ってしまうぐらいに。
縦横無尽に動き回るその姿に、一瞬で惹かれた。
「アレ──”好き”っ!」
それが少女にとって変化を望むきっかけだったことには違いない。
それでも、きっかけの内のたった一つに過ぎない。
もう少し経ったのち、彼が訪ねてきた日。
忘れもしないその出会いが、少女を塗り替えてしまった。
◆ ◆ ◆
「──起きてっ! 遥っ!」
目の前で、透羽が仁王立ちしている。
起きて数瞬、自身がどういった状況に置かれているのか──遥には理解が追いつかなかった。
一瞬生徒会室か、とも思ったけれど、透羽の背後には見慣れた勉強机と本棚。極めつけに遥が寝ていたのはしっかりと自分のベッドだった。
混乱しているからこそ、それを解決しようと素早く思考が巡っていく。
ぱちぱちと、瞬きを二度。それだけで十分だった。
「なんで──僕の部屋に透羽がいるんだよっ!?」
「なんでって……遥が遅いからじゃない。集合時間、三十分過ぎてるよ?」
釣られるようにして目覚まし時計を見やると、十時半。
集合時間だった十時を大幅に過ぎている。
「……ごめん、起きられなかった、みたいで」
「言い訳は結構、そもそも起こしたのわたしだし。でも、気持ちよさそうだったよ? 昨日、疲れてたもんね?」
ウトつきながら待っていた定例会、何度も聞かれた顔色。心当たりはたくさんあった。
確かに、寝不足だったことは確かだ。
ただ、それはそれとして。透羽に寝顔を見られた。
熱が溜まっていく頬を誤魔化すように、遥は苦笑する。
「まあ、良く寝れたかどうかはともかく時間、押してるから。早く着替えて出かけるよっ!」
仁王立ち+腕組み。
完璧な体勢で透羽は宣言する。
もちろん、寝坊した自分の落ち度は大きい。
すぐに出かけたいのは山々だったけれど、一つ問題は残っていて──。
「……透羽がいたら着替えられないって。悪いけど、一旦外出ててよ」
堂々とした態度はどこへやら、顔は朱に染まり。
「っ、そ、そうじゃんっ! ごめん、すぐ出てくっ!」
しどろもどろとしたまま口にして。足をもつれさせながらも透羽は部屋を出ていった。
「……変わらないのはどっちだよ」
部屋にまで来るのも、どこかまだ互いの年齢と距離感を昔のまま測ってしまうところも。
幼馴染としての透羽の面影はまだ残っている。
それでも──彼女は確実に変わってきている。
それも、急速に。生徒会役員への立候補やら、もっと近いところでは衿華と相対した昨日の演説とか。
近頃は尚更忙しない。
遥の中で面影がまだ残っている、とはいえども薄れてきているのは確かだった。
その点、遥自身はどうだっただろうか。
姿見の前で自分の姿を見返す。
顔つきは幼い時からあまり変わっていない。まだ、あどけなさが残っているままだ。
ボタンを外そうとして触れた首元には喉仏が目立たず。
パジャマを下ろし顕になった体つきは高校生になってもがっしりとはせず、未だ華奢なままだった。
もしかしたら、透羽の言う通り──自分はあまり変わらないまま、なのかもしれない。
薄くへばりついていた意識が、少しだけ輪郭をはっきりと映す。
それを振り払うために、多少強引に遥はシャツに袖を通した。思いの外、すんなりと行く。
一年程前に買った普段着は、未だダボついたままだった。
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「……間に合って、よかった」
『”演劇”を観たい』。
てっきり、そういった演劇をやっているような──随分と遠くにでも連れて行かれるのかと思っていたけれど。
遥が今座っているのは映画館の、こじんまりとしたスクリーンのシート。
何度も来たことがある場所だ。
まだ整わない荒い吐息混じりに透羽はそう呟いた。
「……ごめん」
自分が寝坊したせいで、ここに来るまででこんなに息を切らす羽目になったのだ。
素直に遥は謝った。
「疲れてたんでしょ? それに、誘ったのはわたしだし。間に合ってるからもう気にしなくていいよ」
口元に指を当てると、透羽は悪戯っぽく微笑んだ。
「──”上映中はお静かに”。遥にも、楽しんでほしいな」
ちら、と。
その瞳がスクリーンに向けられる一瞬。湛えられた光に気がつく。
決してスクリーンの照り返しを受けていたから、とかそんな無粋なものではなく。
綻んだ表情、緩む口元。瞳にだけだと思っていたけれど、そんなことはない。
透羽の表情すべてに喜色が湛えられていた。
これから観るものは昔上映していた映画のリバイバルらしい。
