千念と因幡、時々蘆屋道満

ぺらしま

第一章 出会い

電話の呼び出し音が聞こえる



微睡みの中、俺は携帯電話の鳴る音で目が覚めた。



電話の呼び出し音が聞こえる



枕に埋めた顔をあげることなく、いつもの場所に携帯はあるはず、と布団から出した手でいつもの場所、ベッドにあるヘッドボードを探す。



電話の呼び出し音が聞こえる



ヘッドボード、いつも置いている場所に携帯がない。

ただ、音は近くで聞こえる。

繰り返し、いつもの場所にあるはずの携帯を探す。

ボードから落ちてベッドにあるのか、枕の上側に手を持っていき、探し始める。

横滑りで探しつつ、イライラするのでボードをバンバンと叩く。

するとパチンとベッドでもボードでもない、何かを叩いたような音が聞こえた。



電話の呼び出し音が聞こえる



違和感のある叩いた音も気になるが携帯が見つからない、朝からイライラする。

「あー、なんなんだよ!携帯どこだ!」

掛け布団を思い切り蹴飛ばし、手を伸ばしながらベッドボードに顔を向ける。

何かを叩いた音の場所、そして枕の上、携帯があるだろう場所を見る。



電話の呼び出し音が聞こえる



男と目があった、目がないのに目が合ったと認識してしまう。

窪んだ目は眼球がなく、頭は剥げているが左右の所々から長い髪が伸びている。

昔、時代劇で見た落ち武者のような風貌だ。

そして、何よりも物理的に不可能な場所に顔がある。

鼻の途中から顔の上半分がベッドに乗っかっていた。

「わ、うわぁぁぁぁ!」

一通り見た俺は叫んだ。

身体を起こしたかったが身体が動かない。

目の前の顔の頭皮から伸びた髪で身体がベッドに固定されているようだ。

首しか動かない俺は見える範囲で自分の身体が髪で黒くなっているのに気づいた。

身動きが取れない。



電話の呼び出し音が聞こえる



「夢か、これは夢なんだな!」

携帯を探していた手は男の頭の上にあった。

パチンと鳴った音はどうやら頭を叩いた音のようだ。

そして頭には角のような突起、その感触が手を伝わって確認できた。

頭にある俺の手は身体同様にごわごわとした男の髪の毛に囚われ始める。

勿論手をひっこめようとした。したのに、手の甲に髪が這ってきたと思ったらもう動かくなっていた。



電話の呼び出し音が聞こえる



そのまま、頭にある右手を拘束され、俺の頭も髪で固定された。

身動きが取れないまま顔と目が合う、時間だけが過ぎる。

俺の手は髪の毛で覆われ、既に見えなくなっている。

身体も同様かと思うと気が狂いそうになる。

鳥肌が立ってるのもわかる、この状況だからという理由だけじゃなく、髪の毛一本一本が動いていると肌が感じとっているからだ。



電話の呼び出し音が聞こえる。



気が狂いそうだ、ただ言葉が出ないってこういう状況なんだろうなって考えられるほど、なぜか冷静だった。

たぶんよく聞く携帯の音が聞こえてるからだろう。

そしてまだ夢の可能性を捨てきれてない。



電話の呼び出し音が聞こえる



姿が見えない携帯、鳴り続ける音。

何も出来ない状況、よく聞くと顔の下半分が無いはずの男から呼び出し音が聞こえた。

するとゆっくりと男の顔が浮き上がる。



電話の呼び出し音が聞こえる



顔はベッドから浮き上がる。

髪の毛で全身を固定されている俺は目線だけを動かす。

ベッドをすり抜けたようにそのまま顔の全体像が見えた。

目はくぼみ、鼻の穴からは何かの液体が漏れている。

頬は痩せこけ、無精ひげが目立つ、そしてその口には携帯が咥えられていた。

「あ、俺の携帯!」

取り返そうとするも右手は頭の上で既に髪の毛で動かせない。

反対の左手は身体と一緒にベッドに固定されている。



電話の呼び出し音が聞こえる



そのまま顔は浮き上がる。

首はない。

身体もない。

顔だけが浮かび上がる。

俺は目線だけを動かす。

顔を横向きで固定された状態で上を見ているため、眼球が痛い。



電話の呼び出し音が聞こえる



浮き続ける顔、その頭に固定された俺の右手が限界を迎える。

「い、いてぇ!いでぇぇぇ!腕が、そっちには曲がらねぇよ!」

ボキン、関節が外れた音が聞こえる。

強制的に可動域を広げられた腕が更に顔と共に浮き上がる。



電話の呼び出し音が聞こえる



「ぐ、がぁぁーー!」

ビチビチビチ、自分の体内、そして耳で肉の裂ける音が聞こえる。

顔は浮かび上がり続ける、腕が裂けていく。

「あぁぁっぁ!!」

ビチャビチャ、グチャン

「あぁ、あぁ、、、腕、俺の腕が」

顔は腕を引っかけたまま、浮かび上がり続ける。



いつの間にか携帯電話の音が消えていた



顔の口元から携帯が落ちる。

「あぁ、俺の、携帯」

利き腕の右手が無い、身体も固定されている状態で、それでも男は携帯で助けを呼ぼうとする。

懸命に顔を動かそうとするが固定されている為、動かない。

数センチ先にある携帯を求める。

舌を伸ばす、固定された左手を懸命に動かし、無くなった右手を使うように右肩だけが空を切ると周辺に自分の血が撒き散らされる。


