クロエの結婚

加賀宮カヲ

前編

 長崎にある孤児院。セツコの墓参りを済ませたジョージが、教会の掃除をしていた。クロエは明日、22歳の誕生日を迎える。


 二人は、偶像がいなくなった後、長崎に住まいを移した。

 セツコは、ジョージに施設を託した。


 ジョージは死亡届が出されないまま、死神として甦っている。生活が落ち着いた頃合いを見て、クロエはジョージと養子縁組を結んだ。ようやく戸籍上でも、本当の親子になったのである。


 そんなクロエには、恋人がいた。

 相手はルーカス。


 そう、人身売買組織エデンから、廃棄処分されかけていたくだんの少年である。彼は、クロエを追って日本の高校に入学した。大学時代にITで起業。これが中々に成功を収め、若き社長として忙しい日々を送っている。


 教会の扉が開いて、心地よい潮風が舞い込んだ。


「ジョージ」


 クロエに名を呼ばれたジョージは、笑顔で振り向いた。誕生日会の話だろうか。彼女はあれから『料理が好き』を極めた。調理師免許と管理栄養士の資格を取得し、施設に尽力している。


「たまにはホテルで食事をしないか? お前の手料理が最高なのは分かるけれど」


 口元に手を当てたクロエが、天井の絵画を見やる。「そういえば誕生日だった」と、上の空だ。掃除の手を止めたジョージは、げんな顔でクロエを見た。


 ポーッと頬を赤く染めたクロエは、短く切られた黒髪に手をやった。


「……ルーカスにプロポーズされたの」


「そうか。ルーカスも誕生日にはもちろん呼んで……」


 微妙なすれ違いが親子の間を流れる。素っ頓狂な声を上げたのは、ジョージだった。


「プロッ、プロポーズ!?」


「うん、経営も軌道に乗ったからって。でね、きちんと挨拶したいって言うのよ」


 ルーカスは、クロエと真剣に交際していた。同じ敷地に住むのを拒絶して、下宿を選んだ程である。なし崩しを嫌がる彼は、いつだって真剣だった。


 ジョージはついに訪れた祝福に、そのまま召されそうになっていた。


「俺、ルーカスからお義父さんって呼ばれるんだな……いや、孫が先か? ああ、どうしよう!」


「ジョージ、落ち着いて。順番が滅茶苦茶。挨拶が先でしょ!」


 興奮したジョージが、クロエに顔を近づける。彼女はそんな父が若干、鬱陶しいと感じていた。鼻息がうるさい。


「挨拶はいつなんだ、クロエ」


「それが急で悪いんだけど、明日……」


「急なんて事があるもんか!」


 ジョージ汁を器用に避けたクロエは、頬を赤らめたまま、食事会の場所を告げた。『最愛の人の誕生日と共に、結婚の挨拶をしたい』ルーカスの粋な計らいに、クロエはおろかジョージまで惚れ直しそうになっていた。

 




 ◆





 翌日。


 準備にクロエの倍は時間を掛けたジョージが、ホテルの鏡を覗き込んでいた。髭の剃り残しがどうにも気になる。


「お義父さん」


 予約時間が過ぎていると呼びに来たルーカスに、ジョージが跳びはねた。


「お、お義父さんって呼んじゃうの? 今から?」


「もう幼なじみのクロエじゃないんです。貴方は、結婚相手の父親なんですよ。お義父さんと呼ばせてください。予約の時間が過ぎています、行きましょう」


「はっ……ひゃい!」


 ルーカスは『ジョージの結婚みたいだ』と心の中で微笑んでいた。当事者であるクロエの方がよほど落ち着いている。今日の彼女は晴れの日にさわしい、品の良いスーツを着ていた。


