第3話 規則的な三段階

 この教団は比較的新しい、新興宗教であったが、当然、俗世間から見れば胡散臭いところであり、比較的、

「風通しがよくて、自由な風潮だ」

 と言われてきたが、中を覗こうと近寄ってくると、近寄れば近寄るほど、厚いベールに包まれているようで、最初から、欺瞞の匂いがするというのが、世間一般の俗世間的なこの団体に対しての偏見のようなものだった。

 だが、確かにそれを感じているのは一人ではなく、ただ、それを皆が漢字ながらも、そのことを誰も他人に確認したことはない。

 確認することが怖いというわけではなさそうなのに、どこか不思議な感覚だ。

 K市の山間にある本部には、数百人が暮らしている。数百人がいる割には、居住地区はそれほど広いというわけではなく、団地のような建物に、同じ団体の人が、一部屋二人、あるいは三人による共同生活を営んでいた。

 教団組織の所有している敷地には、居住区だけではなく、大きな農園も広がっていた。そこは教団の大切な自給自足のための農地であった。教団に所属する信者は、一日のうちの数時間を、この農園で過ごす。農園は団体単位でもたれていて、団体が決めたルールで畑は運営されている。

 一見して不当だと分かる以外のことは、教団から認められていて。そのルールが今まで幹部の中で問題になったことはない。この教団に駆け込んでくる人は、俗世間で理不尽な仕打ちを受けてくる人が多いのだが、彼らは共通して、まわりの嫉妬からの理不尽な仕打ちを受けていた。

 彼らの素質が本物であればあるほど、煙たがられるというのは、俗世間ではよくあること。もちろん、そこで全体的な底上げがなっているのだとすれば、絶対的な否定はできないのだが、下手をすれば、それが俗世間では、

「当たり前のことであり、そこについてこれないのは、その人が劣っているからだ」

 というレッテルを貼ることになるだろう。

 居住区と農地を合わせると、それなりの広さを確保することができる。元々のK市との契約の中で交わされた。

「自給自足でできた作物を、不作の時以外は、市に還元する」

 ということも、ずっと行われていた。

 驚いたことに、一度も還元がなかったことは今までになかったのだ。

 それを思えば、教団が何か作物を育てることに対して、秘訣を持っていることは一目瞭然だった。

 特に、世間ではここ数年不作続きで、野菜や果物の価格は高騰、野菜サラダを普通に食べることも困難になってきた。

 ただで供給されるもの以外でも、破格の安値で、K市の市場に売ったりしていた。

 ただでの供給は、K市に対してであって、庶民の利用する市場には破格の安値を使うということも市との協約だった。

 自給自足だからと言って、元手がまったくかかっていないわけではない。土地代を始めとして、肥料代、害虫駆除に掛かるお金。ビニールハウスなどの設備投資などを考えると少々お金がかかる気はするが、すべては最初の予算から出ていることで、実際に出荷し始めた頃は、自給自足の効果を十分に発揮して、金銭的にほとんど負担がかかっていないというのが、当たり喘の考えだった。

 教団の人間が、俗世間の庶民と会話をすることがあるとすれば、それはこの時くらいであろうか。庶民の方としても、最初は

「宗教団体の連中なんだから、気を付けないといけない」

 と思っていた。

 しかし、そのうちに、切符のいい性格の商売人からすれば、相手がどんな相手だって、親切にしてくれれば情も湧いてくるし、親近感も湧くというものだ。自然とため口になったりして、拘留を深めていた。