何分が経過しただろうか、男は動かなくなった。

それを上から見下ろす顔、口元が歪む。

そしてそのまま顔は天井に消えていく。




良く晴れた秋の空、彼女はイチョウ並木がある散歩道を歩いている。

独特の臭いがないので実のならない雄の木のみで植えられているのだろう。

快適に、且つ気持ちよく歩いているように見える。

まだ季節的に早いが黒のハイネックロングコートにペイズリー柄のストールマフラーがよく映える。

頭部には黒のキャスケット帽をかぶり、シャネルのサングラスを掛け、ルブタンのヒールを軽快に鳴らしながらその人は歩く。


トゥルルル

「チ、気分よく歩いているってのに、害するのはどこのどいつだ」

胸ポケットから銀色のチェーンが付いた携帯を取り出して画面を見るとニヤリと笑う。

「おぅ、これはこれはエリート街道まっしぐらの早乙女警部からじゃあないか」

通話ボタンを押し、徐に携帯を口元に持っていくと、深呼吸をして第一声。

「気分よく歩いてるのを邪魔するぐらいの用事なんだろうな、乙女ちゃん」

そのまま携帯を耳にあて、風もない中、落ち葉が軽やかに舞う並木道を笑いながら歩く。

向かう先はいつもどおり、奇異な事件現場。

携帯についた銀色の鎖がキラキラと陽射しに反射していた。



「ガイシャは田中実26歳、会社員。無断欠勤だった為、上司が連絡するも出なかったので寮母に頼んで確認依頼、その寮母が第一発見者です」

「寮母さん、これ見たのかい」

「えぇ、それにしてもこの死に方は、どうなってるんですかね」

「それを考えるのが俺たちの仕事だね」

若い女性刑事の言葉に上司と思われる青年刑事が返す。

20㎡前後の部屋、ベッドに横たわる男の死体。

室内は綺麗に整頓されており、本棚もサイズ順に並んでいる。

壁にはパズルの絵が飾られており、その横に腕が引っかけられ、そこから血が滴り、壁が真っ赤に染まっている。

「それにしても腕を無理矢理引きちぎったような感じだね」

「ですね、見たことがないですし、人の力でやれるのか考えちゃいます」

女性刑事が腕を見ながら顎の下に手をやり、うむむと唸っている。

「こんな現場見ても動じないあたり、女性なのに君すごいよね」

「あ、それモラハラですよ、それに女子の方がホラーとかグロイ系大丈夫な子多いんですから」

現場で話す内容ではないと思い、咳払いを一つ。

「ゴホン、申し訳ない。それにしても犯人は何だってこんな殺し方をしたんだろうね」

「そうですね、怨恨に見えますけどそれにしては異常です」

怨恨の場合の殺人は特徴的だ。

計画性云々は除くと、恨みが強いほど、メッタ刺しやその後に放火など原型がわからないほどの凄惨な現場になるケースが多い。

包丁等の刃物の場合は一度刺したり切ったりした後に歯止めが利かなくなり、そのまま感情任せになってしまうからだ。

「腕だけ、だからねぇ、たぶん死因は大量出血によるショック死だろう」

「でも見てください、自分の携帯を顔の下敷きにしてるんですよ」

そう言ってガイシャの顔に指を差す。

「そうだね、それは気になってた」

「うつ伏せで左手は無事なのに携帯が顔の下にあるっておかしいですよね」

「普通は犯人が最初に取り上げるものだよね。拘束されてる跡があるわけでもないし、片手が自由なら携帯を使えそうなものなんだけど」

「ですよね。殺した後にわざわざ置いたのか、ふぅ、犯人のイメージがつきにくいなぁ」

女性刑事はため息をつきながら天を仰ぐ。

「まぁ、地道に証拠を探そうか、ってどうしたの?」

そう言って女性刑事を見るとは天井を見たまま固まっている。

「あ、あれ」

「ん?」

視線の先は天井、ちょうどベッドの上部分に大きく血の跡が広がっていた。

「確か、さっきまではなかったよね」

「は、はい、床と壁と天井は入室して、すぐに確認してます」

その場に残っている鑑識の担当から回答があった。

その担当も天井を見て、呆然としている。

「これは、こっちの犯人、と言うか事件じゃないかもね」

そう言って青年刑事はコートのポケットから携帯を出し、電話をかける。

「やぁ、千念、いやいや、乙女ちゃんはやめてよね」



「早乙女警部―!」

女性刑事から大きな声で名前を呼ばれる。

大声で呼ばれることがこの年でもまだ気恥しいと感じるのか、と早乙女と呼ばれた刑事は頬をかく。

「大きな声で呼ばなくても聞こえるから大丈夫だよ、因幡さん」

走り寄ってきた因幡と呼ばれた女性刑事に早乙女は声をかける。

「はぁはぁ、そう、ですよね。ふぅー、早乙女警部のお客様をお連れしました!」

そう言って肩で息をしながら因幡は敬礼のボーズを取る。

「ありがとう」

「それにしても警部も隅におけませんね、あんな綺麗な人がいるなんて」

「腐れ縁だし、間違ってもそう言った男女の関係じゃないから」

因幡の話に被せるようにスラスラと答える早乙女。

「おいおーい、相変わらず酷いな乙女ちゃん」

部下である女性刑事に冷やかされそうになったのできっぱりと答えたあと、そんな声がすぐに聞こえたので顔を向けると事件現場には似つかわしくない服装の女性がその場にいた。