 ホテルの最上階にあるレストラン。ガチコチに緊張するジョージを連れたルーカスは、スタッフに呼び止められて振り返った。


「ルーカス・イノウエ様、コース料理の変更でお間違えはなかったですね」


「……変更、ですか」


 スタッフがボードを取り出し、首を捻る。


「ええ。四名様に変更と昨晩、うけたまわりましたが」


 二人の頭上に疑問符が浮かぶ。「確認をします」笑顔で対応したルーカスと入店してゆく。

 長崎の港が一望できる、最高のテーブル席。そこに見知った後ろ姿があって、二人は声をあげそうになった。


「私は、結婚など許さないぞ!」


「アンタが許さなくても関係ないじゃん。どうやって結婚を知ったかって聞いてんの」


 ふんぞり返ったヨシュアが、ドヤ顔で街を見下ろしていた。先ほど彼は、ワインを注文して、にべもなく断られたばかりである。

 

 ヨシュアは現在、16歳。学生服がまだ、微妙に大きい。


「プルトを買収した。アイツ、ちゃんぽんが大好物だろ。抜かったな、クロエ」


「……馬鹿じゃないの。今から、キングを呼ぶね」


「私は、馬鹿ではない! それから、キングは呼ぶな。しつっこいんだよ、アイツ」


 携帯を取り出したクロエに、ヨシュアが如実に焦り始めた。茫然と立っているルーカスに、しっかりかくしてから、ジョージにこんがんする。


「ジョージだって、この結婚には反対だろ? どこの馬の骨とも分からない若造に、クロエが取られるんだぞ!」


「全く……ヨシュア。俺は大賛成です。これ以上、ルーカスをおとしめるなら、結婚式には呼ばない。良いな?」


 面倒くさいヨシュアの扱いに慣れている二人が、無言でうなずいた。二度目の人生でヨシュアは、クロエを姉そのものとして慕ってきた。


 キングとアンナの子。そして、カインとレイラの子。親戚同然の付き合いの中、気づけばクロエは最年長の子供になっていた。元来、世話を焼くのが好きな性格も相まって、彼女は子供達の姉として振る舞った。


 独占欲が強く、思い込みの激しいヨシュアは、いつだってクロエの後をくっついて歩く子供であった。


 そうこうしている間に、スーツ姿のキングが現れた。

 彼は、あれから背が伸びた。


 16歳のヨシュアより、少しだけ背が高い。

 これも、プライドチョモランマには、耐え難い出来事であった。


 露骨に舌打ちしたヨシュアを軽くスルーして、ルーカスに頭を下げる。


「今すぐ、連れて帰るから。ごめんね、晴れの日なのに」


「いいえ。式の予定などはまた、追って連絡します」


「楽しみにしてる。おめでとう、クロエ。ほら行くよ、ヨシュア」


 テーブルにしがみついたヨシュアは、必死に首を振っていた。ジョージが引き剥がそうとしているが、意固地になって動かない。


「……行かない。コース料理はどうするんだ。四名で変更してるんだぞ」


「ボクが食べるからいいよ。帰りな、ヨシュア」


 キングの後ろから、プルトがヒョコッと顔を出して笑っていた。


「貴様、裏切ったな! 何処まで食い意地が張ってるんだ」


 こうして、三人の死神によってテーブルから引き剥がされたヨシュアは、無事米帝に連れ戻されたのであった。

 




 ◆



 


