逆巻ひじりのねがいごと
くろゐつむぎ
第一章 二〇二二年四月八日 十五時頃(二)
逆巻ひじりのねがいごと(前編)
さらさらとそよぐ風の音、その中に、ちゃりんと小さな金属音が鳴る。
学生服の少年が投げ込んだ小銭が、音を立てて賽銭箱に飲み込まれていく。
少年が目の前にぶら下がる綱を揺らすと、からんからんと、頭上の鐘が小気味よい音を響かせた。
今、逆巻神社の境内には、彼以外の人影はない。
境内をぐるりと囲うようにして植えられた木々は、閑静な住宅街から逆巻神社を切り離していた。入り口の鳥居のすぐ脇に二体の狛犬の石像が置かれ、右手側に手水所、左手側には物置や寄合所が建てられている。
そして、入り口からまっすぐに伸びた、境内の中央を走る参道の石畳。
その先に、本堂が堂々と佇んでいる。
逆巻神社は地域の人々から長く親しまれた神社だ。ここを散歩コースにする老人も多く、三が日には地元民がこぞって参拝に集まる。
とはいえ、逆巻神社はあくまで地元の小さな神社でしかない。パワースポットでもなければ、特に宣伝になるような有名な逸話もない。こうして人がいないことも往々にしてある。
二礼、二拍、一礼。
参拝の作法をきっちりと守り、少年は神社に深々と頭を下げる。
そして、心の中でお願い事を一つ。
さらさらとそよぐ風の音。遥か遠くで子供のはしゃぐ声が聞こえるような、そうでもないような。それほどに静かな神社。
彼も幼い頃からこの神社に通い、毎年のように参拝してきた地元民だ。それなりに思い入れはあったし、この神社の静かな雰囲気も嫌いではない。
少年は顔を上げた。別に去年の志望校合格を祈願するような、彼にとって切羽詰まったものではない。
今日参拝した理由だって、ただの気まぐれ、なんとなくだ。
高校の入学式が思っていたよりも早く終わり、時間を持て余し、やることもなく自宅までの最短ルートから逸れてみただけ。たまたま逆巻神社の前を通り過ぎるようなことがなければ、ここに足を運ぶことだって考えもしなかっただろう。
さて帰ろうかと、一度足元に置いたエナメルバッグを肩にかけ、振り返る。
「こんにちは! いいお天気ですね!」
「え!?」
少年が振り返るのを待っていましたといわんばかりに、目の前の少女は満面の笑みで元気な声を上げる。
それに驚き、少年は思わず素っ頓狂な声を上げた。
神社の入り口からまっすぐに伸びた、境内の中央を走る参道の石畳。
そこに、少女はいた。
紅と白の巫女装束。そこから伸びる陶磁器のような白く細い手足は、漆塗りの下駄の艶やかな黒と対照的で、お互いの色味をよりいっそう強調させている。
少年とそう歳は変わらないであろう、まだ幼げな顔立ちに似合わない胸まで伸びた彼女の髪は、明らかに染めたものではない、透明感のある白色をしていた。
ふと、風が神社を吹き抜けていく。
風は少女の髪をかき上げながら、木々を揺らす。その隙間から陽光が差し込まれる。
舞い上がる彼女の白い髪が、淡い陽光に照らされて透き通り、新緑の中に溶け込んでいく。
これでもかというほど現実離れした、夢のような光景だった。
それこそ、少年がその光景に見惚れて、言葉を失ってしまうほどに。
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