そして、これが大好きなのだと、透羽は何度も口にしていた。
──覚えがある。
ずっと昔、映画館。隣に彼女がいたのは今日と同じで。
たった今見たものに劣らないぐらいの表情を、きっと浮かべていたのだ。
透羽ではなく──きっと、遥自身が。
暗転したスクリーン。
ぱっとかき消える視界。
笑顔も、回想も、ひとまずは過去だって。
一度全部リセットされて、そうして──物語が始まる。
◆ ◆ ◆
”変わる”ためにもがく、一人の少女。
それは、彼女の物語だった。
貧しくもなく、裕福でもなく。顔も普通で。かと言って、際立った才能もなく、能力だって人並み。
そんな少女が”演劇”に魅せられて、女優を目指して苦闘する。
プライドの高い劇団長との対立、同じく”演劇”に魅せられて足繁く劇場に通うも決意が固まらない少年、自信を喪失して項垂れていた天才と持て囃された同期。
”好き”を武器にしてそれを伝播させ、照明から脚本家、裏方に至るまで。
一人余さず、接した人間すべてを彼女は変えていく。
ラストで舞台に立つ彼女の姿は、メイクと照明によって自分を彩り、無かった才能を努力で補い、自信に満ちたものだった。
”変わる”ことができれば、その末には、こんなにも輝かしい結末が待っているのだ。
エンドロール、流れ出す華やかな曲。
昔、その場に放り出された時は素直にそのメッセージを受け取っていた。だけれど──。
「──そう、だったっけ」
そこに、”変わりたい”と願った彼女の面影は残っていたのだろうか。
◆ ◆ ◆
「……昨日のさ、わたし。らしく、なかったよね?」
「どうしたんだよ、急に」
映画館を出て真っ先に透羽が口にしたのは、そんな言葉だった。
あんなに大好きだと言っていた映画を観に行って。だというのに、透羽は随分と殊勝な表情をしていた。
遥自身、敢えて触れていなかったけれど、今更になって昨日、衿華を前にした大立ち回りを思い出したのだろうか。
「……別に、良いんじゃないかな。透羽らしさとか、僕はあまり考えたこと、無かったし」
丸くなった瞳が、遥を捉える。
予想していたよりも大げさな反応に、遥は苦笑した。
「むしろ、凄かったと思う。あんな大勢の前で自分のやりたいこと、はっきり言えて。怖がらないの、凄かった」
「……そっか」
俯きがちに、押し出すように透羽は呟いた。
だけれど、誤魔化すように首を横に振って。
「いつも、そう言ってくれるの。……やっぱり、遥は変わらないね?」
何か反論する間もなく大きく伸びをすると、数歩、彼女は先を行く。
表情を気取ることすらできず、言葉も交わせず。
その先で、透羽は振り向く。
「ごめんね? なんか、湿っぽいコト話して……あっ! アレ、まだやってたんだ!」
そこにはもう、笑顔が浮かんでいた。
彼女が指さしていた先にあったのは、一枚のポスター。
『劇場版キラピュア』
未だに根強い人気のある”魔法少女”シリーズ、その最新作。
「わたし達、昔観に行ったよねっ!」
小学生になって幾ばくかの時。
姉に連れられて、遥は透羽と一緒に観に行った覚えがある。
忘れもしない。ぐっと広がった大スクリーン。
今まで狭い世界で戦っていた彼女たちが所狭しと自分の前を駆け巡る姿にどれほど感動したか。
きっと、語り出したら止まらないだろうと遥は思う。
──それでも。
そうやって、口にして”好き”を伝えることはままならない。
「アレ──好き、だったなあ……」
もう、透羽にとっては過去の話だったから。
それはきっと、現在進行系の”好き”ではなく、思い出でしかなくて。
「……昼ごはん、食べに行こうか。そろそろお腹空いてきたし」
「ん、そうだね」
適当な理由を付けて、その場から立ち去ることを透羽に促す。
透羽のように、尻込みせずに変わろうと立ち向かっていけるならどれだけ良かったか。
”凄い”、と。
先程口にした言葉は全部、遥の本心だった。
「……あれ? 衿華……せん、ぱい……?」
透羽の声に、一瞬にして思考が引き戻される。
普段と違って制服でもなければ、髪型も学校にいるときとは違ってきっちりしたロングヘアではなく、後ろで結えられたポニーテール。完全に外行きの姿だったけれど。
「彩芽さんと……真白、くん……?」
そこに衿華がいた。
そして、彼女が見ていた方向も遥たちと同じ。
『キラピュア』のポスターを、衿華は眺めていた。
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