「もう一回、言って」


「お義父さん、僕にクロエさんをください」


「クゥー!」


 ランチを終えたホテルのレストラン。各々がデザートを突く中、ジョージが何回目になるか分からないおねだりをしていた。

 コースはルーカスらしい、非常に気の利いたものであった。クロエは終始、料理に感激して笑顔を浮かべていた。


 プルトは、レイラとカインの結婚式を経験済みである。キング達は、あのヨシュアがいて結婚式どころではなかった。


 ファッションにうんちくのあるプルトが、ドレスの提案を始める。「気が早い」と呆れながらも、クロエは幸せに満ちあふれていた。


 二人を見て居たルーカスが、ジョージに微笑みかけた。


「僕達を温かく見守ってくださったお義父さんには、感謝しかありません」


「そんな……俺はただ……ヒグッ」


 感極まったジョージが、早くも涙目になってしまった。父の膝に、クロエが手を置く。


「バージンロードは、ジョージが一緒に歩いてね。絶対だよ」


「バージンロードを俺が?」


 うなずくクロエ達。あんまり意味がわかってないプルトもご機嫌だ。ジョージはついに大泣きし始めてしまった。フロアの視線がにわかに集中する。


 そうでなくても、先ほどのヨシュア乱入で視線は痛いほど浴びていたが。


「それから。僕達が別居したからって、遠慮はしないでくださいね。お義父さん、気にするでしょう? だから、先に言っておきます」


 ルーカスの男前な台詞に、ジョージのリミッターが外れてしまった。「きゃぁ」黄色い声を出したアラフィフは、続けて叫んだ。


「俺が結婚したいくらいだよ、ルーカス!」


 レストランが、ざわつき始める。そんな事はお構いなしにジョージが続けた。


「瀕死の子供だったのになあ。いつの間にか、良い男になって……俺は本当に嬉しいよ」


 うれし泣きが過ぎるジョージに、クロエがハンカチを差し出した。「ありがと」素直に受け取るジョージ。最早、どちらが親なのか分からぬ。


 クロエとルーカスは『賑やかな結婚式になりそうだ』と少しだけ困った顔で笑っていた。




 

 ◆




 

 ――結婚式当日。


「解せぬ」

 

 控え室で、未だにごねるヨシュアの姿があった。彼はあの後、二人の結婚阻止をじゆに依頼。キングにバレて、こってりと絞られた。


 式までの三ヶ月、ヨシュアは荒れに荒れた。大人しいのは、ホープ――レイラとカインの息子といる時くらいのものだった。


 とにかく、初恋相手のホープなら説得が可能かもしれないと試みた。


 しかしヨシュアは「私とクロエの絆など、誰にも分からない!」と悲劇のヒロインムーヴをぶちかます始末である。正直、誰の手にも負えなかった。


 ヨシュアは『クロエとの絆』と言い張るが、クロエにしてみれば、彼は自称キングの兄でしかなかった。しかも、ジョージを殺害した上に、成りすましていた男。

 真相を知った時、クロエは大層驚いたものだ。当時の彼女はまだ6歳。

「キングのお兄ちゃんって、赤ちゃんみたいだよね」と言ってしまったほどである。赤子になったヨシュアを見ても、さして驚かなかった。


「ヨシュアだけよ。まだそんな事を言ってるの」


 とうに着替えを済ませたアンナが、呆れ顔で声を掛けた。ロビーには、レイラ達が集まっている。ポーランドの屋敷で一緒だった子供達も、結婚式に駆けつけていた。


 ついに泣き出してしまったヨシュアが、机を叩いた。


「アンナになんか、僕の気持ち。わかんないよ」


「大好きなお姉ちゃんを取られたって思ってるんでしょう?」


「どうして直ぐに分かるんだよ! そこは、分からないって言えよ!」


 アンナは肩をすくませて笑うしかなかった。二度目の人生で、確かに偶像の影響はヨシュアから抜けた。ぎやくせいが消え失せたのである。その代わり、面倒くささが三倍くらいになって返ってきた。


「これからクロエに子供が出来ても、そうやってごねるの?」


「クロエに子供?」


「そうよ。あの二人、子供が好きだもの」


「……それは嫌だ」


 急に立ち上がったヨシュアが、タキシードに着替え始めた。彼は自覚している以上に、子供が好きだった。

 それこそ、かつてのクロエから聞いた時、皆して目を丸くしたものだ。「幼女にすがっちゃったの?」と呆れもしたが。


 その時、キングが控え室に入ってきた。二人を呼びに来たのだ。


「式が始まるよ。うわぁ、アンナ……素敵だね」


 照れ笑いをしたアンナが、ドレスに目を落とす。グリーンを基調としたドレスには、海水を思わせる青の差し色がよく映えていた。


「今日の主役はクロエよ。キングもモーニングが似合ってる、素敵」


 二人の間を、ヨシュアがズヌーッと割って入る。咳払いをした彼は、何故かキングに矛先を向けた。


「直ぐに追い越すぞ、キング。お前は身長が止まったが、私は違う」


「身長の話はどうでも良いよ。二度とじゆになんか依頼するなよ、分かってる? ヨシュア」


「……いや。呪いの研究というのはな。奥が深いぞ」


「「ヨシュア!」」


 キングとアンナにドヤされたヨシュアは、そのまま控え室から引きずり出されていった。





 -後編につづく-

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