回帰的な虎   3(完)

 違和感に気が付いたのは、別の単語を2、3個検索し、その後手持ち無沙汰で再び虎について検索した時だった。

 誰も、あの直方体についても言及していない。

 眉を顰める。あんな歪なもの、誰の目に留まるものなのに。どれだけ探してみても、虎の代わりに檻にいた、四角い塊について語る人が見つからないのだ。それどころか、虎が体調不良で公開されていなかったことに触れる人すらいない。

 どういうことだろう。檻の中の光景は、ネットに取り上げられてもおかしくないような、突飛なものだった。あの場には自分の他にもたくさんの人が居たし、その誰もがネット上に投稿していないというのは考えにくい。

 俺は一度SNSアプリを閉じ、今日撮った写真を確認する。確かに、檻の向こう側に収まる真っ白な直方体が写っている。

 間違いない。俺の見たものは、見間違いなどではない。ではなぜ、誰もそのことを呟かないのか。

 そうだ。

 俺は思い立って写真を閉じ、電話アプリを起動した。

 いっそ、動物園に直接聞いてしまおう。そうすれば、はっきりするはずだ。テーブルの上の長財布を引っ掴み、チケットを取り出して、電話番号を確認する。今日の日付が入ったスタンプが押されていた。

 チケットを片手に、番号を押す。最後の一桁を入力し終えてから、発信マークをタップしようとして、指が止まった。

 視線をスマホから左に向ける。

 チケットにはレタリングされた○○動物園の名前が置かれ、その周りにデフォルメされた動物たちが並んでいる。そして、ペアチケットである旨と、有効期限が印字されていた。数日前に、サークルの先輩から内定祝いに貰ったものだ。

「……ペアチケット?」

 これは今日、俺が動物園に行った際に使ったものである。俺が、誰かと、行ったのだ。

「…は? え? なに?」

 スマホが床に落ちる音が聞こえた。自分の記憶に、なぜだか酷く不安になる。

「まてまてまて、ん? 今日は9時に起きて? それで?」

 なんで俺は動物園に行ったんだ? いくら虎の赤ちゃんが可愛くても、じゃあ行こうとなるほど動物好きじゃない。誰かと行こうって話したんだ。

 スマホを拾う。メールを確認しよう。画面の端が欠けていたが、そんなことはどうでも良かった。

 最新のやり取りを片端から確認する。動物園について話した5人のやり取りを消去する。

「くそ、なんで誰とも話してないんだよ!」

 スマホを投げる。壁にぶつかり、跳ね返って床に転がった。

 おかしい、おかしい、絶対におかしいのだ。俺は一人で虎を見に行って、あの白い四角を見たはずなんだ。

「誰と行ったんだ? てか、なんで行ったんだ?」

 ふらふらとスマホを拾いに行く。画面を立ち上げると、メールアプリが立ち上がったままだった。

 ふと思いたち、アプリを閉じて電話を掛ける。相手は先輩だ。チケットをくれた先輩なら、俺が誰といったのか知っているかもしれない。

 何度かのコールの後、先輩の声が聞こえた。

「あい、もしもし」

「あ、井村さん、ちょっと確認したいことがあるんですけど!」

「お? おおう、なになに」

 先輩はこちらの慌てた様子を感じ取ったらしく、困惑しながら応答した。

 俺はドアにチェーンを掛けながら捲し立てた。

「前に井村さんから動物園のチケット貰ったじゃないですか、あれって誰と行くように言ってくれました?」

「はぁ? エミちゃんと行くって言ってたろ、何言ってんの?」

「外? 外に出ればいいんですか?」

「はあ? 外? まじで何を言ってんの?」

 先輩の呆れた声が聞こえる。ドアノブを捻るが、チェーンに阻まれて扉は開き切らない。

「え? な、なんで開かないの」

 二つの鍵を閉める。

「あ、あれか、酔ってんのかお前」

「はい? いや扉開かないんですって!」

 ガチャガチャとドアノブを動かすが、微動だにしない。

「あーOKOK、なんかエリちゃん怒らせたのねOKOK」

「くそ、くそ、なんで開かないんだよ!」

 先輩のとのやり取りは要領を得ない。こちらの言葉が全く通じていないらしい。

「まあ話くらいは聞いてやるよ、なに? どこでモメた? 動ぶ」

「くそ、……窓なら開いてるか?」

 扉から離れ、ベランダへ向かう。先輩は相手にならない。ここは彼の言う通り、外へ出るのか最優先だ。

 窓のロックを掛ける。

「んんん、なんでここも……!」

「…なあ、お前のマンション4階だろ? 窓って」

「ああああああ!」

 スマホを握りしめ、窓ガラスへ叩きつける。破片が飛び散った。

「おい、今なんかすごい音」

「よし!」

 窓枠に足を掛ける。足の裏にチクりとした痛みが走る。そのまま身を乗り出した。

 



 

 

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