崩壊世界の巨人譚

火海坂猫

プロローグ

 何もない荒野を一台の大型トレーラーが走っていた。他に音を立てる生き物も無機物も存在しない静かな世界。それの立ち上げる土煙と騒音だけがそこに動くものがあるのだと示し、けれどそれを認識するのはその当事者以外には存在しないのだ。


「やれやれ、相変わらずつまんねえ風景だ」


 トレーラーの運転席で少年がごちる。年の頃は十七程だろうか。まだ僅かにあどけなさを残したその外見に反してその表情は老練ろうれんというか達観した雰囲気をまとっている。運転中であるにも関わらず彼はハンドルを握る事無くそれを足置きとして座席に倒れんばかりに体を預けていた。


「主、退屈?」

「おー、退屈だ、退屈」


 その隣にぴょこりとやって来た少女に主と呼ばれた少年が返す。均整の取れた顔つきに短く整えられた髪。しかしその表情に感情のようなものはなくじっと見開いた目で少年を見つめている。


「退屈なら、ネイトを使う?」

「使わん使わん…………つーか、自分の体を差し出すようなものいいはするなと何度も言ってるだろうが」


 やれやれと少年は息を吐く。それに少女は表情そのままに首を僅かに傾ける。


「ネイト、言いつけ守れなかった? ネイトは悪い子…………お仕置きが必要」


 無表情に淡々と少女、ネイトがそう口にするのに少年は苦々しい表情を浮かべる。


「お仕置きか、確かにお仕置きは必要だな…………但し、ネイトにそんなくだらないことを吹き込んだ奴にだが」

「くだらないとはずいぶんな言い方じゃないかケイ」


 ニヤニヤとした表情を浮かべて小さな、まだ十にも満たないような年齢に見える女の子が後ろから歩いて来る。けれどその表情は幼子とは思えないような笑みを浮かべており、その瞳には冷淡なまでの知性が見受けられる。


「ご褒美を与えて貰えない飼い犬にご主人様への媚び方を教えてあげただけだよ」

「相変わらずムカつく物言いしか出来んのかお前は」


 激昂するでもなく呆れるようにケイと呼ばれた少年は少女を見る。


「カヌレ、何度も言うがネイトが純真だからってよからぬことを吹き込むんじゃねえ」

「何を言ってるんだか君は」


 カヌレと呼ばれた少女の方も呆れるようにケイを見る。


「ネイトはそもそも君という主の役に立つことを至上の喜びとして設計されているんだ。彼女にご褒美を挙げるのは主の義務である重要なメンタルケアだよ…………君が主として刷り込まれている以上は責任を持たないとね」

「俺を主として刷り込んだのはお前だろうが」

「ネイトは主従関係を築くことを前提しとして調整された強化兵だ。主を設定しなければ精神が不安定になってしまうというのは事前に何度も説明したじゃないか」


 ああ言えばこう言うといようにカヌレは言葉を連ね、辟易へきえきしたようにケイは一旦黙り込むがすぐに口を開く。


「それとあいつにふざけた話を吹き込むのとは関係ないだろ」

「まあ、内容に関しては私の趣味だけど…………ご褒美をあげてないのは確かだろう?」

「時々撫ぜてはやってるよ」

「それじゃあ足りないからネイトが欲求不満になるんじゃないかな」

「うるせえ」


 これ以上の会話を拒否するようにケイはカヌレから視線を外す。


「街、見えて来た」


 そのタイミングを見計らったようにフロントガラスの向こうへと視線を向けてネイトが告げる。釣られてケイとカヌレが視線を向けると確かに荒野の遥か向こうに建造物のような影が見える。規模からすれば街なのだろうが、すでに街と呼べないものになっているであろうことは想像がついている。


「工場か、せめて資源なりが残ってるといいが」

「理想はあれのデータが残っている事だけどね」

「期待はしない方が無かった時には気持ちが楽だ」

「相変わらず悲観的だねえ、ケイは」

「常に最悪の事態を想定するのが軍人だ」

「軍なんてもうないじゃないか」

「染みついたものはそう変えられねえんだよ、おっさんは」


 半ば投げやりにケイ、少年の姿のはずの彼は吐き捨てた。


「刷り込みだね」


 くくく、とカヌレが嗤う。


「うるせえよ」


 疲れたように、もう一度ケイは吐き捨てた。


                ◇


 遠い昔、人類は全ての国を巻き込んだ終わりのない戦争を始めた。長い長いその戦争は人類がこれまで築き上げていたもの全てを破壊し、最終的には人類の九割以上を死滅させて、さらにはその復興の可能性すらも摘み続ける負の遺産を産み出した。