 そんな中、一人の信者が、俗世間の女性に恋をしたようだった。

 元々その信者は、俗世間にいる頃は、結婚していた。子供はいなかったのだが、奥さんが急にノイローゼのようになり、旦那に敵対し始めた。

 彼も最初は。

「俺が悪いんだろうか?」

 と、自分に対しての後ろめたさも感じるようになり、自分に対して疑心暗鬼が深まっていった。

 そのうちに、世間が信じられなくなり、気が付けば、奥さんと敵対している自分を感じたのだ。

――このままでは家族崩壊だ――

 と感じたが、もうすでにどうすることもできないということも自覚していた。

 そうなると、悩みだけが頭の中にあり、あとは惰性で生きているだけだったが、

「その惰性が、宗教団体を知ることで、自分の進むべき道を気付かせてくれた」

 ということで、教団の門を叩いて入信した。

 まわりの家族、自分の両親や、嫁さんの側の家族からは、

「裏切られた」

 と言われた。

 家族からは、

「育ててやった恩義も忘れて、お前は何をやっている」

 と言われ、嫁さんの家族からは、

「信用して結婚を許したのに、完全に裏切られた」

 と言って、罵声を浴びせられた。

 何と言っても、逃げ出したことに変わりはなかったのだが、教団は快く受け入れてくれた。

「どうしてうちの教団に?」

 と聞かれた彼は、

「もう、俗世間には疲れました。自分がこのようにカミングアウトしたとしても、どうせ僕の気持ちなど一言も語らずに裏切ったとした言わないんでしょうね。皆。自分たちの想定外のことが起こると、それは彼らには容認できないことであり、余計に自分のことしか考えないようになるんですよ。それが僕には耐えられない。俗世間を逸脱しようと思った一番の理由です」

 と言った。

 それを聞いた教団幹部は、

「分かりました。受け入れましょう」

 と言って受け入れてくれた。

 教団でしばらく暮らすうちに、あの時受け入れてくれた幹部の気持ちと、どうして簡単に受け入れることを決したのかということがおぼろげに分かってくるようになったきた。ただこれは言葉で簡単に表せられるものではなく、この男には、十分に必要な認識であり。教団の理念や存在意義に繋がっていくものなのだと考えるようになっていた。

「僕は社会人、一般常識、そんな言葉が俗世間では一番嫌いでした」

 と、彼は言っている。

 そんな彼が最近気になっている人がいた。基本的には自分がドキッとした相手ではないと好きになることはなかったのだが、その人は一目見て、明らかに自分の好みだったのだ。

 学生時代までは、自分の好みを自分で分かっていると思っていたが、それが勘違いであったということを、学校を卒業すると気付かされた。それは女性に対する好みにしてもそうなのだが、食べ物の好みも変わっていった。どちらかというと、

「ストライクゾーンが広がっただけで、変わったというわけではない」

 というものなのだが。自分では変わったと思うようになっていた。

 特に食事の方は好みが移っていくのが自覚でき、それまで脂っこいものが好きだったのに、アッサリしたものが好きになるという変わり方であった。

 脂っこいものも、嫌いではないが、どこか受け付けなくなってしまった。それは、一度嫌いだと思ったものを好きになるのが難しいという感覚に似ているのかも知れない。

 彼は名前を氷室と言った。

 氷室は自分のこういう性格を、

「定期的に好みが変わるようになった」

 と感じるようになった。

 まず最初に感じたのは、学生時代が終わってすぐのことだったが、次に感じたのは、三十歳を迎えた時であった。

 別にその時に何かがあったというわけではない。変わるだけの節目であったという感じではない。しいていえば、学校を卒業したタイミングであったり,、年齢が三十歳に到達したという、普通の人なら節目と感じるその時を、無意識に迎えているつもりなのに、実際には意識をしていたということなのだろう。

 現在、三十七歳になる氷室だったが、結婚したのは、三十二歳の時だった。

 付き合った期間は、一年未満だっただろうか。付き合い始めてから、結婚までがあっという間だったのだが、それも本当は自分が好きになったというよりも、嫁さんの方が一方的に好きになったようで、その勢いに押されて結婚したと言った方がいいかも知れない。

 それで結局離婚したのだから、相手に好きになられて、気が付けば押し切られたように結婚したなどと恥ずかしくて誰にも言えないと思っていた。

 しかし、この教団にはそれくらいことであれば、簡単に看破できると言い切る人物がいた。後から思えば、あれよあれよという間に結婚していた。確かに主導権は自分が握っての行動だったはずだが、無意識のプレッシャーからの行動だったようにも思える。だが、このプレッシャーは決して悪いものではない。そもそも、氷室は自分から行動する方ではなかったので、無言の圧でもなければ、自分から動くことはない。そんな圧により背中を押されたことで、自分から行動したかのように思えたのは、自分にとっての自信にもなった。

