猫になっちゃったら好きな人と恋人になれた話

川木

失敗は恋愛の母

 この薬が完成すれば絶対に売れる。その確信を持って私は理論を徹夜でしあげたまま、実証の為の実験をはじめた。事前に集めていた材料で素材は十分だったけれど、繊細な配合率の違いで何度とやり直しを余儀なくされた。実験を始めてからおよそ12時間。日が傾きかける中、ようやく完成の日の目を見ようとしていた。


「あとは仕上げだけだ……っ」


 手違いのないよう口に出して確認する習慣から癖になった独り言をいいながら、私は慎重に最後の材料を調合機にいれていく。長く魔力を浴びて魔獣となった猫から採取した猫の毛だ。たかが毛と馬鹿にしたものではない。毛というのはその生物の一部であり、その生物のすべてが詰まっているのだ。

 私が開発している薬は身体能力強化のための薬だ。現代では本人の身体能力を割合で底上げするものが主流だ。だが人類の敵である魔物と戦うためにはもっと効率よく強くなるものが求められている。そこで私は人間以外の生き物の身体能力の情報をもとに強化する薬を考えたのだ。

 状況により強化したい能力というのは変化する。最後に仕上げとしていれる生き物によりその割合すら変化させることができる、そんな汎用性にもとんだ素晴らしい薬ができあがる、はずだった。


「はっ、くしょんっ!」


 よく乾燥させた毛をいれて、情報が染み出たのを見計らって抜き出すのだ。抜き出すタイミングが重要だ。あまりに多くの情報を抜き出しすぎても狙い通りの効能ではなくなる。しかし換気の為に開けている作業机の前の窓から舞いこんだ風が私の鼻先に綿毛を運び、私の反射が勝手にくしゃみをしてしまった。ちゃぽ、とピンセットで挟んだままだった毛が中に落ちた。


「ああっ」


 慌てて出そうとするが、液体の中に落ちた毛一本をピンセットでつまむのは簡単なことではない。液体は私の想定をこえて色を変えていってしまう。何とか掬いだした時には想定より三割ほど色の濃い魔法薬ができあがっていた。


「……はぁ」


 失敗だ。問題ない。材料はまだある。作り直せばいい。だけど、心が折れてしまった。もう疲れた。あーぁ、やってられない。飲まず食わずで喉もからからだしお腹もペコペコだ。別に急ぐわけじゃない。今日出来上がって明日から億万長者になれるわけでもない。

 私はため息をついてから制作手順のメモに、仕上げの時もマスクをつけたまま行うこと、と付け加えた。そしてペンを置いてから調合機から薬を取り出してカップに入れる。


 失敗なのは間違いないけど、失敗だって別の成功につながる可能性がある。作用が強すぎるだろうが、毒になるような調合ではない。実際に摂取して具体的にどのような変化がありどんな失敗があるかしっかり記録する必要がある。

 幸い、もうすぐ日が暮れる。効果時間は深夜まで持つかどうか程度なので、最悪寝てしまえば解決する。私はごくりと飲み込んだ。


「んっ」


 うっ。想定以上に渋、いっ!?

 私は全身が熱くなるのを感じた。それ自体は理解できる。普通の身体能力向上薬でも魔力が全身に回り熱くなるものだ。だけどその程度ではない。まるで全身が溶けるかのように、熱い。


「あ、あああっ」


 机の上にたたきつけるようにカップを置き、すがりつくように机に状態を預けてなんとか倒れるのを防ぐ。苦しい。少しの失敗でこれほどの異常がでてしまうのであれば、商品化は特に慎重にしなければならない。粗悪な模造品が出回ってしまえば力が必要な時に倒れ、それは命の危険につながる。と何とか思考をすることで意識を保っていると、ふっとその熱が引いた。


「んなぁ……」


 息を吐く。痛みや違和感はない。長い苦しみだった気がしたが、目の前のさきほど冷やすのにつかった氷水に浮かぶ氷の溶け具合からせいぜい数秒、長くても一分と経過していないようだ。

