第2話

「またやらかしたそうだな?」

 国王にぎろりとにらまれ、ノアはとぼけた顔をした。

「と、いいますと?」

「ごまかしてもだめだ。きっちり報告は上がっている」

 ノアは内心、舌打ちした。また侍従が告げ口したのだろうか? あんな早朝だったというのに、油断も隙もあったものじゃない。

「安全運転を心がけていますから、どうぞご心配なく」

「100キロ以上のスピードを出していたそうじゃないか」

 なぜそこまで知っているんだ? まさか、跡をつけてきたのだろうか?

「いえ、そこまでは」

 国王がため息をもらした。

「ずいぶん早起きだったようだな」

「はい。最近、かなり朝早くに目が覚めてしまうんです」

「やけに年寄りくさいことをいうんだな」

 国王がふくみ笑いをもらした。

「はぁ」

 歳のせいなのだろうか? 

「眠りが浅いのか? なにか心配事でも?」

「いえ、そんなことは……」

 そう答えながらも、じっさいノアは、ここ最近、なにかが欠けているような、どこか満たされないような気分になることが多かった。

 それが具体的になんなのかは、自分でもよくわからなかったし、そういう話を父親とする気にもなれなかった。

 幸い、国王が話題を変えてくれた。

「で、ホテルの運営はどんな感じだ?」

「すこぶる順調です」

 ノアはほっとして答えた。

「期待以上の滑りだしといえるでしょう。予約は数か月先まで埋まっていますし、国立公園のなかに建つホテルとして、自然環境に配慮した運営というのが、世界的に高く評価されています」

 それはほんとうだった。大成功といっていいだろう。それなのに、この満たされない気持ちはなんなのか……。

「ふむ」

 国王が満足そうにうなずいた。

「当初は反対運動もあって心配したが、すべてうまくまとまったようでなによりだ。キイアカ海岸の自然と伝説を守りつつ、リゾート地として管理、運営することで雇用と収入源をつくりだしたという点は、たしかに身内から見ても大いに評価できる。よくやった、ノア」

「ありがとうございます」

 そう応じつつも、〝伝説〟という言葉を聞いて、今朝見かけた全裸の女性の姿が脳裏によみがえり、ノアは一瞬、落ち着きを失った。

「とはいえ――」

 国王がからかうように、両まゆをくいっと持ち上げた。

「――あれは、ザ・ハート側のアイデアの勝利だったというべきだな。ザ・ハートのおかげというよりは、ステファニーのおかげ、というべきか」

「それは、たしかにそうですね……」

 ノアは苦笑するしかなかった。

 ステファニーというのは、アメリカ西海岸を拠点とする老舗ホテル・チェーン〈ザ・ハート・ホテルズ・アンド・リゾーツ〉から派遣された、ビーチリゾート開発の担当者だった。そのステファニーことステフと、彼女のサポート役として同行してきたミズ・DDの力を借りて、ノアはキイアカ海岸の〈ザ・ハート・リゾート・イン・マルル〉を完成させたのだ。

 ステフはザ・ハート創業者の孫娘であり、最初こそ、リゾート開発の専門家というよりは、ひたすら明るく楽しいカリフォルニア娘という印象が強かったのだが、マルル王国のためにしっかり勉強して、キイアカの自然と伝説を守るための国立公園化というアイデアを提案してくれたのだった。

 そしてステフは、当時、開発反対派を率いていたノアの従兄弟カイと恋に落ち、いまは結婚してかわいい娘にも恵まれ、ここマルルで幸せに暮らしている。

 ステフは、最初から国王のお気に入りだった。国王はなにかといえばステフを引き合いに出し、褒め称え、まるで実の娘のようにかわいがっていた。

 じつをいえば、かつてはノアもステフに夢中だった。明るく美しく、はつらつとしたステフは、一緒にいて楽しめる人だ。彼女こそ〝運命の人〟にちがいない、と当時は思いこんでいた。思いあまってプロポーズまでしてしまったくらいだ。

 しかしけっきょくステフはカイを選んだ。そしてノアも、ふたりが結婚することになったと知ったとき、嫉妬も未練も感じることはなかった。心からふたりを祝福した。つまりステフは、彼の〝運命の人〟ではなかったということなのだろう。

