三日月の泥棒

ボウガ

第1話

 病室の窓から見える駐車場に、それは毎度顔を出した。三日月の時にだけ顔を出すシルクハットとスーツの男。正体はみえない。やけににやけた仮面に己の本性を隠しているから。

それなのに、彼は自信なげにこう叫ぶ。

「今から私が三日月を盗もう、そうすれば、あなたの病はよくなるでしょう」

 私にはそれはどうでもいい事だった。だって、病が治らなければそれだけその場所にいられるから。

 初めはうっとおしかった、迷惑だし、病院の人はなぜ彼を止めようとしないのだろうと、けれど、彼の事が見えているのが私だけだとしってから、あるいは彼の本性に気づき始めてから、私は彼の事を愛おしく思えてきた。

「三日月が消えたら、あなたの病はよくなるはず」

 いつしか、その言葉の翌日には、必ず私の病室に絵がおかれるようになった。誰がこれを?と尋ねても看護師たちは、さあ?と疑問を返すだけ。

 なぜ彼を愛おしくおもえたか。私は絶望していたからだ。


 母は、芸術家崩れだった。だから小さな頃から絵の英才教育をしてきたし、私もいう事を聞いてばかりだった。それでもなんだかんだうまくいき、今現在―24歳のこの年までは、すべて順風満帆だった。だが私はある重篤な病にかかり、気が付いたのだ。

“私は書きたい絵などかいてこなかった”

 思えば母の言うままに母の操り人形のように生きてきた。それで成功もしたが、しかし、私自身の存在はどこにもなかった。そのことに気づいてからぱったりと創作をやめたが、母はずっと創作を促してくる。

“あなたの努力と才能の成果は、こんなものではないはずよ”

 私は十分に稼いだ。入院費や治療費で十分たりるほどに。私はもう死んでも構わない。思えば友人関係も、思考回路も好みもすべて母の望む通り、私自身が、母の芸術作品なのだ。皮肉ではあるが前衛的な。


 ある時、私はあの三日月男を私が好きな理由を完全に理解した。―母と似ているのだ―私は彼を憎んでいた。そう、三日月を盗むことなど絶対にかなわない。彼は死神だ。あの仮面の下は母なのだ。そう気づいたとき、すべての肩の荷がおりたきがした。

そして、翌日、絵を促してきた母にすべてをうちあけていった。

母は、泣き崩れてしまった。

「自分があなたにそんなに負担を感じさせていたなんで今まで気づかなかったわ、ごめんなさい、あなたは、もう何も考えなくていい、あなたはもう十分夢をみせてくれたわ」

 そこで私はまた絶望したのだ。やはりあの男の正体はこの母だったか。病院すべてが、これをたくらんで仕掛けてきたのだ。なんて意地の悪い。

しかしその世は、奇妙な周期で空に三日月がでていた。


 だが目をこすりよくみると、それは奇妙に光り輝く一つの絵だった。

「これを、君にあげよう」

 どこからか現れた男が、窓際のその絵を私に手渡した。

「でも、なぜ?」

「いずれわかる」


 翌日から、私の病状はみるみるよくなり、徐々に奇跡的な回復をみせた。



 彼が何をしたのかはわからない。けれど、その話を聞いて私は再び生きる希望が湧いてきた。私は、誰になりたかったのかようやくわかったのだ。私は彼のように恥ずかしがり屋ながら、人に勇気を与える“想像者”になりたい。無理やり人の中に自分を生み出し自分と重ねる“創造者”ではなく。と彼女は知人に話した。



 退院後、彼女はその病院について調査した、その病院が立つ以前、ある富豪がその地に住んでいたらしい。時代にあわず風変りな男で、他者を束縛することを嫌った。そのためにお金を使う事を惜しまなかった。

彼は作家であり、絵をたしなんでいたがその絵はひどく汚く、誰からも好かれなかった。でも彼は、まるで母のようにその夢に最もすがっていた。なぜなら、彼が最初に

人に褒められた芸術的才能とは、絵だったから。


 けれど、誰もその事を責めはしなかった、彼は他人を思う天才だったから。

そんな彼もやがて老衰で大病を患い床に臥せる事になった。その窓から見える景色は、ただ、月だけだった。彼はあらゆるものを手に入れたが、結局最後はありきたりなその美しいものを眺めるだけの末路だった。そして彼は気が付いた。


「ああ、私は“ありきたり”というものの美しさをしらなかったのだ、これまで隠していたがどこまでも“人の上に上にたとう”とばかり考えていた、だからこそ、私の絵は……いや、単純に才能がなかったのかもしれない、だが私のこの苦しみがわかる人があらわれたなら、この絵画をその人に託そう」


そうして彼が最後にかいた絵画は“三日月”だった。

絵画は彼の絵画作品の中で唯一高い値段がついたが、ひどく汚い絵ではあったが人の心を揺さぶる何かがあったのだ。が、しかしある富豪に捨てられて行方不明になった。富豪がいうには“あきた”といって誰かに譲ったらしい。


その後、彼女のもとに“彼”の亡霊は現れ、その絵画を託した。彼女はいまでも彼の絵画を大事にもっている。彼女が生きながらえたのは一種の“呪い”であると彼女自身は捉えていたが、しかし、反面祝福でもあった。

「私の人生で、初めてであった〝人を縛らない想像者〟私は、彼になりたい」

彼女のその後の人生は、それまでにもまして順風満帆なものであった。

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三日月の泥棒 ボウガ @yumieimaru

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