 ひどいめにあったが、きっとあまりに強い効能に体が拒否反応をしめしたのだろう。仕上げをしない状態での試験では無味無臭で体に異変はなかったので油断していた。毒ではなくてもこれほど強い反応は副作用といえるだろう。

 私は自分の力がとてつもなく強化されている可能性を考えながらそーっと状態を起こす。しかし、あまり視線の位置があがらない。というか姿勢もおかしいような? と思っていると目の前の調合機に反射した自分と目が合った。


「にゃ、にゃああああ!?」


 私は猫になっていた。身体能力だけのはずが、まさかの全身が猫になっていた。効きすぎた。









「にゃあぁ……」


 困った。本当に困った。猫になったのはいい。一瞬焦ったけれど、冷静になれば効果時間は変わらないのだから、待てばいいだけだ。だけど私は風にのってメモが窓から出ていくのをついいつもの感覚で手を伸ばしてしまい、普通に窓から落ちてしまったのだ。

 幸い一階で草むらだったので怪我もないが子猫の体ではとてもではないが戻れそうにない。しかも日が落ちて雨まで降ってきた。インクは雨で流れて情報漏洩の危険はなくなった。メモ自体は頭の中にちゃんとあるので、窓から出る必要はなかったのだ。

 そして試してみたが、どうやら私の人間としての年齢が反映された純粋な猫の身体能力になっているようで実質弱体化している。要は部屋に戻れない。


「きゃふんっ。うにゃなぁ」


 現状の問題は雨にぬれて体が冷えていること、そしてなにより、もとに戻った時全裸なのが普通に困る。服は机の下、椅子の上に落ちているのは確認している。

 とりあえず今すぐ元の体になるわけではないのでいったん雨を避けるため、寮の玄関から中に入ったけれどくしゃみがでてしまった。困った。無事に人に戻っても風邪をひきそうだ。


「……」

「んにゃっ!?」


 どうしようか、と思っていると視線を感じて顔をあげ、そして目があってしまってびっくりした。この時間、寮生は基本食堂でご飯を食べているはずなので油断した。が、驚きはしたがこれは幸運だ。そこにいたのは私の親友のフランだった。フランの部屋にもぐりこめばいつ戻って全裸になっても問題ないし、服を借りて部屋に戻れる。


「にゃあ、んにゃにゃにゃ、なおーん」


 助けて。私はか弱い子猫ちゃん。雨に濡れて震えているの。とかわいこぶってみた。フランは普段からとても世話焼きで親切なので、これできっと。


「……」


 あ、だめだ。見てるだけで反応がない。こんなに可愛いのに。でもそういえばいつも私が猫を愛でている時も積極的に触ってないし、動物に興味ないって言ってたな。


「にゃふん……」

「ふふっ」


 あきらめるしかないのか。とがっかりした私に、涼やかな笑い声がふってきた。片目をあけて見上げると同時に私の体がもちあがる。


「仕方ないから、今日だけ私の部屋においで」

「にゃあ!」


 し、信じてたぞ!









 こうして無事保護された私はフランの部屋に案内され、そこで体を洗ってもらい暖かいミルクをもらったことで一息つけた。ミルクだけでは足りないけれど、フランには私がよほど小さい子猫に見えるのだろう。食事を抜く覚悟だったので十分だ。

 ベッドにあがってうとうとしていると、私を置いてお風呂に行っていたフランが帰ってきた。


「ん。おとなしくしてたみたいね」


 よしよし、とフランは私の頭を撫でてから抱き上げた。風呂上がりのフランの体は温かくていい匂いがして、眠気がとんでいってしまった。ごまかすために自分の肉球を合わせてふにふにさせる。うーん、自分の肉球でも気持ちいい。それに視界にひろがる猫のおてて。とても可愛い。


「……ほんと、毛並みといい、青い目といい、あなた、エミィに似てるわね」

「にゃっ」


 フランは私に優しいく微笑みながら私の名前を呼んだ。一瞬見ただけだったが、そういえば髪色も目の色も同じだった。連想するのも無理はない。とはいえだから同一人物とは思わないだろう。イエスという意味で頷いて手もあげてみたが当然通じず、片手で私を抱っこして空いた手でこしょこしょと額を撫でられただけだった。


