終
ラインハルトの葬儀から十五日が過ぎ、喪が明ける頃にリリーは王宮のクルトに会いにきていた。
「爺様」
山奥の屋敷を出てからまともにクルトとは話はしていなかった。自分のことでいっぱいいっぱいで祖父のことを考える余裕もなかったし、自分が神器の容れ物でしかないという事実を直視することもできなかった。
「ああ。リリー、やっと会えた」
嬉しそうに顔を綻ばせる祖父の顔に、自分はどう返せばいいのだろう。
捨てられたことを恨む気持ちはなかった。そもそも捨てたのではないのだ。祖父も父も、ただ祖先に定められたことをなしただけである。
祖父や両親達を理解することはきっと一生出来ない。
恨みや憎しみもない。かといって肉親への愛着を持つには、彼らを知らなすぎた。
リリーは自分と同じ深緑色をしたクルトの瞳を見つめたまま、困ってしまう。
「爺様、屋敷に帰っていいってバルドが言ってたわ。ここが気に入ったら、ずっといてもいいとも言ってたわ」
まずは伝えるべきことだけ告げた。
クルトの処遇はいろいろと揉めたらしかったが、結局バルドの一存とこれ以上は何も必要な情報も手に入りそうにないということで、本人に任せるということになった。
「そうか。やっと帰れるのか。祖先の家は落ち着かない。リリーも伴侶と来るのか?」
「あたしは行かないわ。バルドがここにいなきゃいけないから。爺様にまた会いに行くかもしれないし、もう二度と会わないかもしれない」
ここで別れてもう一度祖父に会いたいと思うかは、自分でも分からなかった。
「子ができたら来るのだろう? 私がいなければ移せない」
クルトが首を傾げるのに、リリーは笑顔を強張らせる。
「……あたし、灰色の魔道士を探そうと思うの。爺様より皇祖様のことに詳しいなら、この心臓をどうしたらいいか知っているかもしれないから」
バルドとふたりで話して、まずこの自分の神器が一体何であるかを知るために、灰色の魔道士の追跡はすることに決めた。とはいえ人手や時間を割く余裕はなく、見つからずじまいになるかもしれないが。
「そうか。彼はすぐに出て行ってしまったから私もよく知らない。……私が必要になればいつでもおいで」
ぽんと、頭を撫でられてリリーは小さくうなずいた。
なんの感傷も持てないのは相変わらずだが、何か分かったら教えに行こうかとは思った。
それから翌日にクルトは皇都をたった。リリーは見送りはしなかった。
***
リリーがクルトと話している間、バルドは現皇主である父の元に向かっていた。
結局、ラインハルトの棺に贈り物をいれることはできず、兄は灰になった。葬儀の後に遺灰の一部を海に撒いたエレンは役目を辞し故郷へ帰って行った。
もう十五日なのか、まだ十五日なのか。兄と最期に言葉を交わした時は、遙か昔のようでついさっきのことのようでもあった。
バルドは王宮の奥まった場所にある父の住まいとなる棟へ足を踏み入れる。ここにくるのは初めてのことだった。父が表に出て民衆に姿を見せる時以外は、父に会ったこともなければ会話もしたことがなかった。
謁見室に入ってバルドは白い大理石で作られた玉座の前に膝をつく。
そこへ痩せた初老の男が重たい衣装を引きずってやってくる。
「そなたが余に会いにくることは、珍しきこともあるものだ」
うだるげに玉座に腰を下ろした皇主が、息子を本当に物珍しそうにする。
「譲位、お願いしたい」
前置きはせずに、バルドは用件だけを申し入れた。
自分はラインハルトにはなれない。だが、何か兄がなそうとしたことをひとつだけでもしたかった。
ただの自己満足だと分かっている。だが何かをせずにはいられなかった。
「……余に問うより宰相に進言するがよい。よりによってそなたがこんなつまらないものを欲しがるとはな。好きにせよ。皇位など、余はいらぬ」
父が全てを投げ捨てて出て行く。
バルドは跪いたまま静かに目を伏せる。
そして相次いだ訃報の不吉さを払拭するためと、大戦を前にしての士気向上ためバルドの即位はその後すぐに決まったのだった。
