テレポーター

差掛篤

第1話

A男には愛する恋人がいた。


美人で謎めいた雰囲気を持ちながら、気は優しく申し分ない女性だった。


A男は彼女との結婚を考えていた。

彼女とはどこか運命めいたものがあったのだ。


A男が何気なく近所のコンビニへ行くとする。

夜空の中、ふと、「彼女に会いたいな」と思ったりする。


そんな時、不思議なことに必ず彼女と鉢合わるのだった。


仕事帰りに、スーパーの前で

遊びの帰りに、駅のホームで

何気なく暇つぶしに入った図書館で…


運命とも言える確率で、彼女と偶然鉢合わせるのである。


彼女が自分を尾行してるのかと訝しんだが、彼女も用事はあるようだし、そんな風にも見えない。


むしろ、愛する彼女になら尾行されようが束縛されようが構わない。

A男はそう思っていた。


鉢合わせた時の「運命だわ」と顔をほころばせ、頬を赤く染める彼女を見れば、A男自身も幸せな気分になったのだ。


だが、一つ問題があった。


A男はしがないレーサーだった。

ランキングは真ん中で、プロではあるが収入は不安定かつ少ない。


A男も有名なレーサーにはなりたかったが、才能的にも、年齢的にも厳しいと考えていた。


愛する彼女には、その事実は伝えてない。


彼女は、「安定した収入がある、堅実な仕事をしている人と結婚したい」と口癖のように言っていた。

というのも、彼女の父はうだつの上がらない奇術師をしていて、非常に苦労をかけさせられたらしいのだ。父は、脱出マジックショーを全国津々浦々で披露していた。


A男は「今は不安定な仕事だが、いつか安定した仕事に就くから」と言い、レーサーであることは黙っていた。

危険かつ、不安定な仕事を応援はしてくれないだろう。


彼女も、頑としてA男が仕事について話さない事から根掘り葉掘り聞くことはなかった。

A男は仕事があるときは彼女に伝えた。

仕事場はレース場だからか、仕事の時彼女と偶然に会うことは決してなかった。


そんなある日、A男は最後のレースを迎えた。


役所勤めの試験に受かり、最後のレースを終えれば…安定した役人になるつもりだ。


それなら彼女にも、堂々とプロポーズできるだろう。


A男は最後のレースで優勝を勝ち取ろうと燃えていた。


当然ながら彼女には「仕事に行く」とだけ告げて、A男は最後のレースに出場した。


ただ、家を出る時に彼女が

「一度でいいからA男君の仕事を見てみたいな…」

とふと口にしたのが気がかりだった。



華々しくスタートしたA男最後のレースは、最終局面を迎えていた。


A男の乗りこなすレーシングカーは時速180キロに達している。


ライバルを側面から追い上げ、最後の直線で、とうとうA男が首位に躍り出たのだ。


ゴールまではあと数十秒といったところ。


A男は優勝し、有終の美が飾れるだろう…


そして、役人となって愛する彼女と結ばれるのだ…


首位を勝ち取ったA男は興奮しきった頭で夢想した。


A男は思わず叫ぶ

「今すぐ、君に会いに行くぞ!」


不意に、一瞬、周囲の青空が鉛色に変わった。

そして、重々しくおどろおどろしい湿った空気が、自分を包んだように感じた。


頭には彼女の

「一度でいいからA男君の仕事を見てみたいな…」

という言葉が浮かんだ。


不穏なさざめきがA男の心臓を撫でた。


次の瞬間、彼女は目の前にいた。


時速180キロで疾走するA男のレーシングカーの進路先に、なぜか彼女が舞い降りたのだ。


灰色のレーシングコースの真ん中に、愛する彼女が立っている。


にわかに死のにおいが辺りに漂う。


A男は一瞬が長い時間に感じた。


もって1、2秒…それよりも短い時間かもしれない。

その刹那に、A男は二択の選択をしなければならなかった。


このまま彼女を撥ねるか。


それとも、急ハンドルを切って、自分がレーシング場防護壁の塵となるか。


あまりに彼女を愛する男は、後者を選んだ。


男は急ハンドルを切り、彼女の側方を凄まじい勢いで通り過ぎると壁へ激突した。





そして、愛する男が鉄くずとともに燃え上がるのを見た彼女は…


自分の軽率な過ちに気づいた。


まさか愛する彼がレーサーとは知らなかった。

 

ただ、彼に会おうとしただけなのに…

今回だけ、仕事中にこっそりと会いに来てしまった…


彼女が心臓をえぐるほどの後悔に苛まれるその瞬間に、後続車がその哀れなテレポーターを跳ね飛ばした。



二人の愛は雲の上へテレポートして、永遠に結ばれるかもしれない。



レース場には、優勝するはずだったレーサーが焼死し、コース場に突如現れた美しい女性が轢死するという…不条理かつ不気味な光景が広がっていた。


観客はただ言葉を失うばかりであった。

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