 結果として地表のほぼ全ては何の資源も残されてない荒野と化し、僅かに資源が残る場所も廃墟となってまともな建造物は残っていない。


 そんな状態でも生き残った人類が生存を続けているのは生体調整によるものだ。戦争は人類文明を破壊したが同時にカンフル剤ともなり飛躍的にその技術を発展させた。その中でも対象の肉体を改造し様々な調整を加えることでその寿命と肉体的な強度を飛躍的に伸ばすその技術は、多くの人間をこの過酷な世界でも長く生き永らえさせることが出来た。


 もちろんそれは不老不死には程遠く、ある程度の期間ごとに再度の調整が必要となる…………けれどその為の設備をもった地下施設は各地に点在して残されており、ほとんどの生き残りの人々はそれらの施設を探して世界をさ迷っている。


「うんうん、この分なら施設は無事に残ってそうだね」


 周囲の風景と手元のタブレット端末に交互に視線を巡らせながらカヌレが口にする。ケイから見ても街の中は廃墟ではあるがこれまで見てきた場所に比べれば形が残っている。もちろん地表の施設で無事な場所などないだろうという程度には壊れているが、地下施設であれば無事かもしれないと思えるくらいにはマシだ。


「一番の目的が無事なのは良いが…………気づいてるか?」

「もちろんだとも」


 地下施設は現存している人類の唯一の目標ともいえる場所だ。それが無事に残っているのは幸い極まりないが、それは同時に危険もはらんでいる。


「あれ、GCの足跡」

「おー、ちゃんとネイトも気づいたか。えらいえらい」

「うん」


 適当に頭を撫でるケイの手をネイトは満足げに受け入れる。トレーラーが走る剝き出しの地表となった道路には最近ついたものと思わしき大きな足跡がいくつも残っている。それは彼ら以外の人間がこの廃墟に近い時期に訪れていたことの証左だ。


「話し合いが出来ればいいんだがな」


 崩壊後の世界において資源は貴重だ。地下施設で生体調整を受ければ長く生き延びられるといってもそのために消費できる資源には限りがある。仮にこの街の地下施設を拠点としている生き残りがいるなら来訪者を好ましく思わないのは想像ができる。


「無理だろうね」

「…………だろうな、待機しとく」


 あっさりと現実を突きつけるカヌレにケイも反論することなく席を立つ。トレーラーそのものには防衛能力はほとんどない…………しかしその後方にはその為の備えが搭載されており、彼はそれに残りこむために操縦席を後にする。


「主、私は?」

「いつも通りだ。機を見て配置について牙を砥げ」

「ん、了解」


 頷いてネイトはととと、とケイを追い抜いてトレーラーの後方へと消えていく。


「お、来たね」


 トレーラーの前方へ立ちふさがるように大きな影が映ったのはちょうどそのタイミングだった。走行中とはいえほとんど音が聞こえなかったことを考えると近くに潜んでいて随分と静かに現れたのだろう。


「交渉は任せたぞ」

「わかっているよ」


 それを確認して足早に後部へと向かうケイにカヌレは頷く。そしてすぐに手元のタブレット端末を操作すると走行していたトレーラーは大きく制動を掛けて停車した。その姿が見えている時点ですでに相手の射程圏内ではあるが、わざわざその手まで届くところまで近づいてやる理由はどこにもない。


「前方の灰色のGCに告ぐ、こちらに交戦の意思はない。出来る事なら話し合いで済ませようじゃないか」


 半ば無意味であることを悟りつつもカヌレは無線で呼びかける。相手に話し合う気が合ったなら姿を現す前に呼びかけてくることだろう…………だがまあ、可能性というものはゼロではない限りあり得るという事だ。視線の先のあれが少しばかり配慮に欠けるだけのうっかりさんで、実はとても友好的だという可能性もゼロではない。


「ひゃああああああああああああああああああはっはっはっはっはっは!」


 しかしその可能性は返答代わりの哄笑でゼロになった。


「話し合い? 俺様の街に無断で侵入して俺様のものを奪いに来た奴と話し合い? いいぜ話し合ってやるよ! お前がそのトレーラーと積み荷を置いてこの街を出て行くって言うなら命だけは助けてやるよ! ぎゃはははははははは!」

「それでは死ねと言ってるのと変わらないだろうに」


 半ば予想通りとも言える返答にカヌレは嘆息する。もちろん向こうだってそんな要求が通るとは思っていない。話し合いの余地などないという事を単にこちらを盛大に小馬鹿にしながら伝えているだけだ。


「だがまあ、こちらもこれは必要な儀式なのでね」


 カヌレからすればどうせ話し合いができないだろう相手など、最初から交渉など持ち掛けず先制して攻撃してしまったほうが無駄な時間を使わないと思える…………しかし残念ながら彼女の相棒は一縷いちるの望みという奴を見過ごせない人間なのだ。


「ケイ、聞いての通り交渉は失敗した」

「ああ」


 しかしそれさえ確認してしまえば、後は何の遠慮もいらない。


「GCを起動する」


 後はぶちのめすだけだ。

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