 くすぐったいし、いい匂いすぎてドキドキしてしまう。考えないようにしてもこうして至近距離で顔を見せられて他のことに意識をやるのは難しい。あまりまじまじと見ないようにしてきたのでこうして近くからしっかりフランの顔を見るのは久しぶりだが、相変わらずとても美人だ。


 フランは貧乏苦学生として日々魔法薬作りで小遣い稼ぎをしている私と違い、高貴で裕福な生まれだ。私とは住む世界の違う人間、と言ってしまえばそうで、だからきっとつり合いなんてとれていないのだ。友達につり合いなんて必要ない、ときっとフランは言うだろう、だけど私の気持ちは、友達には収まりきらない。

 きっと恵まれた人間の気まぐれの施しなんだ、そう悪意的にみようとしてもできないくらい、フランはいつもまっすぐに私に接してくれた。当たり前のようにそばにいて、一緒に笑って、時々怒って、私の夢を応援してくれた。そんなフランを、どうして好きにならずにいられようか。


 フランと出会うまで、恋なんて言うのは私とは縁遠いものだと思っていた。だけどまさか、同い年で同性で、それでいて美しくて私と何もかも違うフランを好きになるなんて。

 私の生きてきた庶民では同性の時点で考えられないが、フランの生きる世界では政略結婚がありふれているからこそ、同性との恋人をつくるのは珍しい話ではないと教えてもらったので、たとえ告白しても性別を理由にふられることはないだろう。だけどそれはその分、私個人を理由にふるということだ。それは性別というどうしようもないことを理由にふられるより精神的に苦しいことだろう。

 どちらにせよ、友人でいられるだけで幸運なくらい、つり合いのとれない相手なのだ。告白なんて考えるはずもない。恋心なんてないほうがいい。


 だけどそれでも、こうしてフランと触れ合うとどうしても意識してしまう。私がフランに向ける気持ちが友情だけではないことを。

 やはりフランに助けを求めるのではなかった。いや、しかし、だからと言って他に目当てがあるわけでもない。いくら私が普段から身なりに無頓着と言われようと、不特定多数に全裸を見られる危険性は看過できない。今日ばかりは仕方ない。


「ふふ、可愛い」


 となんとか自分の気持ちをおさえて我慢しようと思っているのに、フランは楽しそうに私をじっと見てそういうと抱っこしたまま自分のベッドに座った。もしかして一緒に寝たりするのだろうか。いやいくらなんでもそれはちょっと。


「……あーあ、あなたみたいに簡単に手にはいったらよかったのに」


 どぎまぎする私をフランは両手で高い高いするように持ち上げてから鼻先に寄せて、じっと私の顔を見ながらそんなことを言った。

 案外、動物相手に独り言を言ったりするんだ。私はめちゃくちゃ言うが、フランは普段動物に話しかけるのも私に促されてなお恥ずかしそうにしてたからしないのかと。と思ったが人前だから恥ずかしがっていただけの可能性もあるのか。それはそれでフランが可愛すぎるな。


 と感想を抱くが、いまいち言っている意味がわからない。手に入れたいけど手に入らない何かがあるということか? フランほどの人が望みどおりにならないものがあるとは。なんだろう、気になる。

 もし、フランの望むものを私があげられたなら、少しは可能性がないだろうか。なんて、あきらめたふりをしていたのに少しでも希望を探そうとしてしまう自分にあきれてしまう。そんな都合のいいことあるはずがないのに。


「あ、また。しょんぼりしちゃって。ほんと。似てるわ……ねぇ、どう思う? この私が世話を焼いて、晩御飯も持って行ってあげたのに部屋からでもしないで。中にいるのはわかってるんだから、顔くらいみせるべきよね?」

「にゃん?」


 んん? あれ、もしかしてこれ、似ている私(猫)を見て、私(人間)の愚痴を言っている?