 三十歳になる前に好みが変わり、それですぐに知り合ったのが、元嫁だった。

 彼女は、自分が三十歳までであれば、決して付き合うことも、結婚相手にも選ばなかったであろう。ある意味珍しいタイプである。

 普通なら、結婚したいタイプなのか、付き合いたいタイプなのかが完全に別れていて、その分、どちらも考えない人というのが、少なかったと記憶している。

 結婚しようと思った最初の理由は。

「この人とだったら、共通点が多そうだ」

 という思いからだった。

 確かにいい方での共通点も多かったし、自分を引きたててくれるところは、まるで痒いところに手が届くというような、良妻賢母になれるだけの素質を持っていたのだろう。

 ただ、この際の良妻というのが、自分に対しての良妻だったのかを考えると、どうも違っているのではないかとも思えた。

「明らかに妻は、この僕だけを見つめているわけではないように思う」

 誰にでも気を遣う彼女は、自分のことだけを見つめている中で、まわりを見る余裕から他の人も見つめることができるのではないかと思った。

 しかし、彼女に見つめられて、舞い上がっているかも知れない連中。彼らにはまったく芽が出るわけではなく、彼女のすべてが自分に向けられていると信じて疑わない感覚に、思い上がりと言ってもいいものなのか、今でも分かっていなかった。

 順風満帆だと思っていた人生に、ふと穴を感じると、その穴が次第に大きくなっていくのを感じた。

 カミングアウトという表現が合っているのかであるが、気になった宗教団体に思わず飛び込んでしまった。

――嫌になったら、いつでも抜けれる――

 などということはあり得ないと思いながら、なぜ飛び込んだのか、自分でもよく分からない。

「好みがコロコロ変わるのも、いきなり衝動的な行動に移る自分を写しているのかも知れない」

 と感じた。

 その店の奥さんは、賑やかなタイプというよりも、大人しい感じの人だった。それまでは、いわゆる三十歳を過ぎてからのことだったが、賑やかなタイプの女性が好きであった。

 それまでは、学生時代であっても、それ以降であっても、基本、大人しめの女性を好みにしていた。

「それでは、学生時代とそれからと、どこが変わったというのか?」

 と訊かれると、

「自分が好きになった人というよりも、自分を好きになってくれる人に大人しめの女性が多かったことから、学生時代は、大人しめの女性が好きだったのだが、それ以降は、自分を好きになってくれる人自体がほとんどおらず、惰性のように大人しめの女性を追い求めていたのだが、就職してからは、大人しい中にも、自分の主張をしっかりと思っている、いわゆる、

「大人の女性」

 が好きになってきたようだった。

 あれは、小学生の頃だっただろうか、小学生は近所の人と学年関係なく班を組んで集団登校をすることになっていたのだが、三年生の時、六年生だった女の子が気になってしまった。

 いつも自分が彼女を迎えにいく立場なのだが、彼女はさすが女の子、小学生でも身だしなみに時間をかけていて、自分を中に上げて待たせていたのだが、ドライヤーを当てたり、髪の毛を解いたりする時間が、ちょうどお邪魔している時間となっていた。

「ごめんなさいね。いつも待たせちゃって」

 と言われる中、和室にちゃぶ台と言った、まるで昭和の風景を感じさせる情景に、少し酔っていた気持ちもあった。

 何が珍しいと言って、壁には柱時計が飾られていた。実際に動いていて。朝の喧騒と下時間でも、柱時計の振り子の音をしっかりと感じることができた。

「さっき目を覚ましたばかりだということもあって、静寂の中での柱時計の振り子の音は、眠気を誘うものとしては、最高だったように思う」

 と感じていた。

 眠気を誘っていると、気が付けば時間は一気に過ぎている。

 毎朝の同じ光景なので、どれがいつのことだったのかが分からない。子供であるから許されるのかも知れないが、さっきのことも記憶がおぼろげだというのは、さすがに年齢を超越した何かが存在しているかのように思えた。

 あの頃は、もちろん、女性に対して異性という感情などのなかったはずなのに、お姉さんと一緒にいると、母親に感じている思いとは違う何かがあった。それが、

「年齢が近いから?」

 あるいは、

「母親ではない、しかも他人という感覚があるから?」

 という思いのどちらなのか分からなかった。

 親近感から感じると、後者のイメージが強い。氷室にとって、女性への感情が目覚めた時があったとすれば、この時だったのではないだろうか。

 その時のお姉さんがどんな感じだったのか、ほぼ覚えていないと言っていいだろう。

「氷室君は、お姉さんから見ると、可愛いのよ」

 と言って、頭を撫でてくれたことがあり、その時のイメージは思い出せた。

 しかし、彼女がその時どんな顔をしていたのか分からない。なぜなら、彼女の顔が近づいてきたその時、後ろに太陽だったか、室内灯だったのかは分からないが、完全な逆光になtっていたため、顔は分からなかった。