パッと見でも高そうな全身真っ黒な服装の女性、斜めに傾けた顔のまま、かけているサングラスを少しずらし、口元をニヤニヤさせながらこちらを見ていた。

「千念、だから乙女ちゃんはやめてよ」

むすっとした顔で早乙女が答えると茶化すような仕草で千念は早乙女の周りをジロジロと見ながら、ぐるりと回る。

「ちょ、何なの」

「いやー、久しぶりの電話だったからまたあの夏の一夜みたいに」

「やめて、そんなことしたことないでしょ」

そんな2人のやり取りを見て、因幡はあたふたしながら声をかける。

「と、とりあえず現場を見てもらえるんですよね?」

因幡の一言で2人は静かに頷いた。


千念を事件現場へ案内すると鑑識が丁寧に室内を確認している中、質問が飛んできた。

「死んだのは一人だけかい?」

早乙女と因幡は顔を見合わせる。

「あぁ、ここにいたガイシャだけだけど」

「ふーん」

千念はそう返すと室内を見回す。

遺体は既に運び出されている、血まみれのベッドと壁、それと天井に広がる血の跡。

「見た感じで普通じゃないのはわかるけど、ウチに連絡するぐらいなんだから違和感があったんだろ?」

「そうだね、右腕が引きちぎられたような状態だったのと最初に入った時にはなかったけど気づいたら天井に血の跡が出来ていた、それと遺体の顔の下にあった携帯かな」

ふんふんと顔を頷かせながらベッド、壁、天井を見る千念、それを見守る2人。

「なるほど、なるほど、なるほど」

「なに、もう何かわかったの?」

「うん、あ、それと死人の顔の下にあったっていう携帯ある?」

「死人って。まぁ、あるけど、まだ調べてもいない証拠品だからなぁ」

「勿体ぶるなって乙女ちゃん、あーなんか昔話したくなってきた」

「わかったわかった」

千念がそう言うと早乙女は因幡に指示を出す。

「ふー、因幡さん、遺留品から携帯持ってきて」

「え、いいんですか?」

「いいよ、彼女は大丈夫だから」


因幡が携帯を持ってくると千念はそのまま早乙女に携帯が入った袋を持たせてじっくりと観察する。

その様子を見て、流石に袋から出してベタベタと触るのは気が引けるのかな、それにしても早乙女警部は何であんなバッチィものを持つように袋の端をつまんで持ってるんだろう、因幡はそんなことを考えていた。