 フランは世話焼きだ。私がついつい研究に夢中になって食事の時間に食堂に行くのを忘れてしまった時なんか、まめに気にかけてくれて私の部屋の前に食事を差し入れてくれるほど親切だ。作業中はついつい夢中になってノックをされても気づけないことが多いし、集中するからこそ実験中は必ずカギをかける。だから仕方ないのだけど、まさかそんなに怒っていたとは。

 ドアを開けて気づいたときはいつもありがたくいただいているし、お礼を欠かしたことはないが、やばり善意に胡坐をかきすぎていたのか。


「ほんと、なんであんなやつ、好きなんだろ」

「……にゃっ!?」


 え!? 今なんて!? 好き!? え? 文脈的に間違いなく私のことを言っていたよな?


「……はぁ。寝よ。明日こそあいつを部屋から出さないと。その時は、あなたを案内してあげるわね」


 驚く私を無視して、フランは私を枕の横に置いてタオルをかけて自分もベッドに入った。そしてあっさりと眠ってしまった。

 そうして少し落ち着いて私はじわじわと喜びがあふれて、それと同時にやばいぞと冷や汗がわいてくる。まさかのフランと両思いだったのは望外の喜びだ。私らしくはないけど飛び上がってガッツポーズしたいくらいだ。だけど、それを勝手に聞いてしまった。言葉が話せないなんてのは言い訳だ。自分だと伝える手がないではないのだから。ばれたらとんでもなく怒られてしまうし、せっかく好かれているとわかったのにこれで嫌われてしまう可能性すらある。

 そうならない手は一つしかない。このまま効果が切れるまで起きて、起こさないように静かに服を借りて部屋に戻る。これしかない。


 何とか自分を落ち着かせる。なんにせよ冷静にならないといけない。…………いや、無理だな。何とかなるだろうと思ったとたん、フランが私を好きという事実が私の気持ちを浮きだたせる。フランはすごく世話焼きだと思っていたが、まさか私を好きだからだったのか? だとしたら嬉しすぎる。

 というか気持ちを知った以上、早く恋人になりたい。しかしこうして知ってしまったことは秘密にしなければならない以上、私から告白するしかないだろう。今までフランと結ばれないと思っていたので、フランにも恋愛なんて興味はないという風にふるまっていた。どうすれば自然に付き合えるだろうか。


 と、そんなふうにああでもないこうでもないと考えていると、少しだけ眠気がやってきた。暗い中、柔らかくいい匂いのする寝具に身をゆだね、肌触りのいいタオルをかけられているのだから無理はない。

 朝まで寝てはいけない、が、どうせすぐに効果がきれるわけではない。少しだ仮眠をとることにしよう。いつも起床ベルがなくても起きたい時間に起きていたので問題ないだろう。

 そう判断して、完全に油断して私は寝てしまった。いつも起きるときは明確に何時に、何時間の仮眠と意識して寝ているから起きれるのであって、数時間、なんてあやふやな感覚では起きれないということを知らない私はそのままぐっすり寝てしまった。

 そして翌日、私はいつのまにかフランのベッドのど真ん中で寝て人に戻ってフランを起こしてそのまま抱きしめて睡眠妨害していたと知らされ、ベッドの上で土下座することなるのだった。


「エミィ! いい加減にしなさい!」

「わぁ! ちょ、調合中は危ないから」

「だからさっきから声をかけてるだけでしょうが! もう食堂の時間に間に合わなくなるわよ。今の工程は時間をおいても大丈夫なのはわかってるんだからね。ほら、体も洗ってあげるから、今日はお風呂にも入るのよ」

「……はーい」


 そしてその後、私はフランに私の部屋の合鍵を渡すことになるのだけど、ほとんど毎日フランが私の部屋にいりびたる関係に耐えられなくなった私はそう間を置かずにフランと同室で生活することになるのだけど、恋人になら叱られるのも悪くないとにやける私はまだそのことを知らないのだった。




 おしまい。

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