一度死んだときのこと

一度死んだときのこと

大学生のころ、学生寮に入った僕はほとんど死んだようなものでした。

実家を離れたくて上京したものの、1人の生活は孤独に押しつぶされそうでした。


家族もいない、友達もいない、相談先もない状況。

僕は自然と死について、考えるようになりました。


もう立ち行かないと思ったら、布団に潜り込み、意識を真っ暗にします。

よりリアルに、布団を出て、この部屋を出ていく想像をします。


そして外で自殺する想像をすると、体がふと軽くなるのです。

何も持たない感覚になったら、布団を出て電気を点け、今まで通りに過ごします。


その日も死んだ方がいいなと思った僕は、布団に潜り込みました。

そして布団を出て、よれたシャツを伸ばすと、この部屋を出ていきます。


スニーカーを履くと、廊下に出ました。

鍵は閉めません。

僕が死んだあと、部屋が開かないと管理人がわざわざ鍵を取りに行かなければいけないだろうと配慮したのです。


学生寮の廊下を歩き、右に曲がると管理人室。

軽く会釈して通り過ぎると、短い階段を下ってエントランスを抜けます。


自動ドアから外に出た目の前はゴミ捨て場。

すでに明日のゴミを捨てている人もいます。


学生寮は夜に出ていくと睨まれてしまうので、出かけても不自然のない時間に出てきました。


しかし死ぬのは夜が良いでしょう。


駅まで10分ちょっと、狭い道を人とすれ違いながら歩いて行きます。

誰も僕がもう少しで死ぬことを知りません。


粗いコンクリートは、スニーカーの裏を削っている気がします。

駅に近づくにつれ、人が増えてきました。


馴染みの唐揚げ屋の店員に挨拶をして、駅の改札に入ります。

階段を上って駅のホームへ向かいます。

駅の床というのは、どうしてこうも不潔なのでしょうか。


まずは電車に乗って、こんなところではなく大きな駅へ向かいます。

東京にきて驚いたことは、駅で自殺をする人が多いということです。


自殺の名所と言いますか、ここでは不思議と死ぬ人が多い、なんて駅があって驚きました。

では、僕もそこに向かいます。


電車に乗って、外を眺めていました。

外はまだそこまで暗くなく、電気の点いていない家も目立ちます。


目的の駅に降り立つと、夜になるのを待ちました。

何本も電車が通り過ぎ、いろんな人が降りては乗っていきます。


若い女性は、大学からの帰りでしょうか。

私服を着た男性の2人組は、これから飲みにでも行くのでしょうか。

スーツの男性は、会社員、家では家族が待っているのでしょうか。


東京は寂しいところで、ずっとホームのベンチに座っている僕を誰も気に留めません。

そういうところは、ありがたいと思います。


そうして暗くなったとき、特急がくると電光掲示板が知らせます。

死ぬには特急でしょう。


僕はベンチに座ったまま、なぜだか動けませんでした。

特急がくるのに…そう思っていると、特急は目の前に止まってしまいます。


やってしまった。

死ぬ機会を逃してしまった僕は、次の特急を待つことにしました。


そういうわけで、電車に乗っている人たちを眺めます。


電車の中はすし詰め状態、ドアの付近にも人が詰まっています。

ドア付近に、スーツを着た、顔色の悪い女性がいました。


僕はふと、女性に目を奪われていました。

女性は気持ちが悪そうに口を開けると、前を見据えて立ったままえずき出します。


女性は血色の悪い唇から、舌を出しました。

周りの乗客は、一切気にしていないようです。


女性はなぜだか、僕と目を合わせています。


そして出てきた舌はどんどん下へ、どんどん伸びていきます。


電車とホームの間に舌は伸びていきました。


僕は飛び上がりました。

布団から飛び出すと、あたりはすっかり真っ暗になっています。


僕は目を開けることもできないくらい怯えて、手探りで電気を点けました。

どうしてあんなものを見てしまったのか、今もわからないままです。

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