第十一話『千尋さんとお姉ちゃん』

 なるほど、確かにそれなら貸し切りっていう状況にも何となく納得がいく。貸し切りなんて本来は大金をはたいてやるものだけど、家族のよしみがあるっていうなら事情は変わってくるからね。


 だけど、貸し切り問題が消えたからと言って問題が何もなくなったわけじゃない。というか、僕としては今から浮かび上がってくるであろう問題の方が重大だ。……前山さんとだってまともに顔を合わせたのは二度目なのに、その状態で前山さんのお姉さんとも初対面を果たさなければいけないんだから。


 僕はコミュ障ではない……ないと思いたいが、だからと言って初対面の人と明るくはきはき喋れるほどに対人強者というわけでもない。そもそもの経験値不足もあって、どんな風に接するのが正解なのか僕には全く想像すらもつかなかった。


 だがしかし、お姉さんを呼ぶ前山さんの声は既にこれでもかという声量で響いている。まあつまり、俺が何を考えようとカウンターの向こう側の扉は開いてしまうわけで――


「おーーー、早かったな私の可愛い妹よ! どうだ、元気にしてたか?」


 バタンと音を立てて扉が開け放たれ、その奥から弾丸のように一人の女性が飛び出してくる。そのまま目にもとまらぬ速さでカウンターに腰掛ける僕たちの前まで来たかと思えば、流れるような動きで前山さんの頭をわしゃわしゃと撫でていた。


 事前に出て来るって分かっていたから何とかその動きを目で追えはしたけれど、瞬きした瞬間に見失ってしまいそうなぐらいのとんでもない速さだ。カフェの店長というより、何かのアスリートをやっていると言われた方がよほど腑に落ちる。


「やっぱり髪サラサラだなあ、ロングヘアが鬼のように似合ってる! どんな素材だって千尋の髪の手触りの前には土下座して弟子入りを乞うんじゃないか?」


「お姉ちゃん、テンション上がりすぎじゃない……?」


「そりゃそうさ、久しぶりに千尋が『カフェで会いたい』って言ってくれたんだからな! 前山家の長女たるもの、可愛い妹に頼まれてテンションが上がらないわけないじゃないか!」


『というわけで撫でる!』――なんて言って、前山さんの困惑をよそにお姉さんはさらに前山さんの髪を撫で続ける。少し茶色に染めた髪の毛を短くそろえたスタイルからは少し想像しにくいが、これがお姉さんの素であることは間違いなさそうだった。


――というか、これ僕の存在を相当度外視してるな。それほどまでに存在感がなかったか、それとも見つけたうえで無視したのか。まあどちらにせよ、前山さんがお姉さんに溺愛されていることだけは確かだ。


「お姉ちゃん、今日はあたしだけじゃないから……! あたしに新しくできた友達を紹介させてほしいって話、事前にしたでしょ?」


「ん? ……ああ、そういえばそんなことも言ってたっけ。妹が世界一可愛いせいで忘れてた」


 相変わらずすごい勢いで撫でられながらも、前山さんは必死に声を上げる。その呼びかけでようやく僕の存在を認識した様で、初めてお姉さんの視線が俺の方へと向いた。


「……ご紹介に預かりました、照屋紡と言います。前山さんのお姉さん、なんですよね?」


「ああ、私は前山 彩加あやかってものだ。このカフェの店長にして前山家の長女、まあ端的に言えば千尋の頼れる姉貴ってところだな」


「お姉ちゃん、自分で頼れるっていうのは説得力があまりないと思うよ……?」


 胸を張って自己紹介するお姉さんに、隣で聞いていた前山さんが少し苦笑して突っ込みを入れてくれる。正直どんな表情でそれを聞けばいいか分からなかったから、率先してそういう反応をしてくれるのはありがたかった。


「なんだ、それじゃあ頼れない姉貴か……?」


 しかしそれがお姉さんの何かにクリーンヒットしたのか、急にしょんぼりとした表情を前山さんの方へと向ける。結構きりっとした端正な顔立ちをしているのに、その印象が一瞬にして吹き飛ぶぐらいに声色も弱々しかった。


「ううん、そういう事じゃなくてね。あたしもお姉ちゃんは頼れると思うけど、それを自分で行っちゃうと少し自画自賛が過ぎるというか……」


「そうか、頼れる姉貴か! そう思ってくれて私は嬉しいぞ妹よ!」


 前山さんの言葉を遮って、元気を取り戻したお姉さんはまたしても前山さんの髪に手を伸ばす。元気になったのはいいことなのだが、多分前山さんの言いたかったところはそこじゃない。……そこじゃないはずなのだが、もはや前山さんも諦めて撫でられるがままになっていた。


 なんというか、ここまでたじたじな前山さんの印象は学校にいるときの感じだと想像がつかないな……基本的に前山さんに振り回される側だからなのか、その姿はとても新鮮に映る。――なんて言っても、振り回された経験だって正味少ししかないんだけどね。


 そのまま撫でられること二分強、満足したのかようやくお姉さんは前山さんの頭から手を離す。そして少しだけ表情を引き締めると、前山さんと僕を交互に見やった。


「……それにしても珍しいな、千尋が男と二人でここに来るなんて。貸し切り自体は今までもあったが、それも女友達数人とじゃなかったか?」


 いきなり真剣な様子でそう問いかけられて、僕はとっさに少し息が詰まるような感覚を覚える。確かにお姉さんは前山さんを相当かわいがっているわけだし、周囲の交友関係も気になるところがあるのかもしれない。もっとも、それが分かったところで僕にできるのは悪い印象を持たれていませんようにと祈ることしかないのだが――


「うん、そうだね。だけど、お姉ちゃんにも照屋君のことは知っておいてほしくて。……ほら、前に少しだけ話したことがあるでしょ?」


 言葉に詰まる僕に変わって、前山さんがはっきりと首を縦に振る。前山さんがこの場所を選んだことには、僕が考えていた以上の大きな意味があったらしい。


 そんなことを思っていると、突然前山さんの手が僕の方を指す。自然とお姉さんの視線も僕の方へと寄せられる中、前山さんはにっこりと笑みを浮かべると――


「あの日からずっと抱えてる、あたしの中の大きな問題。……前見かけた『それを解決する手掛かりになってくれるかもしれない人』が、ここにいる照屋君だったんだよ」


「……へえ、なるほどな?」


 前山さんからのその言葉を聞いた瞬間、お姉さんが纏う雰囲気が一瞬にしてヒリつくようなものに変わる。……僕に向けられるお姉さんの視線は、いつだかテレビ番組で見た骨董品鑑定士のような鋭さを含んでいた。

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