袋の中の携帯に指を差しながら見ている千念、数分もかからずに顔を上げると一言。

「これだね、原因」

「携帯、スマートフォンがですか?」

「そそ、因幡ちゃん、現代の携帯って闇深いよー」

そう言って千念は因幡の腰に手を回す。

「千念、僕の後輩に手を出すんじゃないよ」

「チ、相変わらずお堅いな。ねー、因幡ちゃん」

千念に腰に手を回され、身体が密着した因幡は事件現場とは思えないほど良い匂いに包まれ、ほんのり顔を赤らめながらも気になった点を質問する。

「あ、あの、何でこれが原因ってわかるんですか?」

「ん?」

千念はそういうと早乙女に向き直る。

「もちろん何も話してないよ」

早乙女の言葉を聞いた千念はここに来て一番の笑顔を因幡に向ける。

「因幡ちゅあん、良いもの見せてあげるね」

ゲヘヘと聞こえてきそうな顔を因幡に向ける千念、それを見て身体を強張らせる因幡。

「おい、気持ち悪い顔をするな、後輩が怖がってるだろう」

「ダイジョウブダイジョウブ」

「片言やめろ」

「冗談はさておき、それじゃ、ちょっと因幡ちゃん。」

「は、はい」

「その携帯、持っててみて」

そういうと早乙女は因幡に袋を渡す、おずおずと受け取ると先ほど早乙女がやっていたように袋の端をつまんで持つ。

「そうそう、ちゃんと持ち方見てたんだ、出来る子だね」

人間褒められて悪い気はしないものだ。

因幡の中で千念という存在が得体の知れない上司の知り合いから、良い匂いのする褒めてくれる人にランクアップしていた。

千念はそんなことを考えている因幡を見ながら、先ほどと同じように携帯に指を差す。

すると因幡は携帯と千念の指の間に違和感を覚え、見えたことをそのまま口に出す。

「あれ、なんか、ぼやけてるように見えますけど」

その言葉を聞いて千念は早乙女に苦い顔を向けると早乙女はその顔を待ってましたと言わんばかりの満面の笑顔で応える。

「んー、乙女ちゃん?」

「うん、流石だね。さっきも今も僕には何も見えないや」

「あとで話し、聞かせてもらうよ?」

2人の会話を聞きながらも因幡の視線は先ほどと同じ場所から離れることはなかった。

千念は因幡のその様子を見て、声を掛ける。

「因幡ちゃん、これが何だかわかる?」

千念は因幡に問いかけるが、因幡はそのぼやけた空間に黒い光が集まるのが見えたので声を出す。

「い、いえ、全く、それにあの黒い光?みたいのも見えるんですが」

その声を聞くと三度、千念は早乙女を見る。

早乙女はそんな千念の顔を見ながら、口を開く。

「僕には何も見えないから何の話をしているかなんて皆目わからないんだよね」

とニヤニヤしながら千念を見る。

「いい性格してるなぁ、乙女ちゃん」

そんなやり取りをしていると袋を持っている因幡が声を震わせる。

「あ、あの、なんか黒い光が、すごく大きくなっているんですが」

因幡のその声を聞いて、千念が振り向く。

「え、やっば」

黒い光が一際大きくなったと思った瞬間、室内の空気が一気に冷えた。

部屋に残っている鑑識が急に下がった室温に驚き、あたりをキョロキョロと見回す。

早乙女は以前もこういった状況に身を置いたことがあるのか、静かにに千念を見ているようだ。

千念と因幡は黒い光があった場所に出てきたモノを凝視していた。


「こ、こここれは、いったい!?」

「こいつ、また何かやってたのかな」

千念が因幡を自分の後ろに置き、前面に出る。

2人の目の前には男がいる。

いる、というか顔がある、という表現が正しいか。

眼球のない目は窪み、眼窩から何かの液体が垂れている。

鼻も削げ落ち、唇もないが顔の下半分が真っ赤に染め上げられていた。

髪が異常に長く、風もない室内で揺らめいて、部屋の一面を覆うかのように広がっている。

首も身体もない、その顔の口元が歪に吊り上がったように見えた。


