機神〜KURIGAMI〜寧楽絡繰奇譚

月桑庵曲斎

序章

機神創生(一)

 薄昏い坑道のような地下へと続く道が発見されたのは昨日のことである。


大野おおのの按察使あぜち、こちらです」


 松明を持った官服に身を包みながらもどこか大和人とは違う雰囲気を持った男が、衣冠に身を包んだ偉丈夫を呼んだ。大野按察使は大野東人おおののあずまびとという。


 養老四年西暦720年九月廿八日11月2日に陸奥国按察使・上毛野広人かみつけののひろひとが殺害され、大規模な蝦夷による反乱が発生した。多賀王たがのおおきみとも呼ばれた疎墓流為ソボルイが朝廷の進める律令制に従わぬことで上毛野広人かみつけののひろひとが強硬な態度を崩さなかったことによる。この反乱の報はその日の内に京まで届けられ、翌廿九日、持節征夷将軍・多治比縣守たじひのあがたもりと副将軍・下毛野石代しもつけののいわしろ、持節鎮狄ちんてき将軍・阿倍駿河あべのするがらが遠征。翌養老五年西暦721年四月5月に鎮圧、遠征軍は帰京した。代わって大野東人おおののあずまびとが陸奥国司を拝命する。大野東人おおののあずまびと疎墓流為ソボルイが拠点とした多賀の地に蝦夷えみし開拓の本拠として多賀柵たがのさくを築いた。のち、按察使に任じられる。


 按察使あぜちとは地方行政の監察官で、数カ国の国守から一名を選任しその管内における国司の行政を監察する令外官りょうげかんだ。また、各国に置かれた軍団の指揮権を持っており、その管轄にある複数の軍団を率いる。大野東人おおののあずまびと陸奥守むつのかみであり、按察使あぜちとして陸奥国むつのくに(宮城県中部〜南部)、石城国いわきのくに(福島県東部)、石背国いわせのくに(福島県中部〜西部)を総督していた。


「うむ……幾分か寒いな。普通、洞窟どうくつは暖かい筈だが」

「水源が近い所為せいでしょう。もう少し行くと水音が聞こえます」


 大野東人おおののあずまびとは感心したような顔をして肯いた。官服に身を包んだ男は大和朝廷に帰順した毛人えみしの一族である。佐伯児屋麻呂さえきのこやまろ部民べのたみであることは、茜色の腰帯と紅色の佩玉で分かった。佐伯さえき氏自身は蝦夷えみしではないが、佐伯部さえきのべは比較的穏やかだった毛野けぬの民――毛人えみしが多い。


 この頃のまつろわぬ民えみしは六十を超える部族がそれぞれ国を作り、最も荒ぶる民であった日高見ひたかみ蝦夷えみしが朝廷への服属を拒んでいた。朝廷は東征を繰り返し、日高見ひたかみの民を道奥みちのくへと追い払うと、日高見ひたかみの民は多賀見たかみの地に国を作ったのである。再び敗れた多賀見たかみの民は胆沢いさわへと逃れ反撃の機を狙っていた。


 神亀元年西暦724年三月4月、海道(福島県浜通り地方)の蝦夷が反乱を起こして、陸奥だいじょう佐伯児屋麻呂さえきのこやまろを殺害した。児屋麻呂こやまろを慕っていた佐伯部さえきのべ毛人えみしらは、大野東人おおののあずまひとに身を寄せ、隠されていた多賀柵たがのさくの地下への道があるばすだと語る。但し、彼らは実際の場所まで知っていた訳ではなく、あくまで伝承や秘話の類であった。普通ならば眉唾物として笑い飛ばした所であろうが、大野東人おおののあずまひとはあっさりと信じる。それは、元々疎墓流為ソボルイの拠点の跡地に多賀柵たがのさくを築いた際に、幾つか不審な点を見つけていたからだ。その時は、拠点を築くことが優先であったため碌に調査も出来なかったが、現在多賀柵の城郭化を進めており、調査にはうってつけである。その結果、少し北にある多賀神社の社殿裏に巧妙に隠された洞穴が見つかったのである。


