第12話 フィッシュアンドチップス


 某有名ファミレスがイギリス料理フェアをやっていて、行ってみたいと思いつつもなかなか機会が巡ってこない。


 もともとヨーロッパの中世の暮らしに興味があり、古い時代の食に関する本を読んでいるうちにビジュアルに惹かれてヴィクトリア期の女性料理人の本に手を出し、やがてとうとうイギリス在住経験者の書いた紀行本を手に取ってしまった今、コテージパイやパスティを猛烈に食べたくなっている。


 この組み合わせは危険だ。

 もっと育ってしまうじゃないか、脂肪が。


 これにフィッシュアンドチップスなんかを加えたらもう、断食覚悟で挑まねばならない気がする。

 こんな時、超絶下戸で良かったと思う。



 ところで、フィッシュアンドチップスはイギリスで食べたことがある。


 前述の『イギリスの紅茶』の学友四人旅の最中のことだ。


 多分、ストラドフォード・アポン・エイボンだったはずだが、記憶が定かでない。

 土産物屋などの立ち並ぶ観光地らしい場所を歩いていると、とある屋台を見つけた。

 なんと、フィッシュアンドチップスが売られていたのだ。


 文字列でしか知らないフィッシュアンドチップスが目の前に…。

 当然昼ご飯はこれに決定だ。


 うきうきと注文し、舟形の紙の箱に盛られたそれを受け取り、ぱくりと一口食べた。


「ん?」


 普通かも…。


 そんな言葉が出たような気がする。


 分厚い衣に包まれていたのは白身魚。

 身の厚みから考えて多分タラだった。


 全員みなまで言わなかったが、社員食堂や学食、もしくは安めの弁当屋などで見かける白身魚のフライが頭をよぎったのではないか。


 チップスに関しても日本のハンバーガー屋で食べるポテトフライと同じで、少なくともこの屋台のものはとりたててうまいというわけではなく。


 買う前より少し、私たちは静かになった。

 期待が、あまりにも大きすぎたのだと思う。

 普通のファストフードだと思えば、十分満足のいくものだ。



 あの時の事を時々思い出すのだが、この年になって色々見聞きしているうちにああそうなのかと合点がいくことが多い。


 まずは、タラについて。

 私にとってタラは水揚げして干した棒鱈が思い浮かぶ。

 父方の祖母がお盆のころになると棒鱈を水でもどして酒みりん醤油で煮たものを作っていたことがあり、なんとなくあの煮詰められてぎゅっと繊維質な口当たりになった状態を想像してしまう(あくまでも祖母の料理において)のだが、どうやらヨーロッパのタラの料理法は違うようだ。

 ドイツの修道院の食事についての記述を見るとグラタンなど重宝されている。

 イギリス周辺の海で水揚げしてすぐ干し鱈に加工し、ヨーロッパ全土に流通していたという話もある。

 今は冷凍技術が発達しているので、わざわざ干し鱈を水でもどしてフライにするのではないかもしれないが、歴史的な食べ物を気軽に食べさせてもらったのだなと今は思う。


 あと、チップスについても実はイギリス人にとってなくてはならない食べ物なのだと最近になって知った。

 ロンドンは違うのかもしれないが、地方になればなるほどその呪縛は強く、チップスを出さない飲食店は潰れそうになるほどのようだ。

 そういや昔観た韓国ドラマでピクルス(イタリア製ではなく自国味の酢漬け)をサービスしないイタリア料理屋がクレームの嵐を浴びた場面があったが、それに近いものだと思う。

 地方で本格派にこだわりすぎる料理店は必ず苦戦する。

 もし妥協してチップスを出せば店は救われるが、客は口に馴染んだ料理ばかり頼むためそのうちだんだん何の店かわからないメニューになっていくらしい。

 なんて恐ろしい。

 侮ってはならないもの、それがイギリスのチップスなのだ。



 ところで、このフィッシュアンドチップスについて、もう一つ思い出がある。


 ちょっとしょんぼりした私たちだが、気を取り直して記念撮影をしようと言うことになった。

 可愛らしい街並みを背景にこの上なくイギリス旅行らしい構図になるよねと、ひとりが提案し、ちょうど空いているベンチがあったので二人ずつ座り、互いに写真を撮り合い始めた。

 私が撮られる番になり、もう一人とベンチに座った時のこと。


「ジャポネ、ジャポネ!!」


 体格の良いおばさまたちが数人わらわらと現れ、私たちを指さして大声を上げた。


「ジャポネ、×××~」


 わいわいに何やら興奮気味に言い合っている。

 どうやら、『なあなあ、ニホンジンがフィッシュアンドチップス食ってるで!!』(インチキ関西弁ですみません。雰囲気的にそんな人たちだったので)と言っているようだ。

 左手に箱、右手に一本のチップスをつまんでポーズをとりかけていた私たちはそのまま固まった。


「×××~!!」


 そのうち二人がどすんと同じベンチの空いているスペースに腰を下ろした。

 そして、正面にはカメラを構えている別のおばさま。

 彼女を指さして何事か言うので、私たち二人はそのポーズをとったまま笑って見せた。

 ぎゅうぎゅう詰めな私たち四人。

 ぱちりとシヤッターが切られた。


「オブリガード!」


 陽気なおばさまたちは手を振り去っていった。


 言葉と雰囲気からおばさまたちはおそらくポルトガルの人だと思う。

 帰国したら家族や友人に『フィッシュアンドチップス食ってるニホンジンと写真一緒に映ったんやで。ほらこれな』と写真を見せたのだろうか。


 想像するだけで、ちょっと楽しくなる。

 お互いに良い旅になって何よりだ。



 おばさまたち、今もお元気ですか。

 私たちも、元気です。


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