「千念、そこに何かいるんだろうけど、大丈夫そうかい?」

室内の気温が下がり、千念と因幡が何もない中空を見つめているのを見て、早乙女が声をかける。

緊張感を高めている千念は早乙女を見ずに口を開く。

「あー、大丈夫大丈夫、楽勝だよ。ただちょーっとバタつくかもしれないからそこのおっさん連れて、さっさと部屋から出てってくれるとありがたいかな」

早乙女はそこのおっさんと言われた鑑識の人をチラリと見ると頷く。

「わかったよ、因幡さんはどうするんだい?」

不意に名前を呼ばれた因幡は身体を強張らせたが、目の前の顔から目線を動かせないでいると千念が声をかける。

「因幡ちゃんはウチと楽しいことするからここにいてもらうー」

「えっ!」

「そうか、無理はさせないでよね」

「えっ!えぇっ!?」

因幡は2人のやり取りを聞いて顔を猛スピードで左右に振っている。

「それじゃ、鑑識の方、行きましょう」

早乙女はそんな因幡に一言、「がんばってね、因幡さん」と声を掛け、頭上に?を出し続ける鑑識の人を連れて、部屋の外に出る。


「さて、と」

千念は玄関の扉が閉まるのを確認すると、改めて相対している顔を見る。

先ほどと変わらず口元は歪んでいるが、髪はより激しく蠢いている。

「まさか、あの2人が出て行くのを待っててくれた、なんてことはないだろうけどねぇ」

そう声を出した瞬間に、大量の髪が2人めがけて襲い掛かる。

「わ、わーー!」

因幡の緊張感のない叫び声が木霊する室内。

頭を抱えて、身体を丸める防御姿勢をとった因幡は何の衝撃も来ないことを不思議に思い、そっと顔を上げる。

目の前には千念の背中、そして周りに蠢く大量の髪が見えた。

「ひっ!ち、千念さん」

因幡は千念の背中に隠れる。

「大丈夫だよ、因幡ちゃん、よく見てみなー」

そう言われて周りを改めて見直す、因幡。

薄ぼんやりとした壁があるように見えた。

「何かに、遮られて、るんでしょうか」

「そそ、これが結界。これでウチたちには一切触れられないから」

千念はそういうと自身の髪につけていたピンを床に置く。

半透明の膜に覆われた千念と因幡。

その周りを髪が蠢く。

時折、髪が束になり膜をごつごつと叩く音が聞こえた。

「何人喰ったんだか、こいつは」

千念はそう言うと胸ポケットから銀色のチェーンがついた携帯を取り出し、おもむろに操作する。

「ちょ、こんなときに携帯いじってるんですか?」

「うん?まぁ、見てて」

そう言うと千念が持っている携帯の画面から光が現れた。

千念はその光の前に右手を持っていき、いくつか呟くと指を弾く。

ジッとその動作を見ていた因幡から不意に言葉が漏れる。

「指、パッチン」

「そう、指パッチン、そしてほら」

え?という顔で千念を見る因幡に、千念は再度光を見るように促す。

促されるままに視線を動かすと、携帯の画面から現れた光が動いたように見える。

「へへ、ただの指パッチンじゃないんだなぁ」

ドヤ顔で言う千念。

小さな光だったものがウネウネと徐々に変化し、小さい人型の何かになろうとしていた。

千念はそれを指でつまみ、携帯から離す。

「な、なんなんですか、これ」

ニヤニヤ顔の千念、変化している物体。

そのまま、千念が指でつまんでいた部分が腕となり、千念は人型の何かの腕をつまんでいるような状態になった。

「ふっふっふ、これはウチの下僕さ」

「ゲ、ボク?」

現代日本ではあまり聞きなれないワードに頬をひくひくとさせながら因幡はその白い物体を見る。

片腕を掴まれてはいるが逆の腕で、つまんでいる千念の指をガンガンと殴り、逃げ出そうとしている様はどう見ても下僕ではないだろう。

その因幡の視線を感じた千念は人型の白い物体にデコピンをした上でボソボソと声を掛ける。

「因幡ちゃんにかっこいいとこ見せたいんだって」