 滝のように落ち続ける水音が少しずつ近づいてくる。半刻も歩いただろうか。勾配が少しずつ緩くなり、天井がひときわ高くなっている広場のような場所に出た。


「此処はどの辺りだ?」

「おそらく神谷沢の辺りにございます」


 大野東人は驚いた。神谷沢といえば、多賀城の北西にある沢地であり、その地下にこのような場所があるとは思わなかったからだ。


「ここが、そうか?」

「ここは墓登ホトです。墓登ホトの奥が社地シャチにございます」

「ホト? シャチとは?」

「按察使にわかりやすく申し上げますと、社地シャチは神を祀る処。墓登ホトは門です」


 説明されて東人も理解を示す。疎墓流為ソボルイが此処を本拠としたのも、蝦夷たちの聖地であったからなのだろう。しかし、何故地下にあるのか。


「ここは久那吐クナトの眠りし場所」

「クナト? それはお前たちの神の名か?」


 毛人の男さえきのべのたみは一瞬首を傾げて考えると、かぶりを振った。


「大和の言葉で男神おがみ荒魂あらみたまに当たると児屋麻呂こやまろさまは仰せでした」

古代いにしえの神の骸があると?」


 毛人の男は先程より大きく頭を振った。


久那吐クナトは神そのものではありません。火蠡戈ピリカ――勇気ある者が神の力を纏うためのものです」

「なるほどの。鎧のようなものか」


 独り言ちて、大野東人は毛人の男に先を促す。毛人の男は墓登の周りで何やら探しものをしていたが、積み上げられた石の塔に触れると墓登の向こう側が見えなくなった。


「何をした?!」

「按察使、落ち着いてください。私は此処に来たことは有りませんが、此処をよく知っています。私の一族も社地シャチを守って居ました。だから、墓登ホトの向こうに行くやり方を知っています」

大野按察使おおののあぜち、これは吾等を嵌める罠ではありますまいか?」


 随行の護衛長が、毛人の男と大野東人おおののあずまひとの間に割って入る。明らかに毛人の男を警戒していた。


「私はすでに大和の民です。父は児屋麻呂こやまろさまに仕え、多賀見の民に殺されました。母は大和人で、罠ではありません」


 寸鉄も帯びていない毛人が、両の手を広げて東人を見た。東人は毛人に害意がないことを見て取ると、護衛長の肩を軽くはたいた。


「大丈夫だ。此奴こやつに敵意はない」

「しかし!」

「此奴は丸腰ぞ。それ程までに毛人が恐ろしいか?」


 護衛長は不承不承、東人の後ろに下がる。毛人の男はホッとした様子で胸を撫で下ろした。


「ありがとうございます」

「構わぬ、これで墓登ホトをくぐればよいのか?」


 男が東人の前に手を立てて、首を振った。そして、墓登ホトを指差す。


「私が先に行って、危なくないかを見てきます」

「お主だけでは危険かどうか分からぬ。兵士を一人連れて行け」


 護衛長が部民を睨んで言う。男は頷いて、背を押された兵士を伴って墓登ホトに入っていった。


「――消えた?」


 二人が墓登ホトに差し掛かった途端、本来ならば向こう側に出るはずの二人の姿が掻き消えた。一体、何が起こったのか。


「そんな莫迦な……」


 慌てる護衛たちを余所に東人は適当な岩に腰を下ろす。毛人の男が戻れば、この絡繰の種明かしをさせるだけのことだ。すると――


「大野按察使」


 直ぐに毛人の男と兵士が墓登ホトから出てくるではないか。 


「按察使、お、お、お、巨人おにの骸がっ!」

「鬼だと?」


 慌てているのは兵士である。毛人の男は驚いた表情も見せず穏やかなままだ。大野東人は興味を兵士の言う「巨人おに」という言葉に興味をそそられた。巨人おにとは鬼である。おおきく人の何倍もの体躯で、怪力を持つと伝えられていた。だが、鬼が出たという話を聞いて討伐に向かっても、それは図体のでかい野党の鎧武者姿などを見間違えただけの物だった。なのに、骸があるという。見てみたい――好奇心は猫を殺すというが、毛人に殺意は見えなかった。


「よし、見てみよう」


 決断した東人の行動は早かった。護衛長が止める間もなく墓登ホトをくぐると、目の前に巨きな鎧を纏った骸があった。中身は干涸らびた巨人おにである。十五大尺約5m34㎝はあるだろうか。


「これが久那吐クナトか」

「はい。名は分かりませんが、久那吐クナトに間違いありません」


 東人は護衛を連れてきたことを後悔した。これは人目に触れさせて良いものではない。出来るだけ秘匿するためには、護衛たちをみやこに帰してやる訳にはいかなくなった。


「これは此処に封じておくことはできるか?」


 毛人の男は再び頭を振った。


「――『そは不朽くちず不錆さびず不腐くさらず不死しなず不眠ねむらず唯休也ただやすむのみなり』と伝わります。火蠡戈ピリカが纏えば、再び動き出す」


 東人はどうしたものか考えた。此処に置いておいてはまずい。蝦夷どもに奪われ、使われでもしたら大事であった。


「ならば、帝に献上するのが良い」


 大野東人はニヤリと笑って毛人を見た。


「そなたの名は?」

「我が名は児真伊奴こまいぬ佐伯児真伊奴さえきのこまいぬと申します」


 大野東人は目を剥いた。毛人であろうと思っていた男が佐伯部ではなく、佐伯を名乗ったからである。


「そなた部民ではなかったのか?」

「はい。我が母は児屋麻呂さまの異母妹いもうとでありました。その誼で佐伯を許されております」


 東人は謝罪の礼をとり、頭を下げる。


「按察使、いけません! 頭を上げてください」

「佐伯の名を持つ者に済まぬことをした」


 児真伊奴こまいぬは再び大きく頭を振った。絶えぬ笑みを浮かべたまま。お気になさいませぬようといい置いて下がった。


「帰るぞ!」


 東人は思案顔で護衛らに声を掛け、来た道を戻って行った。

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