第5幕
回想。
今のは回想だ。
ふと頭に流れた。
夢のような没入感を伴っていた。
でも夢じゃない。現実に起きた事である。
夢であればよかったのに。奴が存在しなければ良かったのに。
苦い。苦しい。泣きたいし吐きたい。だめだ。気を逸らさないと。僕はきっと死んでしまう。そんな気がする。僕は目の前の川に集中する。視覚、聴覚、嗅覚に集中する。
無駄だ。
吐きそうだ。熱い。胃が熱い。これは怒りなのか、嫉妬なのか。暗くて激しい感情がフィルターを作るのだ。そのせいで川に集中できない。唇を噛んでみる。だめだ。痛覚も麻痺している。フィルターが、壁が、檻が、強すぎる。もう逃げれない。何かが迫ってくる感じがする。窮屈だ。やはり吐き気。身動きが取れない。無理だ。
もういっそ身を任せてみよう。吐きかけているなら吐こう。
死にかけているなら死のう。
「君」
苦痛が快楽へと昇華した。
たった一言。
たった一言。
フィルターが崩れ行く音が聞こえるかのよう。
救済である。そのかすんだ一言は僕には神々しく聞こえ、福音だと思われた。
世界に色が付いた。鮮やかに。
花の豊かな香りがする。川の凛々しい音が聞こえる。
バラバラの破片となったフィルターは再構成して万華鏡となったのだと思う。
現実を幸せな状態にアレンジしてから僕に届けるのだ。
僕の中にあふれるこのはち切れそうな気持ちは幸福感に違いない。
僕は今、幸せなんだ。
その瞬間から、僕は老人を先生と呼ぶことにした。
「オマージュと盗作の境はどこにあるだろうか。君はどう思う」
あまりにも唐突だ。がしかし先生との会話は至福である。
最大の救いである。
僕は心から考えた。
「元のモデルに対して尊敬の念を持つか、悪意を持つか、でしょうか・・」
先生はにこりと微笑み
「初解答としては上出来だ。ふむ。じゃあもしわたしが太宰治の『駆込み訴え』を大変尊敬していてその話に出てくるユダたちを現代人に当てはめて物語を作成した場合、これは『パクリ』になるかね」
僕は困惑して何も答えることが出来なかった。
すると先生はにやりと笑ってささやいた。
「実はね、とあるサイトで小説を書いていたのだが、読者からね、太宰のパクリと言われてしまったのだよ」
僕は思わずにやついてしまった。
なるほど、どうやら先生は心配性らしい。
「オマージュです。安心してください」
明るい。そして甘い時間が流れた。楽しい時間は一瞬だということは知ってはいた。でも人生でそんなことは経験したことがない。こんなにも早いとは。
寒い風が吹きだしたころ先生がおっしゃった。
「いやあ、今日はだいぶ笑ったよ。おっと、もうこんな時間だ。家に帰りなさい」
僕は先生の目を見てはっきりと言う。
「わかりました。それではまた明日」
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