***
「ついに即位ですねー」
即位式を前にしてラルスが上機嫌でカイに言う。
「……お前は、本当に皇主様が治める国っていうのを見たいんだな」
「もちろんですよ。皇太子殿下も、宰相に従わないお方でしたが、バルド殿下も同じく誰にも飼い慣らされない。皇太子殿下の方が理想に近かったですけれど、バルド殿下も悪くはないでしょう」
「そうかよ。めでたいことだな」
少なくともラルスは新たな皇主を喜ぶ者のひとりだった。
不安に思う者もひとり。
「クラウス、わたくしたち、ここから出られるのかしら」
夫を亡くして以来ずっと黒いドレスを纏っていたアンネリーゼが、今日は薄紅色の明るいドレスを纏って表情を暗くする。
「時期を見てからですね。義姉上」
クラウスがアンネリーゼに一瞥もくれずに、即位式に関しての最後の準備へと向かう。
彼の後ろ姿を見ながら、アンネリーゼはただただ妻としてクラウスの隣に立てる日を夢見る。
そうして、喜びに浸りきれない者も。
ベレント侯爵は帰郷してからずっと塞ぎ込んでいる娘の姿に、気を揉んでいた。エレンは食事はきちんととり、毎日睡眠も不足しているというわけでもないようだが、瞳は虚ろなままだった。
「……父上、即位式には行かれなくてよろしいのですか?」
「いや、いい。せっかくお前が帰ってきたのだ。一緒にいる」
そうですかと書物を眺めていた娘は、また口を閉ざした。
生き抜かなければ。
そうエレンが口だけ動かすのに、父親が気づくことはなかった。
***
即位式はあいにくの空模様だった。黒い雲が空一面に沸き立ち、今にも雨粒が落ちてきそうだ。
王宮前広場でリリーは大勢の魔道士の中に埋もれながら、円形広場を囲む望楼を兼ねた厚い石壁の上を見やる。
ずるりと長い漆黒のマントを羽織ったバルドが現皇主に跪いていた。近くには宰相家の者として正装したクラウスも居る。
皇主がまず左の手に持つ神器を模した『杖』をラルスの父である典儀長官に渡し、さらにバルドの左手に渡る。次にこれは本物の神器である『剣』を。
最後に皇主が胸に止めてある『玉』を模した胸飾りを外してバルドにつける。
そうして現皇主が跪き、バルドが立ち上がる。
「これをもってバルド第二皇子殿下はハイゼンベルク家当主となられ、グリザド皇国皇主となられた!」
典儀長官が声高に宣言し、広場に控える者達はその場で全員胸に手を当て、新皇への忠義を示す。
その時、ごろごろと空が唸った。
大粒の滴が落ちてくる。
ついに雨が降り出してしまった。
「我は唯一の皇主なり。自らの手で偽りの王を必ずや討ち果たす」
稲光を背にして抑揚のない低い声をバルドが轟かせながら真剣を天に掲げる。
『雷皇』というもうひとつのバルドの呼び名が、現実のものとなった瞬間だった、
「我らは! 雷皇に忠心を捧げる!」
雨に打たれてずぶ濡れになりながらも魔道士らは雷鳴や激しい雨音に負けぬほどに声を張り上げた。その声は地鳴りのように響く。
空からも大地からも唸り声が上がり、世界全てが鳴動しているかにさえ思えた。
たったひとり、声を上げずにバルドを見守るリリーは自分の胸に当てている拳を強く握る。
(やっぱり、持って行かれちゃったな……)
バルドは兄を見限ったというけれど、捨てきれてはいないと彼の姿を見て強く思った。
やはりラインハルトはバルドの一部だったのだ。
きっと、バルドの中の何かもラインハルトと一緒に死んでしまった。今、必死に欠けたものをバルドは埋めようとしてる。
(大丈夫よ。あたしがバルドの望む限りずっと側にいるから)
じっと見つめていると、紫の瞳が確かに自分を見た。
リリーは柔らかな微笑みをバルドに返す。彼は小さくうなずいて、凱旋の準備に降りていく。
雷雨に荒れ狂う中の行われたこの即位式が、千年続くグリザド皇国最期の即位式となることはまだ誰も知らない――。
【第一部了】
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