 国王はしばし押し黙ったままノアを見つめたあと、ふたたび口を開いた。

「おまえもそろそろ、ステフのようないい娘を見つけろ」

「は?」

「早く結婚しろ、といっておるのだ」

「はぁ……」

「カイを見てみろ。以前とくらべたら、大ちがいじゃないか」

 国王が大仰に両腕を広げ、肩をすくめた。

「もともと、しっかりした男ではあった。しかしな、数年前は、けっして幸せそうではなかった。なにかこう、尖っていた、というか、つねに腹を立てていた、というか。それがいまは――」

「はい、おっしゃりたいことはよくわかります、いまではいつも――」

 国王はノアの横やりを無視して先をつづけた。

「――見るからに穏やかで、満足そうで、責任感も強くなった。ステフのような娘と結婚したおかげだ」

 いまカイは、開発反対の立場から180度転換し、ホテルをふくむ国立公園を管理する第3セクター〈キイアカ・ビーチ・インスティテュート〉で、初代会長となったステフと一緒にはたらいていた。

「かわいい娘にも恵まれましたからね」

 ノアはそういうと同時に、ふたりの娘ヒナノの顔を思い浮かべ、相好を崩した。

 それは国王も同じだった。

「ああ、ヒナノか。ほんとうにかわいい娘だな、あれは。目に入れても痛くないというのはこういうことをいうのだと、実感したよ」

「父上にしてみれば、ご自身の孫娘も同然ですからね」

「ああ、ほんとうにそうだ」

 国王はしばらく目を細めていたが、やがて真顔に戻った。

「話を戻すが、そろそろおまえにも身を固めてもらわないと困る。もういい歳だろう。いくつになった? 30は超したか?」

「31になりました」

「もう遅いくらいだ。わたしがおまえの母親と出会って結婚したのは、25のときだった」

「そうですね」

「早くほんものの孫の顔を見せてくれ」

「……そういわれましても」

「だれか、つき合っている娘はいないのか?」

「いえ、いまのところは……」

「つき合いたいと思う娘もいないのか?」

「そう、ですね……」

 国王がノアをじっと見つめた。

「マカナのことは、おぼえているか?」

「……マカナ?」

「遠縁の娘だが、子どものころ、たまに遊びに来ていただろう?」

「……マカナ……あ、はい、もちろんおぼえています」

 父の父、つまりノアの祖父は腹ちがいのきょうだいもふくめると、12人きょうだいだった。その世代は、王族にかぎらず、大家族がふつうだったのだ。そしてマカナというのは、祖父のきょうだいのだれかの親戚ということだったはずだ。マカナの両親がかつてロンドンで暮らしていたとかで、遠縁ながら、ヨーロッパ出身のノアの母親と懇意にしていたのだ。

 最後に会ったのは、たしか……彼女が高校に通っていた時分だったか。

 浅黒く健康的な顔と、大きな目をさらに大きく見開いて、鈴を転がすような声で、いかにも楽しげに笑うようすをよくおぼえている。かわいらしい娘だった。

 あのあと、マカナもたしか――

「つい先日、ロンドン留学から帰国したそうだ」

「そうですか」

「もう23歳になったそうだ」

「そうですか」

「……どうかな?」

「は? どうかな、とは?」

 国王がせき払いをした。

「だから、花嫁候補として、という意味だ」

「ええ!? どういうことですか?」

 国王が椅子からぐっと身を乗りだした。

「似合いの夫婦になると思うんだがな。それにマカナなら、将来の王妃にふさわしい」

「いや……急にそういわれましても。それに彼女は……どちらかといえば……妹みたいな存在でしたし」

 国王が背もたれにからだを戻した。

「ああ、そうかもしれないな。とにかく、考えておいてくれ。おそらく、近々顔を見せにきてくれるだろうから」

 国王はそういうと、よっこらしょと立ち上がり、さっさと部屋から出て行ってしまった。

 ひとり部屋に残されたノアは、深々とため息をついた。

 いきなり、花嫁候補を突きつけられても……。

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