小声だが距離が近すぎる為、丸聞こえの因幡は聞こえてないふりをする。

すると人型の物体は思案するかのように静かになり、数秒後にはゆっくりと頷いた。

「よし、では始めよう」

千念はそう言うと人型の物体を床に降ろすと自身の口の前に右手の人差し指を近づけ、しーっと静かにする際に使うポーズを取り、目を瞑る。

「ふー、よし」

因幡は千念のその様子を見て、まだ出会って間もないが一番真剣になっていると肌で感じた。

千念の目が見開かれるとのと同時に因幡の緊張もピークに達する。

「出てこいや!」

千念の台詞と同時に口元にあった右手がそのまま天高く突き上げられた。

「ブフォ」

因幡は盛大に吹き出した。

「ブフォって言う人初めて見た」

あははと笑う千念を睨む因幡。

「なんなんですか、ふざける状況じゃないですよ!」

「ふざけてないって」

そういって笑いながら指を差す千念。

白い人型だった物体が徐々に色味を帯びつつ、大きくなっていた。

「わ、え、ちょ」

「あ、ちょっと結界広げるわ」

人型はどんどん大きくなり、気づいたら見慣れない和服のようなものを着た人間がそこにいた。

男、背が高い、180、しかも美形、因幡は瞬時に観察した。


「ちーちゃん、久しぶりやのぉ」

その男はにやつきながら千念に声をかける。

「そうだねー、あっくん」

手をひらひらと振りながらそれに応える千念。

あっくんと呼ばれた男は周りを見て口を開く。

「呼ばれるときは毎度毎度けったいなやつがおるときやのぉ」

「こういう時ぐらいしか用ないしね」

そう言われたあっくんは右手で両目を覆うようにして、上を向く。

「かー、そんなん言われたら傷つくわぁ、いっつも傍におるのになぁ」

「はいはい、今日はウチのパートナーになるかもしれない子がいるんだからさっさとやる」

千念はあっくんの服を引っ張る。

「あ、あの、この方は?あとやるって?それとパートナーとは?」

因幡は今のやり取りの中で疑問に思ったことを尋ねる。

その言葉を聞いたあっくんが目をキラキラさせて、因幡に答える。

「はじめまして、ボク蘆屋道満(あしやどうまん)いいます、パートナーのことはわからないけど、これからキミの目の前でちーちゃんとやることやっ…グフッ」

全てを語ることなく、千念からボディブローが入る。

四つん這いになるあっくん。

「下ネタはウチが担当だから、余計なことすんな」

「いっつー、ツッコむとこそこかい、下ネタはボクの専売特許やろがぁ」

「躾が必要か」

「上等じゃ」

無言で殴り合いが始まった。


因幡はその光景を見ながら頭の中で蘆屋道満の名前を検索していた。

「す、すみません、蘆屋道満って、うろ覚えであってるかわかりませんが、あの陰陽師の?」

それを聞いたあっくんが殴り合いを中断して、再びキラキラした目で因幡に近寄り、両手を掴む。

「因幡ちゃん、結婚してください、仕事は陰陽道師、特技は陰陽道全般です、内緒だけど反魂の術も使えま「おらぁぁ」ウッブゥ」

千念から改めてボディブローが入る。

「やめてぇやぁ、お腹いたいぃ」

泣きながら因幡にすり寄るあっくん。

「因幡ちゃんに近寄るな、触れるな、死ね」

その台詞でピクっと額の血管が脈動するあっくん。

「ただのジョークやないか、それにな対等な立場なん、忘れてもうてるんか」

「よし、とりあえずあいつやってから躾てやるよ」

そう言いつつ、千念は結界の外の何かを後ろ指で差す。

「だから最初(はな)っから協力する言うてるやろがい、躾られるもんならやってみぃ」

その会話のあと、2人はほぼ同時に動き出す。


千念はチェーン付きの携帯を取り出し、あたかも自撮りをするように左手を伸ばした状態で携帯の画面を外に向け、右手を口元に近づけると人差し指と中指を伸ばし、言葉を紡ぐ。

