第40話 天才の懺悔
私には一応今も家族がいる。つい先日全てを失ったアイツとは違うのだ。でも、あいつみたいに一歩引いて考えることはできなかった。そういう点ではあいつは大人だと思う。ただ、そうさせたのがその親というのは皮肉なものだが。
父と母、それと二つ離れた兄貴がいた。父と母の関係は最悪で、私が小学校の頃に離婚した。原因はお互い不倫していたからだ。発端は私が見つけた、使用済みの避妊具。見つけたときに吐き気がしたが、父を問い詰めると母も不倫していると言い出しそのまま離婚。
「お前のせいだからな、責任取れよ。全部お前のせいだ」
兄からはお前が均衡を崩したと、全ての元凶のように扱われた。理不尽だった。それもそのはず、兄は初めから知っているようだった。自分が今まで頑張って隠していた努力をあっさり、踏みつけられたように感じたのだろうが、そんなことしている方が悪いだろう。大前提がおかしい、不倫する奴が悪いだろうにと、当時小学生の私は両親を心から馬鹿にしていた。
兄は陰で努力して、自分の力を見せつけるタイプだ。中学から始めた野球で、一年生ながらレギュラーを勝ち取っていた。そんな兄からすれば、引きこもってパソコンとにらめっこしている自分など、遊んでいるようにしか見えないのだ。部活から帰ると、その日の鬱憤を私を“汚す”ことで晴らしていた。血は争えないと心から思った。体中に痣ができて、あちこち血が出て隠すのが大変だった。そんな私を気に掛ける奴がいた。
「付きまとわないでよ、この前、私はあなたを」
「それが何だって言うんだ、この痣だれにやられたんだよ、誰だ教えろ、俺がやり返してやる」
そういえば、小学校五年生の頃の治人は男の子らしい言葉遣いと態度で、痣だらけの私が来になり、付きまとっていた。きっと自分の強さを証明したいのだろう。かわいらしいものだ。と考えたが、この頃の治人はどこか何かを諦めているようだった。多分心を埋めるものを探している、寄りかかって依存するものを探している。その考えに行きついた時、案外似た者同士なのかもしれないと思って、近所の神社の階段に座って全てを打ち明けた。ありのままに。するとあいつは、頭をかいて笑った。
「よくわかんないけど、いじめられてるんだな」
「違うけど、そうとも言えるね」
「ならやっつけに行こうぜ」
これを書いている今なら言える、やめておけと。でも、当時の私はあのクソ兄貴がどんな態度になるのか気になっていた。あの内弁慶な兄が、どんな態度になるのか。格下相手に慎重になるのか、それとも、相手にしないのか。
そんな好奇心は治人を傷つけた。
「オゴォ、うヴぇ、痛ぇ」
「やめてよ!ねえ、もういいでしょ!」
「チョーシ乗ってるお前が悪いんだからな、こんなやつは、こうだ‼」
兄は軟式の野球ボールを治人に向かって何度も投げていた。致命傷にならない程度に加減して、加虐を楽しんでいた。数ヶ所に痣ができて、痛々しかった。治人はこんな気持ちで心配していたのだと初めて理解した。
止めても止まらない兄を、どうにか止めたかった。しゃがみ込んで、自分の無力さを泣いた時。頭の中で声がした。普段モノローグを語る自分じゃない、男の声。男は言った。
『こんな奴、やっちゃえよ』
意識がトンんだ。でも、記憶はある。この惨状を作り出したのは自分だという実感もある。右手には血だらけのバット。幸いなのは治人が気絶していたことだった。
こんな姿を見られなくてよかったという安堵感に包まれていると、サイレンの音が聞こえた。それを皮切りに体中が重くなって、その場で寝てしまった。
次に目を覚ましたのは病院のベッドの上。体を起こすと泣き崩れている母親が見えた。私を見るなり、いつか言われた言葉をまた、言うのだ。
「全部お前のせいだ・・・お前なんか生まなきゃよかった」
動けない私の首に手をやり、息ができなくなる。このまま消えてしまえばいいなと思っていた、でも、神という奴は希望を失うギリギリで救いの手を差し出し、ブラック企業の社員のようにこき使うのだ。
病室の前を通った看護婦に止められた母は、錯乱し看護婦にも危害を加え逮捕された。父親は「ざまあないな」と笑っていたのを覚えている。自分の息子が死んだというのに、平然としている。
「これで、邪魔な奴はいねえな」
退院した後、兄と同じように私を“汚し”て喜ぶ、父。どうやらこの父親には、愛情というものが欠けているらしい。それでも生活費に加え、遊べるだけのお金はくれたし、パソコンも用意してくれたりと、なんだかんだ見返りを用意してくれた。
このころからだ。私じゃない私が、私の体を動かし始めたのは。
「ここは、こうして・・・」
寝る魔も惜しんで、私の体は勝手にキーボードを叩く。嫌でもなかったし、楽になれるなら別にいいやと、私は奈落の底に沈むことにした。
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