花の名前
野宮麻永
第1話 森の中
ここは、どこ?
えーっと…待って待って。
落ちつけわたし。
今朝はいつものランニングコースからはずれて走っていて、あの角を曲がったところで…。
Tシャツにハーフパンツ、スニーカー姿の自分を確認する。
そう、ちょうど角を曲がったところで、前からきたロードバイクとぶつかって…
ここは、どこ?
今自分がいる場所は、見渡す限り木や雑草の生い茂った森の中だった。
まわりを見渡す余裕ができて初めて、腕にひりっとした痛みがあることにも気が付いた。何かで切ったような傷があり、うっすらと血がにじんでいる。その痛みから、これが現実であることは明らかだった。
どのくらい気を失っていた?
頭がはっきりしてくると、見知らぬ場所で目覚めたことでニュースの犯罪記事が頭に浮かぶ。
拉致?
誘拐?
とにかく、誰かに助けを求めなければ。
誰に?
スマホを持って出なかったことを後悔したところでもう遅い。きっと10代の子たちだったら一時たりとも手放したりしないんだろうな。でも残念ながらアラサーと呼ばれる自分は、ちょくちょくスマホを持たずに外出してしまう。
どちらに向かって進むべきか途方に暮れていると、突然目の前の草むらが大きく揺れ、何かが現れた。
それはまるで、中世のヨーロッパを思わせる服装の「人」だった。
「こんなところで何を?」
わたし以上に驚いた様子で、彼がひとりごとなのか、問いかけたのか、わからないような声を発した。
身なりはともあれ、どうやら言葉は通じるらしいことがわかりほっとするのもつかの間、最初に声をかけてきた「人」の後ろから、更に数人の「人」が現れ、その中のひとりが近づいてきた。
目が合ってから少し間があっただろうか。
「わたしはカリシュクスト国騎士団のスザークというものだが、貴方は…」
「スザーク様!」
まわりを見張っていたひとりが叫んだ、と同時に頭上から大きな翼を持ったライオンのような動物がこちらをめがけて向かってきた。
「ルカ!」
スザークがそう叫ぶと、ルカと呼ばれた者が呪文のようなもの唱え、光の輪のようなものが空飛ぶ魔物を囲むように覆った。
スザークは素早く抜いた剣でそれに一撃を与えた。一瞬の出来事だった。
ああ。
ようやく理解した。
わたしは今までとは全く違う、どこか知らない世界に迷い込んでしまったらしい。
いわゆる異世界転生ってやつ。
最近流行りの小説の中だけの話だと思っていたのに、まさか自分の身に降りかかるとは思ってもみなかった。
「わたしは…なぜ…」
この状況を説明できるわけもなく、思わず口に出る。
「記憶がないのか?」
「盗賊にでも会ったのだろうか。」
「かわいそうに、服まで奪われて。」
「よほど怖い目にあったに違いない。」
騎士たちがざわめいた。
Tシャツにハーフパンツ姿は下着に見えたらしい。
上手く解釈してくれて助かった。
「血が…」
誰かが言った。
さっきの傷、と腕に目を向けると、真っ赤な血がどくどくと流れ出ていた。
それを見てわたしはそのまま気を失ってしまった。
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