 だが、見えない表情から。感情は垣間見えたような気がする。

「歯が、まるで三日月が下を向いているかのように見えるその状況では、明らかに笑っていたような気がする」

 という感覚を気付かせてくれたのだから、その時の表情はまさしくその通りだったのだろう。

 そんな表情は不気味でしかないのだが、そのイメージを今までに何度か夢に見た気がした。その夢の時代背景が本当にその時に感じた小学生だったのかどうか、よく分からない。「ひょっとすると、そのすべてが夢なのかも知れない」

 とも感じる。

「同じ夢を何度も見るというのは、それだけ潜在意識にこびりついて忘れることのできない思い出が、そこに潜んでいるのではないだろうか」

 とも感じさせる。

「子供の頃の思い出はすべて夢だったのかも知れない」

 と感じるほどだった。

 まさかとは思うが、

「過去に感じた思いのすべてを夢として解釈して、本当は過去に感じたことのないものを記憶として感じているのではないだろうか?」

 と感じていた。

 小学生の頃に感じたお姉さんのイメージを、なぜ今になって思い出すのか最初は分からなかったが、八百屋での奥さんを見た時、その時のお姉さんのイメージがよみがえってきたのだ。

 異性への興味以前の問題のはずなのに、どうして奥さんを好きになったと感じたのか、しかも、女性への好みがまったく変わってしまったにもかかわらず、好きになった女性のイメージが、まるで初恋であったかも知れないと思えるような少年時代の思い出にあるからか、自分でもよく分からなかった。

 人を好きになるということは、自分のイメージとは違った感覚になるものだということは感じていた。しかし、最初は好きでも何でもないと思っていたはずの人がどんどん気になってきたり、一目惚れだというほど好きになったと感じていたのに、いつの間にか別の人を意識していたりと、自分でもよく分からない。後者のように。好きになった人をそのつもりで見ていると、他に気になる人が現れると、簡単に意識が上書きされてしまうということを思い知るための意識だったのではないかと思うほど、普段から自分に対して過剰とも言えるほどの意識を持っているのかも知れないと感じていた。

 氷室は知らなかったが、奥さんは教団を憎んでいた。

「仕事だからしょうがないので相手をしているけど、あなたが教団の人間である以上、私の中であなたの存在なんてこれっぽっちもない」

 と、もし告白でもしていれば、言われたに違いない。

 実際に氷室は、このセリフを言われる夢を見たことがあった。

「まさかこんな最悪の夢を見るなんて」

 と、感じていた。

 氷室が夢を見る時、時々見た夢が現実を捉えていることが結構あったのだが、そんな時は自分が最悪の場合を考えた時だった。これまでにあった失恋も、何度かこの、

「正夢」

 を見たのだった。

 夢に出てきた付き合っていた女性、いや、好きで好きでたまらないいとおしい人の顔がここまで鬼の形相になるなど、想像もしていなかった。

 氷室が、好きになった女性の顔が一番自分の理想とする表情に見える時は、告白する時であることは自覚していた。

 自分が好きになった人に対して、その相手の顔がいつも同じ顔に見えているわけではなかった。理想としている、いわゆる自分のタイプだと思える顔に一番近いのは、前述のように告白の時であるが、それが一種のピークというもので。好きだと意識し始めてからピークまでの間、目を瞑っても彼女の顔が瞼の裏に浮かんでくる。その時は顔が変わっているわけではないのに、どんどん綺麗に感じられるというのは、実際に見ていると思い込んでいるからであろう。

 見ているつもりで、表情の変化を顔の変かと混同してしまうことで、どんどん好きな顔というものが頭の中で形成される。それと同時に、最悪の際の顔も一緒に形成されているのだが、意識の中にはなかったのだ。

 告白してダメだった時に、それまで想像したこともないような鬼の形相が頭の中に、どうしていきなり浮かんでくるのかというと、それは、

「夢で以前に見たからだ」

 という思いと、

「表情の変化を顔の変化に重ね合わせた時、どんどん好きな顔が形成されるのと同時に、最悪の表情も一緒に想像されることで、その意識がよみがえってくるからだ」

 という思いとが交錯していた。

 どちらもあり得ることだ、どちらも真実なのかも知れないが、その時々でどちらが出てくるのかは分からない。しかし、結局は同じ感覚が生み出したものとして、その経緯は同じところから来ているのかも知れない。そう思うと、二つの道があっても、最後にはいつの間にか、平行線が重なってしまうような錯覚に陥っているのではないだろうか。

