第2話 エドナさんのなまえを覚えていたのは…ぼくだけ?

「善くん帰ろ~」


 エドナさんが転入してきて一週間が経った。「そんなに仲いいなら、日馬が面倒見てやって」と担任教師から命を受け、ぼくは学校や街の案内役となった。放課後はいっしょに帰りながら、まだよくわからないというバスや電車の乗り方を教えることになった。


「あ、あの、エドナさんはいつごろからこっちの世界に……?」


「うん? 最近だよー。なじむの早いっしょ」


「あ。はい」


 ぼくはエドナさんを横目に見る。ギャルっぽい制服に、ギャルっぽいアクセサリー、ギャルっぽい喋り方。前の世界には絶対にこんな文化はなかったはずだ。いったいなにが彼女をギャル文化に向かわせたのだろうか……。


「教室のみんなとも思ったより早く仲良くなれたしねー♪」


「ああ、それは、うん……」


 それは間違いない。転入初日にして、彼女がクラスメイトと会話した時間はぼくの半年分のそれを軽く超えていった。


「みんな優しいし、やっぱりギャルになってよかったなーって思うんだよね」


「ギャル……な、なにか憧れがあるの?」


「うん。こっちの世界に初めてきたとき、私まだ右も左もわかんなくてさ。言語をマスターするために漫画とかアニメを見てたんだけど……」


「はい」


「ギャルって最強だなって思ったの。だれとでも仲良くなれるし、なにより……」


「な、なにより?」


「自由」


 歩道の上でターンをしながら、エドナさんは空を見上げた。

 ぽっかりぽっかりと、しろい雲が流れていく。


「前の世界はとにかく窮屈でさ。エルフってしきたりが多くて、名前で縛られることが多かったんだよね。ほら、私の名前って長いっしょ?……って、覚えてないか。あはは」


「エドナ・シューウェクト・フォーナー・帆佐那……」


「え!?」


 ぼくの前を歩いていたエドナさんは、ぴたりと足を止めた。


「す、すごいね善くん! クラスの誰もまだ覚えてくれてないのに!」


「それは、みんなエドナさんのこと『エドちゃん』って呼ぶから……」


「だって一回しか名乗ってないじゃん!? それを覚えてるの、すごいよ! ていうか……」


 エドナさんははじけるような笑顔をみせてくれた。


「うれしい! エルフってね、名前をすっごく大事にすんの。『シューウェクト』は生まれて死んでいく森の名前。『フォーナー』はその森に棲む聖霊の名前。私たちエルフは森の一部として、聖霊の加護のなかで子孫を育んでいくんだよね。それがとっても堅苦しいなって思うこともあるけど……やっぱり大切なものは大切でさ。だから、覚えてくれてて、うれしい」


 そう言われると、頬が熱くなる。ぼくは歩道のタイルを数えながら歩いた。


「……あれ、『帆佐那』は?」


「ああ、それは……」


「エドナさん」


 ぼくたちの後ろから、澄んだ声がかかった。振り向くと、中学校の制服を着た女の子がこちらに駆けてくるのが見えた。


「エドナさん、今帰りですか? いっしょに帰りましょう」


「おーリエちょん! いいねー帰ろー」


「え、エドナさん? こちらの方は……?」


「この子? 私がお世話になってる……」


 おかっぱ頭の純和風な女の子は、ぺこりと頭を下げた。


「帆佐那リエです。エドナさんを家でお預かりしています」


「あ、どうも……はじめまして。ぼくは……」


「善くん、ですよね」


 リエちゃんは丸い顔におしとやかな微笑みを浮かべた。


「あ、うん。そうだけど……」


「エドナさんがよくお話してくれます。今日は善くんとこんなことを話した、とか。善くんはとてもいろんなことに気がつく優しい人だ、とか。善くんはきっと良いお婿さんになる、とか――」


「ちょちょちょちょちょー!」


 エドナさんが声を張り上げて話を遮った。


「リエちょん!? なんか話が変な方向に行ってないかな!?」


「あら、エドナさん。私は事実を述べているだけですよ」


 手で口元を隠してふくふくと笑うリエちゃんだった。


「そっか」


 とぼくは勝手に得心いった。


「それで名前の最後に『帆佐那』がつくんだ……」


「あーそうそう! そうなんだよねー! よく気づいたね善くん!」


 なにかごまかすみたいに、エドナさんは大きな声を出した。


「やはり、気づかいができる素晴らしい殿方ですね。昨日もちょうどそんなことをエドナさんが……」


「もーリエちょんは静かにしてて!」


 珍しく顔を真っ赤にしてエドナさんが叫ぶ。


「ほら、リエちょん帰ろ! 善くんまた明日ね!」


「おや、もういいんですか? お邪魔しました、善くん。また今度、『三人で』お話しましょうね」


「もー!」


 ふくふくと笑うリエちゃんの手を引いて、困り顔のエドナさんは早足で行ってしまった。

 その後ろ姿を見ながら、ぼくは苦笑いを噛み殺した。


 エドナさんのフルネームを家で何度もノートに練習していたことは、内緒にしないといけないな。

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