未完成悪魔機械化事典 マスターメビウスと光と紫
蔦葛
裸の悪魔
毎日が過ぎていく、それに耐えられなかった。
北に向かってバイクを走らせる。
特に意味なんかねぇ。
幹線道路を超えると、景色が街から一気に農地になる。
左側には風力発電の風車が遠くに見える。
冬になると作られる、牧草を丸めたヤツも沢山転がってる。
右側も風車が無い以外はだいたい同じで、奥は崖で海だ。
別に思い出の景色ってわけじゃない。
この街のいつもの光景、毎年毎年の、全く同じ光景。
それが俺には耐えられない。
バイクを止める。
海を見る。日が落ちていく、空は半分夜だ。
特に意味なんかねぇ。
俺はバイクで崖に突っ込んだ。
牧草地だからガタガタの地面をフルスロットルで突き抜ける。
崖の高さなんてわかんねぇが、海に落ちるまで3秒は掛かったと思う。
背中から海面に叩きつけられる。硬い。痛い。冷たい。
泡に巻かれて、沈んでいくほどに、周りは黒くなっていく。
海面を見ると月が歪んで輝いている。いや、電灯か?わかんねぇ。
体が冬の海の冷たさに熱を奪われていく。まるで命が溶けていくようだ。
死にたいわけじゃない。ただ、慣れていく事に耐えられないんだ。
妻を失ったのに、あんなに悲しかったのに、日が経てば経つほど、俺は日常に戻っていく。なら、いつかこの悲しみも消えてしまうのでは?それが怖かった。
海底に達する。
砂と岩が混じった静かな世界。
魚がもっといるかと思ったが、何も居ない。
海藻も全然ない。海にもこういう砂漠みたいなところがあるんだな、と意外だった。
まぁ海の底なんてめったに見れるもんじゃないしな。
そんなところで、俺は死んでいくのかなぁ。と思うと、
急にさみしいという感情が溢れて来た。
俺の呼吸の限界が長いのか、それとも体感時間が長くなっているのかわからないが、
海底に30分ぐらい居る感覚がある。もちろんそんな事はありえないから実際は1分ぐらいだが。
ゆらゆらと海流に身を任せ海底を漂っていると、
ふと視界に光るものを見た。
最初は一緒に落ちてきたバイクのパーツかと思ったが、違う。
それは一部だけが砂から見えている。
なにかの箱だ。箱の角だ。
海底にあっても、強く金色に輝いている。なにかの文様が刻まれており、
エジプト文化のように思えた。
「・・・」
気になる。
今、まさに自らの死を受け入れようとしていたが、
「・・・」
ダメだ、気になる。
手を伸ばして、箱を砂の中から引っ張り出す。
少し砂が舞うが、その箱はキラキラと光っている。
よく見ると文様はエジプト文化とは少し違う、似ては居るがそうではない奇妙な装飾だった。
開けようとしてみるが、固く開かない。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
結局、箱を持ち帰ることにした。
気になる。別に宝物が入ってるとか、考古学的価値がある、売れば大儲けとか、
そういうことじゃない。
気になる。気になることをそのままにしておくことの出来ない性格だった。
「ならバイク、壊さなくて良かったじゃねぇか」
真冬の夜、全身ずぶ濡れのまま、箱を持って、家に向かって歩いて帰る。
「寒いな」
これでろくなもんじゃなかったら焚き火の燃料にしてやろうと思った。
風呂に入りながら箱をいじくり回す。
長方形で大きさは肘から手首、重さはワインボトル1本分。
振ると中からカチャチャという音がする。
なにか複数の小さなものが入っているようだ。
が、開かない。
開く、捻る、叩く、冷やす、温める、色々試したが開かねぇ。
もちろんハンマーでぶっ壊しゃぁ中の物が取り出せるんだが、そんな事は俺が猿と同じことを証明することになる。
男のプライドを賭けいじくり回すがやはりどうにもならん。
頭にきて壁に投げつける。猿であることの証明だ。
すると、衝撃で隙間ができた。
マッチ箱と同じ、スリーブ箱と呼ばれる単純な引き出し構造だったのだ。
湯船に入ったまま、手を伸ばし床に落ちた箱を拾う。
中を見ると、・・・マッチ箱だ。
見たことのない文様が装飾されたマッチ箱、
中を開けると、本当にマッチが入っていた。
火をつけてみる。火がつく。火が消える。
ただのマッチだ。
「ふっ…はは…」
くっだらねぇ。俺はこんなモノのために。わざわざ、死ぬのをやめたのか。
「くだらないな、本当に」
「なぜ笑う?」
・・・眼の前に、“逆さ”の裸の女が居る。
重力を完全に無視して、天井を地面のようにした、
逆さまになった女が居る。
その女が俺に話しかける。
「幻覚か、今日は色々あったからな、俺は疲れている。もう寝よう。」
湯船から出て、風呂場のドアを開ける。
言語化不可能な異次元世界が広がっていた。
コーヒーにミルクを垂らして生まれる白と黒の混沌。
あれを100億倍ドロドロにして禍々しくしたところに考えられる限りの不快な虫と深海魚をブチ込んで三日三晩真夏の蒸し暑い部屋に放置したような感じだ。
ドアを閉じる。
もう一度ドアを開ける。
ドアを閉じる。
振り向くと女が逆さではなくなっていた。
普通に俺の家の風呂に入っている。
「私の名はマスターメビウス、お前が呼び出した悪魔だ。」
髪は炭のように黒く、猫の耳のようなものがある。
肌は褐色、金色の装飾を身に着けて、あとは裸。
見た目は人間だが、その内から伝わる威圧感は、人間でないことを常識を越えて納得させられる存在感があった。
脳が思考停止しようとするのに必死で抵抗して頭を無理やり動かす。
おそらくあのマッチが原因だろう。
マッチを擦ったら悪魔が出てきた。
なら原因はマッチだと推測するのが論理的思考だ。
その結果悪魔が出てくるんだから論理的もクソもあったもんじゃねぇ。
「あ、悪魔が、俺に、何の用だ」
必死に言葉をひねり出す。
「お前が呼び出したんだろう。さぁ、願いを一つ言え、どんな願いでも叶えてやろう。」
また脳が揺らされる。願いを叶える?悪魔が?なぜ?本当に?
「…」
悪魔が俺を見ている。
「死んだ人間を生き返らせる事は出来るか?」
「ははっ!私が悪魔であること、願いを叶えるということ、それを信じるのか?」
悪魔は無邪気に驚き、好奇心で疑問を投げ掛けてくる。
「そうだ。信じる。」
俺の言葉を聞いて、悪魔は嬉しそうに笑った。
「ああ、出来る、死んだ人間を生き返らせることが出来る」
悪魔の言葉で、全身の血管に氷を詰め込まれたような恐怖が俺の体を駆け巡る。
もし、それが出来るなら、それが叶うなら、俺は…
硬直する俺に、悪魔がゆっくりと近づいて囁く。
「悩んでいるのか?人間を、生き返らせて良いのか?
悩んでいるのか?私が本当に悪魔なのか、
悩んでいるのか?私が本当に死者を生き返らせる事ができるのか?
そして、その上で、どうしても叶えたい願いがあるんだな。」
「死んだ俺の妻を生き返らせてくれ、それが俺の願いだ。」
恐怖と欲望で一杯になった体から、俺の心そのものが一つの言葉となって吐き出された。
「良いだろう。お前の願いを叶えよう。」
悪魔は優しく俺の頬を撫でた。
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