第18話 サーモンのマリネ



 いつのころからか、私の中で野菜に対する執着が増している。


 野菜度の低い食事が続くと、ちょっと…。

 その、少し。

 気が狂いそうになる。


 上手くは言えないが、私の脳と細胞が野菜を求め暴走してしまうのだ。



 その中で一番古い記憶は、職場の先輩と二人で行った格安パリ旅行だった。


 確か十二月の下旬に五泊で往復の飛行機と宿と朝食のみのプランだったと思う。

 軽いノリで行くことになったそれは時間の許す限り美術館を回る弾丸ツアーで、途中からあることに気付いた。


 私と先輩はとことん内弁慶なのだと。

 オールフリーの海外旅行で、この組み合わせは最悪だ。


 私は前年に学友三人とロンドン周辺を巡り、先輩もまた友人たちといくつも海外旅行へ行っており、互いに旅慣れていると誤解していたが、二人とも積極的に行動する友人の後ろについていく、受け身的な…。

 そう、お荷物だった。


 そんな私たちは、パリのオシャレなカフェやレストランの扉をくぐる勇気などない。

 そういやパリなのにバーガーキングへ行った。


 ようは、軽食のみできちんとした食事ができないまま日々は過ぎ、一度くらいは…と互いに思い、ガイドブックで見つけたのがオルセー美術館の中にあるレストランだった。


 まず、目をひいたのがお手頃価格だったこと。


 あと記憶がおぼろげで確かではないけれど、日本語メニューもしくは英語のメニューがあったのが決め手になり、行くことになった。



 そして挑んだ当日。


 基本的には前菜、メイン、デザートをいくつかのメニューから一つずつ選ぶ方式で、私が飛びついたのは『サーモンのマリネ』だった。


 私の想像するサーモンのマリネとは、酢とレモンと砂糖と一つまみの塩コショウを混ぜ合わせた中にパセリや玉ねぎや人参やピーマンなどのスライスをしっかりなじませ、そこにちょっとご褒美的なサーモンが顔を出す家庭の味だ。


 比率で表現するならば、野菜九割、サーモン一割。

 サーモンの比率が上がる時は正月やお客様をお招きする時くらいか。


 これでやっと野菜をたくさん食べられるとうきうきしながら待っていた私の前に給仕が微笑みを浮かべて置いてくれたのは、皿いっぱいに敷き詰められたスモークサーモンだった。


「え? やさい…野菜は? マリネだよね?」


 想像と全く違う料理に、かなり動揺した。


 植物性のものは、皿の真ん中にちょこんと、一つまみのフェンネルがのっているだけ。


 これにそっくりなものを私は知っている。


 ふぐ刺しだ。


 しかしあれは一切れずつ小ねぎを巻いて食べるため、まだ野菜の量が多い。


 予想外の展開に頭が付いて行かず、石のように固まった。

 サーモンの原価を考えたらかなり太っ腹なのかもしれない。

 いや、需要が高い分お安いのか。

 いやいや、そう問題ではなくて。

 そもそも実家で食べていたマリネはしょせん日本の庶民の懐と舌に合うようにアレンジされたものなのだ。


 ご褒美食材の大人食いをこの時私は経験した。



 次にメインで選んだのは一番無難そうに見えた牛のステーキ。


 もう本当に記憶がおぼろげなのだけど、これまた付け合わせの野菜がほとんどなく、大盤振る舞いに厚みのある大きな肉のみだった気がする。

 もちろん美味しいが、もうしわけないことに当時小食だった私は圧倒されてとても食べきれなかった。



 そして最後はアップルタルト。


 ここでヨーロッパスイーツの洗礼を受けた。


 日本の小さめにカットされたケーキを基準に考えた己の愚かさに笑うしかない。


 現れたのは厚さはさほどでないものの、直径十二~十五センチくらいのワンホールのアップルクランブルだった。


 見た目も綺麗で、美味しい。

 とても、美味しかった。

 バターがたっぷりで、サクサクしていて、りんごは甘酸っぱくて。

 パリで食べたものの中で一番好きな味だった。

 だけど、当時の私の胃袋はとても小さく、四分の一で十分。


 こんなにボリューミーな料理をみんなは食べきれるのかと思わず周囲を見渡したら、すぐ隣の席で灰色の髪も美しい初老のカップルがテーブル越しに片手を繋いだまま、微笑みを浮かべ見つめ合いながら器用かつまたたくまにデザートを平らげていった。


 体格の違いなのか、習慣の違いなのか、その頃の私の胃袋がアカンかったのか。

 とにかくいろいろと衝撃を受けたランチだった。

 ちなみにその恋人たちの仲睦まじさに、野菜への欲望は霧散した。


 今更だが、その衝撃の前菜のあじのきおくは全くない。

 視覚のみが私の脳に刻まれている。


 その後年月が流れ、シェフが変わったのだろう現在ネットで見る限りはだいぶ内容が違い、ふぐ刺し状態ではない(執念深い私を許して)。


 それから私自身がだんだん食べる事に対して意識を持つようになり、色々な人と色々な物を食べて楽しめるようになっていくうちに、ようやく気付いた。


 あれは、お酒をたしなむ人に好まれるメニューだったのでは。

 もしくは、肉が大好きなシェフだったのかもしれない。


 私は正月のお屠蘇の盃一杯飲み干しただけで具合が悪くなる下戸だ。


 薄味のものを野菜中心で食したいたちだが、それは酒をたしなむ習慣がないからだと思うようになった。


 日本酒に合うとか、

 ビールに合うとか、

 ワインに合うとか。

 そのキーワードがいまいちぴんと来ない。

 下戸の辛い所だ。

 酒が飲めたらどんなに人生楽しいだろうと思い続けて長い。


 そのせいなのか、肉尽くし魚尽くしで野菜は添え物以下のコース料理がちょっと苦手である。

 手に入らないものほど欲しくなるのが人のサガなのか、そんな時ほど強烈に野菜が食べたくて仕方なくなるのだ。


 もはやこれは病。

 野菜依存もしくは渇望症と名付けて良いと思う。


 ついでに告白するが、人参大根牛蒡蓮根などの根菜もしくは芋類を食べるとものすごく身体に良いことをしたつもりになり気分も上がる。

 根拠は何もないが、とにかくこれらを摂りさえすれば心が落ち着くのだ。



 ちなみに、これが常態化しているわけではないあたりが、なんとも私らしいいい加減ぶりで、家族が長期出張で不在の時など、一人分のご飯を作りたくない私はジャンク食に走る。


 その数日間はわりと平気なので、野菜渇望スイッチがオフなのだろう。


 とことん調子に乗ってジャンクの宴が繰り広げられる。

 その辺は親を含めて皆にバレバレなので、次第に周囲から時々チェックが入るようになってしまった。

 勿論そんなときは、『ウン、チャントタベテルヨ。ダイジョウブ』と定型文で返す。

 きっともう誰も信じていない。



 野菜、大事。

 私にとって、おそらく。



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