第十二話『千尋さんは抗議する』

「へえ、こんなごく平凡って感じの男子生徒が……へえ……」


 さっきまで僕に何の興味も抱いていなかったお姉さんが、前山さんの言葉を受けたことによっていろんな角度から僕のことをあれこれと観察している。その角度変更に意味はあるのかと質問したくて仕方がなかったが、そんなことを言えるような雰囲気ではなかった。


「ちょっとお姉ちゃん、あんまり失礼な事言っちゃダメだよ? 照屋君にはあたしから『手伝ってくれないか』ってお願いしたんだし、今日のお出かけだってあたしから誘ってるんだからね」


 しかし前山さんはそれに怯む様子もなく、むしろどこか不満げにお姉さんに反論している。まあ確かに経歴とかはごく平凡とは言い切れないが、それが傍目から見てわかるわけでもないし。……というか、前山さんの中で僕の評価がそんなに上がっていることの方が少し意外だった。


 きっとあの日の僕を見かけた衝撃をまだ残しているだけなんだろうが、前山さんから評価してもらえるってのは嬉しいことだ。……間違いなく僕のことを見てくれているって、そう分かるから。


「千尋が誘って断れるような人間なんてこの世界のどこを探してもいやしないさ。むしろ今日ここに来なかったら、その時点であたしの右ストレートがこいつの印堂を撃ち抜いていただろうな」


 だがしかし、それでもお姉さんの中にある疑惑は晴れない様だ。僕のことをジロジロ――いや、ギロギロ見てくる視線の鋭さは変わってないし、そこに警戒心があることは変わりない。


 というか、いくらなんでも右ストレートはやりすぎじゃないだろうか。流石にたとえ話だとは思いたい……のだが、今までの前山さんへのべったりっぷりを思うとそれぐらいしてもおかしくない気がしてくるのが本当に怖い。


「もう、お姉ちゃんってば心配しすぎだよ。あたしの中にある問題を解決しようって行動するの、そんなに心配?」


 さらにぴりついてきたお姉さんをたしなめるように、前山さんが柔らかい口調で問いかける。だけど、それに対して帰ってきたのは頑なな頷きだった。


「ああ心配さ、どれだけ心配しても足りないね。今まで千尋が苦しんできたのも知ってるが、それ以上に私は今までの試みが失敗して傷ついてる千尋の姿を見ている。――千尋を愛する家族として、私は千尋に傷ついてほしくないんだよ」


「……っ」


 真剣な口調で語るお姉さんを見て、僕は思わず息を呑む。半ば押し切られるようにして引き受けたこの役割が千尋さんにとってどんな意味を持つのか、僕はあらためて思い知らされていた。


 その口ぶりからして、きっと前山さんはこれまでもいろんな方法で小説を読めるようになろうと手を打ってきたのだろう。そしてそれが上手くいかなかったのは、現状の前山さんの姿が証明している。……縋れる手段が一つ現れては消えるその落胆を、前山さんは何回経験してきたのだろうか。


「千尋、人には必ずしもできないことってのがある。千尋の場合はそれが小説を読むって部分にあるだけで、完璧じゃないことはだれしもに共通していることだ。……それでも、傷つくことを覚悟でお前はこの男に希望を託してみるっていうのか?」


 胸に手を置きながら、お姉さんは前山さんに問いかける。それはきっとお姉さんの奥深くにしまってある本心で、あの高いテンションの下に隠しているものだ。……それに応えることができるのは、きっと前山さんしかいない。


「……お姉ちゃんの言いたいこと、よく分かるよ。確かにあたしはいろいろ失敗してきたし、そのたびに傷つくこともあった。だけどね、先ずこれだけは言わせて?」


 ゆっくりと言葉を選びながら、前山さんはお姉さんを正面から見据えて答える。その先にどんな言葉があるのか、僕も少し緊張しながらその言葉の続きを待っていたのだが――


「……『この男』じゃないよ、ここにいるのは照屋紡君。あたしの頼みを引き受けてくれた人のことをそんな風に呼ぶなんて、あたしはその方が失礼だと思うの」


「……は?」

「……え?」


 あまりに突拍子もない角度からの言葉に、僕とお姉さんは同時にあっけにとられる。確かにそこも気になるのかもしれないけど、もっと他に言うことはあったんじゃないのか……?


『それでもあたしは読めるようになりたい』とか、『諦めたくない』とか、そういうのが飛んでくると思ってた。僕はあくまでその助けになる存在であって、それ以上の何者でもないのだと思っていた。……だけど、前山さんからすると違うのかもしれない。


「お姉ちゃんの言う通り、あたしは今までいろんなことを試しては失敗したよ。そのたびに『またダメだったんだ』って思って、心が折れかかってた時期もあった。だけど、照屋君を見つけた時に思ったんだ。……『この人と一緒に居られれば、あたしの中の何かも変わるかもしれない』――って」


「へえ、それはずいぶんな高評価だな。この男――じゃない、照屋紡くんに千尋は何を見たんだ?」


 どこか疑わしげに笑って、お姉さんは前山さんに重ねて問いを投げかける。その粘り強さは同時に前山さんへの思いの強さであり、姉としての責任感の強さでもあるんだろう。……妹が傷つくところをもう見たくないから、僕のことも簡単に信じるわけにもきっといかないんだ。


 それはある意味考え方の違いともいえるもので、中々落としどころを作るのは難しいだろう。最悪このまま平行線で終わることもあり得るんじゃないかと、僕は内心そう思っていたのだが――


「……懐かしいキラキラを見たの。あたしが大好きだったころのお父さんに、よく似てた」


「……ッッ⁉」


 お姉さんの問いかけに、前山さんは優しい声で応える。まるで何かを思い出すかのような、大切な物を撫でるかのような、そんな柔らかい声。……前山さんにとってそのキラキラはとても大事なものだったのだろうと、そう確信できるような何かがその声色にはあった。


 だが、それを聞いたお姉さんの表情は驚愕に歪んでいる。まるで幽霊でも見たかのような、恐ろしいものを見るような、そんな顔をしていて。


「……千尋、それは本気で言っているのか?」


――震える声で問いかけるお姉さんは、何かに怯えているように思えた。

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