第22話 かぶ
生協のカタログを見て、蕪の旬の終わりが来たことに気付いた。
インボイス制度が始まったころから近くのスーパーが近隣の契約農家との野菜の取引を止めてしまい、新鮮な状態のものが気軽に手に入らなくなったため、蕪と蓮根は毎週のように注文していた。
蓮根と同じく、蕪は子どもの頃別に好きでも嫌いでもない野菜の一つだった。
出された料理は残らず食べないと母の機嫌が悪くなるから機械的に食べる…、それがありありと出ていて本当に悪い子どもだったなと思う。
よく母が食卓でブチ切れて、それを兄が冷めた目で見つめるのがセットの夕食。
子どもの頃の毎日の食事が美味しくなかったと後に兄嫁に語ったらしい。
ちなみに、その頃出張続きの父が夕食を共にするのはめったになかった。
久々に起きている時間に帰宅した父に会うと、『このひと、こんなに足が短くて大丈夫か?』とかなり失礼なことを本気で心配したくらい。
トウモロコシと苺とりんごと菓子は喜んで食べるがそれ以外はどうでもいい感が出ていて、 忙しいなか、なんとか食べる気を起こさせようと奮闘する母は、なんども心が折れていたことだろう。
今でいうワンオペで彼女の若い時間は過ぎていった。
母が子育てをしていた年を越えてからその大変さを感じ、何度も後悔している。
話を蕪に戻そう。
蕪をおいしいなと感じるようになったのは、結婚して自分で日々のご飯をつくるようになってからだと思う。
実家にいる頃は母が買いそろえた食材を彼女の指示でちょっと皮を剥いたり刻んだり、鍋の中の様子を見たりする程度で、全責任を負う事はあまりなかった。
休日に肉じゃがとかカレーとかシチューとかグラタンとか、初心者向けの料理を担当する日もあったし、母が事故に遭って入院したりしていたころは料理していた筈だけど、それはしょせん仮初だという気持ちがあって、ほとんど記憶にない。
…パラサイトシングルゆえに経済観念がなかったので、ものすごく高いイサキを魚屋買って塩焼きにして母に後にバレて驚かれたことは、さすがに覚えているが。
ああ、また話がそれてしまった。
私の中で蕪と言えば、おせち料理の定番でもある酢蕪。
酢の物好きの夫も喜んで食べる一品だ。
作り方も簡単(飾り切りでない方)で、茎と切り離し皮をむいた蕪を縦に四等分してスライス切りし、塩をまぶしてしばらく置いたら、絞って水気をとり、細かく折った昆布と酢と、砂糖少々を混ぜ合わせて、清潔な瓶に詰めて出来上がり。
冷蔵庫に保管で常備菜として一週間はもつと思う。
同じく冬に良く作る蓮根の酢の物と大根の酢の物とはちょっと違う、ほんのりとした蕪特有のうまみが一緒に漬けた昆布によって引き出されているのが特徴だ。
その蕪の旨味というか甘みというか。
それをもっとも楽しめるのは熱を加えた時だろう。
しかも、蕪は火が通りやすい。
最初はスープや豚汁鶏汁の具として楽しんでいたが、ふと、豚の無水鍋でいけるんやない?と思い、先日試したところ当たりだった。
ここのところ、短時間で手軽に作れることから我が家の夕飯は豚汁鶏汁丼もの豚の無水鍋がぐるぐると輪になって巡っている。
家族がそれでいいと言うので甘えているのだが、ようは夕方から筆がのる私のせいだ。
ちなみに豚の無水鍋は最初白菜と豚のミルフィーユから始まったのだが、間に挟む手間が面倒臭くなり、フライパンにまず白ネギのスライスとキノコ類を敷き、その上に適当に切った白菜を重ね一番上に豚肉のこま切れを載せて、周囲の空いた空間にミニトマトを配して味醂と酒をまわしかけ、刻み生姜を散らして蓋をして火にかける。豚肉に火が通ったら春菊など上から散らして数分蒸して終了、皿に盛ったらポン酢をちょっとかけて出来上がりという二十分で晩御飯的な料理になった。
これで豚肉以外の具材をどんどん変えるようになり、先日思いついたのは蕪を一番下にして作る無水鍋。
まず厚さ三ミリ程度の輪切りにした蕪をフライパンに敷き詰めて、斜め輪切りスライスした白葱をちょっと散らした上に、一ミリ程度の輪切りにした蓮根を敷き詰め、シメジなどのキノコ類をさらに乗せ、その上に豚小間を広げて被せる。できれば周囲に刻んだトマトを入れ、後はおおむね前述の通りの調味料だ。
蕪も蓮根も火が通るのは早いし、何より蕪から程よい水分が出るので酒みりんトマトとあわせて焦げ付くことなく綺麗に蒸しあがる。
最後はポン酢をお好みの量ふりかけてそれぞれの味を楽しむだけだ。
この時、蕪の甘みと蓮根の良さが最大限に引き出されるし、なによりフライパン一つで事足りるので、体調が思わしくない時でもなんとか作ることができるし、あっさりしているから食欲がなくても食べられる。
そして、口に入れたらとろりと舌の上でとろける蕪の味がなんともたまらない。
とろり、じゅわりとほどけていく、蕪のあまみと繊維。
これは大人になったからこそ好きな食感なのかもしれない。
誰もが知る定番絵本『おおきなかぶ』で、なぜおじいさんとおばあさんたちはかれほど必死に蕪を引き抜こうとしたのだろうと、子どもの頃の私は正直不思議でならなかったが、今なら解る。
おいしいからだ。
ここのところ、色々あってこのエッセイを更新できなかったせいで旬を逃し、それなのになぜ書くかと思う方もおられるだろう。
今は二月も下旬だからこそ、私は書く。
なぜなら月日が過ぎるのはあっという間で、きっと気が付いたら蕪の季節は目の前にやって来るからだ。
蕪が手に入るようになったらぜひ試して欲しい。
生で食べても、火を入れても。
蕪はたまらん野菜です。
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