 氷室は、好きになった奥さんに告白することはタブーだと思っている。実際に彼女が教団を嫌っていて。教団に所属する人間を毛嫌いしているのも知っていた。

 しかし、好きになってしまったのはどうすることもできない事実であり、断られて傷つくのが怖いくせに、振られてしまわないと踏ん切りがつかないという思いもある。

「自分の思いを自分で断ち切れないなど、教団で何を学んだというのか?」

 氷室は、自分を責めさいなめた。

 氷室が奥さんに告白をしようと目論んだ時、その時に、教団に所属したまま告白しようか、それとも、教団を抜けてしまってから告白しようかを悩んだ。

 つまり、もし告白が成功したあかつきには、教団を去るつもりでいた。教団を抜けることは自由だというのは分かっていたので、逆に告白が成功しなければ、何食わぬ顔で今まで通りに過ごせばいいと思っていた。奥さんの方も、氷室から告白されたなどという屈辱とも思えることを、自分からまわりに公表することなどないという考えでからであった。

 そんな自分の浅はかな考えを情けないとは思いながらも、

「恋は盲目というではないか」

 と考え、

 盲目になることも含めて、恋をすることだと感じると、盲目になるために、また盲目を装うというおかしな感覚に見舞われたのだ。

 だが、告白の際に、自分が教団を去っているべきなのかどうなのか、結局考えがまとまらなかった。そんな状態で告白してもうまくいくはずはないというのは分かっていたくせに、それよりも、

「告白するタイミングは、今しかない」

 という思いの方が強くなっていて、結局、自分の欲望を抑えることができず、告白し、想像通りの玉砕に見舞われたのだ。

 その時の奥さんのあの顔。やはり鬼の形相だった。

「でも、想像していたのとかなり違う」

 とも思った。

 それはきっと自分が想像していた奥さんと、性根のところで違っていたということであろう。想像していたほどオニではなかったが。その代わり、相手を見る目の哀れさに、嘲笑っているかのような目が印象的だった。

「もっとも見たくなかった表情だ」

 と言えるのではないだろうか。

 ただ、この表情には。

「この表情、どこか懐かしさがある」

 と思ったのだが、いつどこで見たのかが、まったく思い出せなかった。

 まさかとは思ったが、未来に見ることになるであろうその顔を、今見てしまったのではないかと思わせた。過去にも似たような感覚があったからだった。

 それは一種の、

「予知夢」

 のようなものなのだろうが、普通であれば、夢というのは、目が覚めるにしたがって忘れていくものだという。

 それなのに、その夢は決して忘れることはない。だからこそ予知夢というのであって、その夢とまったく一緒であったり、限りなく近い現実が起こることで、それが予知夢であるということを自覚しなければいけないことから、決して忘れることはないのだろう。

 だが、それを自覚してしまうと、

「予知夢を見た」

 という意識はあっても、どのような夢の内容で、現実に起こった事実がどういうことだったのかということをいつの間にか忘れてしまっている。

 きっと誰かに話をすることができないように、故意に記憶を消去してしまったように思える。

 この場合の記憶は完全消去であって。

「記憶の奥に封印される」

 というものではないようだ。

 予知夢を見たということだけを覚えているためにも必要なことで、自分が予知夢を見ることができるという自覚を持つことがその後の自分にどのような影響を与えるのか、いまいち分かっていなかった。

 最近では、

「この教団に入ることを予知夢として見たのかも知れない」

 と思うほど、この教団への入信は、氷室にとって大きな事件であったことに違いない。

 そう思うと、奥さんへの告白も、そして玉砕も最初から予知夢で見ていたのかも知れないと思った。

 そうやって考えてみると、見た予知夢というのは、最初から予想できたものであって、予知夢というのは、

「最初から予想していたことを夢に見たというだけのことで、実際に火の気のない不毛痴態から、火を起こす行動を取ったわけではない。起こっている火を見て、必然的な火であるにも関わらず、いかにも予知したとでもいうような都合のいい夢だったのだ」

 と考えた。

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