「ノウマクサンマンダバザラダンカン」

一方、あっくんは両手で印を結びながら、同様に言葉を発する。

「リンピョウトウシャカイチンレツザイゼン」

同時に発した二つの文章。

千念の携帯からは神々しい光が溢れ、光と共に炎を纏った剣が現れる。

あっくんの前面に幾本の縦と横の線が重なった図形と六芒星が立体的に現れ、そこから千念の携帯に青白い光が延びる。

青白い光が携帯を包むと剣と炎の存在感、威圧感、そういったものがより強固になったように感じる。

「こ、これは」

因幡は眼を逸らすこともできたのに、何故かその光から視線を外すことができなかった。

「よっしょ、やっちまぇぇ」

千念の台詞と共に、炎を纏った剣が飛び出し、結界をすり抜け、首に刺さる。

刺さった箇所をから蒸発するようにあっけなく消えていくのだった。

首は自身が何をされたか理解もしていないように、最後まで髪の毛を結界にあてていた。


「ふぃー」

「余裕やな」

2人がハイタッチしているのを呆然と見ている因幡に気付いた千念が声をかける。

「因幡ちゃん、大丈夫?」

「だ、大丈夫じゃないですぅ」

因幡は突発的な出来事が起こり、恐怖よりも先に混乱していたが、無事とわかったことにより潜在していた恐怖が押し寄せてきていた。

涙を流して、千念に服に掴まる因幡を見て、千念は優しい笑顔を見せる。

「怖かったよね」

「はいぃぃ」

あっくんは子供の頭を撫でるような慈愛に満ちたその光景を微笑ましく眺めている。

「守ることができてよかった」

「はいぃ、ありがとうございます」

「こういう事件があったらウチを呼ぶんだよ」

「う、ぐす、もちろんです」

しばらく頭を撫で、因幡が落ち着くと改めて声をかける。

「そろそろ行こうか」

「そ、そうですね、警部も待ってるでしょうし」

そう言って立ち上がると玄関に向かう2人。

そして千念がちらりとこちらを見た後、そっと携帯を触ったのをあっくんは見逃さなかった。

「因幡ちゃん、ちょっと部屋に忘れものしちゃった」

「あ、それなら」

振り返った因幡の視界に映ったもの。

千念の背後に現れたのは、あの首だった。

今にも千念の首に噛みつこうとする首。

「だ、だめーーー!」

因幡が叫ぶのと同時に出した自身の両手。

そこから湧き出る白い光の奔流に首は流され、かき消される。

震える両手を動かすことが出来ないまま、因幡は千念に視線を向ける。

「な、なんか、出ました」

千念は先ほどと同じような優しい笑顔を因幡に向け、震える両手をゆっくりと下げさせ、頭を撫でる。

「今度は因幡ちゃんに助けられたね」

そう呟くと、因幡はガクンと膝から崩れ落ちる。

「あ、あれ、立てない」

「制御せずに力を使ったからかな、たぶん明日は全身筋肉痛になってると思うよ」

千念はそう言うと因幡に肩を貸し、玄関に向かう。


「因幡さん、大丈夫かい?」

早乙女は、玄関から出てきた千念と因幡を見て、声をかける。

「は、はい、ちょっと力が抜けちゃって」

因幡はそう言うと、てへへと声が出るような笑い方をする。

「乙女ちゃん、ウチにはなんもないんかい」

「君はピンピンしてるじゃない、いつも」

早乙女はそう言うと、因幡に説明を求めた。

「それで、体調悪いとこ申し訳ないけど、どうだったのかな?」

「え、えぇとですね、なんと説明すれば」

あたふたする因幡を見て、千念が割り込む。

「ウチと因幡ちゃんで悪党を退治した、以上」

ドヤ顔の千念を見て、ため息をつく早乙女。

