Nのゆりかご
明日乃たまご
第1章 雪解けに見る核の夢
第1話
――1945年 アメリカ軍、広島と長崎に核爆弾投下。
――1954年 第五福竜丸 アメリカ軍の水爆実験に巻き込まれて被曝。
――1955年 原子力基本法成立、原子力の平和利用を決定。
――1966年 日本最初の商業用発電所として、日本原電㈱の東海発電所が運転開始。
音声でもない、文字でもない、
――1999年 ㈱JCO東海事業所の核燃料加工施設で
そこでパッと景色が開ける。泡立つ白い壁だ。それに呑み込まれてはじめて、泡立っていたのが巨大な津波だと知る。朝比奈の意識は波にもまれて激しく揺れた。
――2011年 東京電力福島第一原発で1号機、2号機、3号機がメルトダウン。
朝比奈は津波を逃れて何もない青い海を見る。
政府は原子力発電からの決別を決定する。しかしそれはすぐのことではない。20年後の目標だ。ところが、政権が変わると方針も変わった。当初は穏やかに、そして激しく。……2023年、政府は積極的な原発稼働に舵を戻した。それが絶望だとでもいうのか、朝比奈が見る景色は、青い海は干上がって底のない闇の認識に退行していた。
――ホギャー、……けたたましい、それでいて穏やかな産声は希望だった。
闇が淡い桃色に染まる。目を凝らせば、満開の桜だった。その先に原発建屋があり、その向こうに青い海が再生する。
――2031年4月、見るのは桜が満開の公園だった。そこには桜を楽しむ親子がいた。老夫婦がいた。
桜の香りをまとった爽やかな空気が胸いっぱいに広がると幸福感を覚える。そうしてフーっとはいた。
はくな!……頭の中の誰かが叫んだ。はいたら最後、夢の続きを見なければならない。
わかっていても夢の中の自分は息をはいた。その時だ。桜の花が一瞬にして消し飛んだ。いや、眼が焼け、景色を失った。強烈な光が景色を白く染め、意識は肉体を失っていた。
若狭湾上空で核ミサイルが爆発し、強力な電磁パルスによって多数の原子力発電所がコントロールを喪失した。それをきっかけに始まった戦争は4月戦争と呼ばれた。極短期間の紛争だった。
日本国と日本人は、核による様々な経験をし、多くの命を失った。核燃料サイクルの夢からは冷めた。しかしまだ、使用済み核燃料の最終保管場を持たない。その場所さえ決めることができずにいた。
ピシャ、ピシャ……。水滴の砕ける音で朝比奈は夢から目覚めた。2051年の冬だった。樋を乗り越えた屋根の雪が解けて、水滴が地面を打っていた。
「また、同じ夢だ……」
朝比奈は原子力発電所を見たことがない。もちろん、写真やニュース映像では目にしている。その周囲を車で走ったこともある。建物の中は、という意味だ。今でも原発を動かしている国はごくわずかながら存在するが、それはもはや骨董品と言える。しかし、そこで使われた燃料が溶けて消えるわけではなく、どこの国もその保管と管理に苦慮していた。朝比奈は仕事柄、それに関心を持って情報を集めていた。だから、そんな夢を見るのだと思っていた。
寝覚めは良い方だった。ベッドからむくりと起き上がるとそこを下りた。全裸だ。サッカーに真剣に取り組んでいた高校生の時、
「おはよう」
全裸のままリビングに出るとエアコンから噴き出す温風の通り道に立ち、朝食を作っている妻のアオイに声をかけた。
「シチューだね。いい匂いだ」
2人は新婚で、その関係は出来立てのスープのように温かい。
「おはよう、ユウイチ」
アオイはいつも〝ロウ〟を省略して呼んだ。朝比奈の裸体を確認すると苦笑する。
取材で福井県に入っていた彼女の父親は4月戦争の犠牲になった。それが核ミサイルの爆発によってなのか、その後連鎖して生じたいくつかの原子力発電所の崩壊によってなのか、それは彼女も知らない。彼女は父親が大好きだったというが、記憶は曖昧らしく、多くを語らない。それで朝比奈も尋ねないようにした。母親は国立つくば生命科学研究所の所長を務めていた科学者だが、
4月戦争での住民の死者は100万人に近く、ひとりひとりの死因や死亡した場所などは特定されていなかった。崩壊した原子力発電所周辺、北陸と近畿地方の3分の1ほどのエリアは〝聖域〟と呼ばれ、今でも人の立ち入りが規制されていて多くの遺体が見つかっていない。高熱で蒸発した人間も多いだろう。おそらく彼女の父親もそんな被害者のひとりなのだ。
「どうでもいいけれど、そのしなびたものをしまってちょうだい。でないと、コーンスープがきのこスープに変わってしまうわよ」
アオイが手にした包丁を朝比奈の股間に向ける。
「それは勘弁してくれ」
朝比奈は彼女に背中を向け、踊るように手をひらひらさせて寝室に戻った。
食事を済ませると、彼女と熱いキスを交わしてアパートを出た。半年前に中古で買った水素電池車に乗り込み、地球環境を意識して静かにアクセルを踏む。自動運転装置は切っている。マニュアル運転に魅力を覚えるからだ。車をコントロースすることに〝生きている〟といった実感があった。おまけに車は中古とはいえマニアが憧れる名車だ。そんな車での通勤は楽しいものだ。
家庭内ではアオイに甘えて締まりのない朝比奈も、家を一歩出れば
勤めるワールド通信社福島支局はJR駅前にあり、そこに続く道路の雪は解けていた。
「20分で着くぞ」
車内で1人、決意を表明してアクセルを踏む。車は舗装の傷んだ道路を弾むように走った。幹線道路の補修もままならないほど、日本経済も傷んでいた。
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