寂しんぼ


「仕事、行くの?」


「当たり前だろ」


 ベッドの中から甘えた声で聞いてみる。分かっていて聞いたんだけど、1人になる瞬間には慣れないのだから仕方がない。

 


 同棲を初めて多分3年。記念日をすっぽかされてわかんなくなった。

 那智なちが帰ってくるのはいつも深夜。仕事が忙しいのは分かってる。俺を養うためだってのも分かってる。

 けど、那智は俺が寂しいのを分かってないんだ。


 今日もきっと遅い。何度目かの記念日だけど、那智は忘れているだろう。だって、凄く忙しいから。

 昔から、目の前の事に一生懸命で真っ直ぐな那智。俺は今、那智の目に映ってるのだろうか。


 同棲する時、バイトをやめて専業主夫になってほしいと言われた。俺が頼りないし、信用できないからだろう。情けなさはあった。けど、それで那智が安心できるならいいやと思った。

 那智が稼いだ金で遊ぶのは気が引けた。俺が引きこもるようになったのを見た那智に、やりたい事をやればいいと言われたので、興味があった絵を描き始めた。


 俺が眠った頃に、那智は帰ってくる。俺を起こさないように静かに食事をして、静かにシャワーを浴びて、静かにベッドに入る。

 俺が作った飯を食わなかったことはない。会食の後でだって、必ず食べてくれる。静かにベッドに入ると、後ろからそっと抱き締めてくれる。

 俺は寝ぼけたフリをして、ギュッとその腕を抱く。




いつき、起きて」


 いつもより少し遅く帰った那智は、俺を揺すって起こす。こんな事は初めてだ。


「ん····那智、どうしたの?」


 時刻は深夜2時。ついさっき、寂しいのを抑えて眠ったところだったのに。


「樹、起こしてごめん。ちょっとだけリビングにおいで」


 言われるがまま、那智に手を引かれてリビングに向かう。テーブルには小さなホールケーキが置いてあった。


「え、どうしたの?」


「今日、俺らが付き合って8回目の記念日だろ。覚えてたくせに。毎年、この日だけは夕飯が俺の好きな物ばっかだもんな」


「那智····覚えてたんだ、記念日」


「忘れるわけないだろ····って、触れなかった俺も悪いな」


「ごめん、俺····。絶対忘れてるんだと思ってた」


 那智は俺の肩を抱き、優しく額にキスをした。


「いや、俺こそごめん。樹と暮らす家を買う為にがむしゃらになってた。その所為で樹を放ったらかしにして、本当にごめん」


 そう言って、那智は俺を強く抱き締める。けど、俺にはそれよりも気になる事があったので、そっと那智を押し離して聞く。


「······家?」


 なんの事だろう。そんな話してたっけ?


「やっぱ覚えてないのか。高校の時に言ってただろ?」


 高校の時····。俺らが付き合い始めた頃の事だろうか。あの頃は俺もまだ遊び盛りだったし、マジメ過ぎる那智をつまらないと思ってた時期だ。


「中庭付きの一軒家に住みたいって言ってただろ。小さい犬飼って、冬は雪だるま作るんだって」


「あ〜····言ったっけ? 覚えてないや。でもそれ、俺の小さい頃からの夢だ」


「言ってたよ。俺のこと、めんどくさそうにあしらいながら」


「なんだよ、知ってたのかよ。悪かったって····」


「最近、樹がずっと寂しそうなのも分かってた。けど、構うとお前執拗いから俺のこと離せなくなるだろ」


 悔しいけど、俺のほうが那智に夢中になって依存して、那智が居ないと上手く生きられなくなっていた。

 そんな俺のことを、那智は知ってるんだ。なんだって知ってる。俺の落とし方も、俺の喜ばせ方も。


「で、なんで今更記念日やろうと思ったの? ずっと何もしなかったくせに」


 あぁ····、可愛げのない事を言ってしまった。


「準備が整ったから。樹、引越すよ」


 突然言い渡され、ハイソウデスカってなると思っているところが那智らしい。



 クソ真面目な那智に疲れて、俺が浮気をしたのがきっかけだった。

 俺がデートをしている所に、那智が来て俺を奪い去った。その時の那智のキレた顔がカッコ良くて、そこから本格的にハマっていった。

 後から聞いたんだけど、浮気をしているのも知っていたし、奪い方をすれば俺が落ちるのも計算済みだったんだそうだ。

 まんまとやられた。今では、ご主人様の言いなりだ。俺に拒否権なんてものはない。



「引っ越すって、いつ?」


「今度の土曜日」


「土曜····って明後日じゃん。急すぎんだろ」


「だってここ、ペット飼えないだろ」


「ペット?」


 那智は玄関に行き、大きな花束とチワワを抱えて戻った。


「樹、チワワ好きだろ? ペットショップでいっつもチワワから見るもんな」


「なっ、んで引っ越してから買わねぇの? バッカじゃねぇ!?」


「俺と今夜一緒に過ごしたら、明日の朝また寂しそうにするだろ? コイツが居たらちょっとは紛れるかと思って」


「お前ホントなんなの····」


「樹の旦那様だけど? コイツ、名前決めてあげて」


「那智」


「は?」


「う、嘘だよ。えーっとじゃぁ····ネロ」


「ふっ····パトラッシュじゃなくて?」


「パトラッシュでかいじゃん。ネロってほら、なんか寂しそうだろ? だからさ、俺と一緒じゃん。ずっと一緒に居たくなんねぇ?」


「よくわかんねぇ理屈だけど、まぁ····言いたいことは分かった····ような気がする」


「あははっ、絶対分かってないだろ」



 那智が食事を終えるのを待って、2人でケーキを食べた。新居について、色々と話を聞きながら。

 そして落ち着いたら、お互いの両親にちゃんと挨拶しようと約束した。まだ準備が整っていないからと、ずっと先延ばしになっていたのだ。

 俺のほうの親はユルいから大丈夫だろう。けど、那智の家は厳格で煩いらしい。こんな俺で大丈夫かな。


 今夜は、一緒に風呂に入って一緒にベッドに入る。那智と一緒に行動するなんて、凄く久しぶりだ。変に緊張して、今更だけど那智の顔を見れない。


「樹、こっち向いて」


「や、やだ。急にこんなの····なんか恥ずかしいんだって」


「煩い。俺がこっち向けって言ったら向くの」


「····っ、はい」


 那智の、スイッチが入った男の顔には逆らえない。俺は朝方まで那智の言いなりだった。



 朝、いつも通り那智が静かにベッドを出る。入れ替わりに、ネロが飛び乗ってきた。


「行ってらっしゃい」


「ん、行ってきます。引越しの準備、できる範囲でいいから頼むな」


「へへっ、任せとけって」


 那智は俺の瞼にキスを落として行った。


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