126話 高鳴り(黄泉side)
冥府、地獄、黄泉国、あの世、あらゆる名で呼ばれる死後の世界には死した魂だけでなく強大な魔神や魑魅魍魎達が蠢いている。
だがその魔神達すら畏れ関わる事を避けるか存在を無視しなければならないものがいる。それは死という概念から始めに生まれた存在であり最強最古の神としてその世界に君臨していた。
かつてはその座を奪おうと数多の神や魔性が挑んだ。だがその全てが存在ごと消されていき、いつしか挑むものはいなくなった。
あらゆる神霊悪鬼が畏れるそれの下には無力な魂達や自ら
それは自ら動く事はなかった。自らの世界といっても過言ではない死後の世界の情勢など欠片も興味はなく、ただあの世とこの世の生死の理が正しく循環していればそれで良かった。
「ふふ」
玉座に腰掛ける者が小さく笑いながら指を振る。目の前に淡く光る魂が現れるとそれは静かに頭を下げた。
「この度は誠にありがとうございました」
「構わぬ、此度は我が気まぐれのものだ。故に礼も不要である」
下がれと命じられた魂は再び頭を下げてその場を後にする。傍で無言を貫いていた従者が静かに口を開いた。
「珍しいですな」
「何がだ?」
「少なくとも私が仕えてから気まぐれを起こした事など一度もないと記憶していますので珍しいと」
従者の言葉にそれは思わず笑みを浮かべる。言われてみればこのような事は今までしてこなかった。
「それに御身が自ら加護を与えるなど、他の者達が知ったら驚愕で顎が外れてしまうでしょう」
「なんだ、気付いておったか」
「それほどまでに気に入りましたか?」
従者の言葉に頬杖をつきながら黙考する。思い浮かべるのは神である己に臆する事もなく立ち向かい、そして勝利した一人の男だった。
その男が見せた魂の輝きが、己から見れば瞬く間の命を燃やして挑む姿は不思議と眼に焼き付き胸を高鳴らせた。
「そうだな」
知識として有していても抱く事はないと思っていた熱の様な感情、それは存外心地好いものだった。
「人とは、命とはあれほどまでに輝き美しくなると初めて知った。それに矮小な器であったとは言え我を負かしたのは奴が初めてだ」
「他の神々は与太話だと思うでしょうな。御身を負かしたのが神でも魔でもなく人なのだなど……」
「ふふ、貴様も最初は随分と驚いていたからな」
「コホン……それであの器はどうしましょうか?」
「捨て置け、我にはもう必要ない」
些事には片手間で答えながら片眼を瞑る。加護は世界の境を越えて与えた者の姿を脳裏に映し出していた。
「ああ、そうだ」
「?」
「我はこれより黄泉と名乗るとしよう」
「黄泉、ですか……ではこれより黄泉様と呼ばせていただきます」
「うむ、悪くない響きだ」
今までは名前に興味もなかった。だがあの男が何度もそう呼ぶのを思い出すとこの名がしっくり来る。
「貴様の生き様を肴に来るのを楽しみにしているぞ、ベルク」
部屋の鏡に玉座に座る者の姿が映る。純白の髪と肌に均整の取れた肢体を黒の衣装で身を包み、見た者の魂を奪ってしまうのかと錯覚するほどの美貌を持った女神の姿が……。
死の女神“黄泉”……その名が死後の世界に広まるのはもう少し先の話である。
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