「千念が絡むと報告が毎回大変なんだよね、早く専門の部署作ってくれって催促しないと。あ、あと因幡さん、このあとは病院で念のため、検査を受けてね。そのあとは休暇を取ること」

そう伝えると早乙女は離れたところにいた鑑識の人と話を始めた。


「お疲れさん!んで、なんやの、因幡ちゃんは」

あっくんが2人に声をかける。

早乙女がいた時も2人の後ろにいたのだが気づかれることはなかった。

「まぁ、やっぱり気になるよね」

「当たり前やないか、あんなん見たの久々や」

「ウチは初めてだったなぁ、いつ頃見たの?」

「あれはー、アリちゃんやな」

「アリちゃん?誰だよ」

「あー、土御門のやね」

「けっこう何人かいるだろうが」

「しゃーないやんけ、そう呼んでくれって言われたんやから」

「そのアリちゃんだって聞いてんだよ」

「どのアリちゃんでもええやんけ」

2人が何やら言い合いを始めたが、因幡の耳には何も入ってこなかった。

自分が何者なのか、知らないといけない、そんな強迫観念が押し寄せてきていた。

確かに、今までも見えないモノが見えてしまった時もあった。

ただ、テレビとかのメディアでもそういうモノが見えるという人はたくさんいた。

自分と一緒で【自分にしか見えないモノ】だから詐欺だとか嘘だとか言われるんだと。

子供の頃は話していたけど、思春期に入り、話さなくなったんだと。

これは、個性という括りのものではない、と因幡は気づいたから。

警察を志すきっかけはあった、そして刑事になり、こういった現場に居合わせることも多くなった。

その瞬間、因幡は唐突に思い出した、何度目かの事故現場。

あの時、彼女と話していた、それをそのまま現場責任者だった早乙女に報告をしていたことを。

それがきっかけで事故ではなく、事件としての捜査となり、犯人を捕まえられたことを。

あれ以来、早乙女が外出する際には必ず同席するようになったことを。

「警部は気づいてたんだ」

言い合いをしてた千念がその因幡の呟きを耳ざとく聞いていた。

「乙女ちゃんはああ見えて、色々考えちゃってる系だからねぇ」

背後から聞こえた千念の声に振り向く因幡。

「わ、私は、何者なんでしょうか、父も母もそんなそぶりもなくて、それに、こんな風に見えたりって、小さい頃と違って今は怖くて聞けなくて。あとあの手から何か出たのとか、あれは何なんだろうって」

因幡は想像以上に自分がパニックになってると自分で喋りながら気づいた。

とりとめもなく喋り続ける自分に対して、更に気が動転する因幡。

「おちつきーや、因幡ちゃん」

あっくんが因幡の肩に手を置く、その手は淡く光っており、因幡は不思議と落ち着いていくのがわかった。

「あ、ありがとうございます。でも、そういう力が、私にもあるってことですか」

あっくんが千念に目線を向ける。

「そうだね、因幡ちゃんはウチらと似た力を持ってると思う」

「同じではなく、似た力、ですか」

千念はうんうんと頷く。

「そう、ウチとこいつの力も似て非なるモノだからね」

そういうとあっくんもうんうんと頷く。

一度空を見上げた千念は因幡に向き直る。

良く晴れた秋の空、殺人現場とは思えない恰好の千念がヒールを鳴らしながら因幡に近づく。

「一緒に調べよっか、因幡ちゃん」

因幡の顔に両手を添えて、千念は笑顔で伝えた。

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千念と因幡、時々蘆屋道満 ぺらしま @kazu0327

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