File2‐1給仕は薄青

9月7日

――オクタ――


 オクタは先日、組織の同期であるライースから「ホリー」という女性工作員が殺害された知らせを受けた。

 オクタたちの組織は「上」から命令されれば断ることは許されず、命の危険がある仕事も頻繁にこなしていた。当然組織の工作員がその仕事の中で命を落とすことも珍しいことではなかった。


 つまりホリーの件は組織にとって特別なことではなかった。


 にも関わらずオクタは今夜ライースに通話で飯屋に呼び出されていた。

(二人で話したいと言っていたが、あの雰囲気から察するに……)

 何かあったことは想像に難くない。


 指定された店はアジトから最も近い駅から歩いて数分のところにあった。

 入り口は商店街の奥まったところにあり、店の外には立て看板と提灯が一つあるだけで落ち着いた雰囲気があった。店の外に灯りと話し声が漏れてきていた。若者グループや酔っ払いの声だ。普通の声量で話すくらいならさほど周囲の印象には残らないだろう。オクタは気だるげに店に入っていく。


「やってるか?待ち合わせなんだが」


 店員にそう言ってから店の中を見回す。カウンター席の奥にテーブルがあり、そこに糸目の男、ライースの姿を見つけた。



「遅いですよ、十五分遅刻です」

「悪かったな」

 オクタは仕事ではないのだからそれくらい別に問題ないだろうと思いつつ、ライースの向かいに座った。話を始める前にオクタは「ところで」と言ってカウンターをちらりと見る。


「カウンターに刑事デカっぽいのがいるんだが?」

「気にしなくていいですよ。変に気にしてると逆に怪しまれますよ?」


「そうかい……初めは生か?それとも、お前はもう呑んじまってるのか?」

「まだですよ。仕事の話もしてないのに吞むと思いますか?」

メニュー表を眺めていたライースは興味なさそうにメニューをオクタに渡した。



 店員に注文を済ませ、オクタはふうと息をついた。

「――で、今日はなんで呼んだんだ?ライース」

「今日は急用です。他のチームにはリエールが向かっています。貴方のチームには貴方からこの件を伝えてもらうようお願いします」


 リエールとはライースが育て上げた女性工作員だ。

 組織の中でも仕事が速く、抜け目がないと有名だ。着眼点も鋭く作戦の最終調整に絡んでいることも多い。先々まで見通していくつもの面倒ごとを事前に処理してしまう。

 組織の表の顔である「警備業」を請け負う会社の経営も指揮しているが、それを知っているものは組織の中でも少ない。平時は幹部であるライースの護衛も兼任している。

 そんなリエールを各チームに直々に回しているという。


(本部はこのホリーの件を結構大事だと思っているわけだ)

「急用ってのは?」

オクタの言葉を遮ってライースはその前にと確認する。


「オクタ、貴方は今回なぜ呼び出されたか、察しがついていますか?」


 ライースの雰囲気が変わった。いつも糸目でニコニコ、飄々としている掴み所の無い男だが、一瞬にして目つきが強張った。

「いや全く」

「……では、ホリーが殺された件について話しましょうか」



 仲間が死ぬなんてことはオクタの仕事ならよくある事だ。つい数週間前に仕事をした仲間であってもそれは例外ではない。

「メッセージ飛ばすだけでも済むような話だと思うが?」

「まぁまぁ、とりあえず一つずつ話しましょうか」


 刑事デカがいることで気を悪くしたオクタは悪態を吐きつつも、ライースの次の言葉を待った。


「ホリーが殺された現場は酷いものでした。我々はホリーからの救難信号を受けたことで今回の事件について知ることが出来ました。その後の調査によって殺害現場を洗い出し、遺体はこちらで回収しました。しかし、血痕などの事件があったと見ることのできる証拠を完全には消しきれませんでした」

「そんで?」


 オクタはタバコに火をつけた。ライースはオクタの吸うたばこの煙を払いのける。


「ホリーの件ですが、おそらく警察も情報を持っていないのです」

「は?」


「我々がホリーの遺体を回収した後少し現場を荒らしておきました。その後は近辺工作員を残して、通行人らによる通報を待っていました。警察の動向を探るために」

 現場の荒れようから通行人の中に通報する者が現れるだろうとライースは踏んだのだ。


「警察が情報を持っていないってのは?」

その質問には答えずライースは続けた。


「数分で通行人の一人が広がった血痕を見て通報しました。ですがそれと入れ替わるようにして刑事風の男が三名やってきました」

「……それは警察にしたって流石に早すぎるな」


「更にその数分後に交番勤務の警官がやってきました。現場にはすでに刑事がいたので驚いている様子でした」


 オクタは少し考えてから口を開いた。

「別部署だから知らなかったなんてことないよな?……先に来たのは公安か?」


 そのタイミングで注文した料理を持って店員がやってきた。いかにも居酒屋らしい質素だが、味の濃そうな、些か料理と言うには簡単な物だった。

 店員が離れるのを待ってからライースは「断定はできませんが」と前置きしたうえで再度話し始めた。


「彼らが公安警察である可能性はあります。警官と刑事はその場で揉めているような様子も見られました。そこから警察は情報を持っていない。あるいはホリーの件について共有されていないのではないかと思ったわけです」


「なるほどな。正体が公安かは分からないが俺たちを意図的に消そうとしている奴らがいると」


「公安でなかったとしても警察を自由に動かせる。情報の塞き止めも命令できる。三人の刑事が来た時はホリーから信号が送られた時間から30分も経っていませんでした。計画的に我々を狙って殺害し、隠蔽しようとしていたと考えるのが妥当でしょう」


 オクタは運ばれてきていた唐揚げに手を付けた。

「ホリーの死因は失血死だと思われます。鋭利な刃物による切り傷と打撲痕が見られました。打撲の方は医療班の見立てでは銃床によるものとされています」


「相手は銃を用意できるのか。金持ちか相当なマニアか?ホリーならどこかの組に目をつけられてってこともないだろうしな」


 ライースはグラスの水を流し込んだ。

「……ここ数年、我々工作員。中でも『名前持ち』が死亡する案件は多くありました。それが事故なのか、誰かに仕組まれたものなのか不明でした。今回たまたま用心深いホリーが狙われたから、事の発覚に至ったと考えています」


「……長々と話してきたが、結局お前は何が言いたい?」


 オクタは面倒くさそうにライースに結論を促す。

「私は今回の件、貴方か貴方の生徒の関与を考えています」



「――今日はそれを伝えるために来ました。チームにどう伝えるかは貴方に任せます」

 数分の後オクタとライースは夕食を済ませ解散した。



――ヘキサ――


 六花の目の前にはぼんやりとした視界が広がっていた。輪郭がはっきりとしない。色褪せた世界だった。今の町とは違う。しかし六花には見覚えがある。


「―パパ!ママ!早く早く!」


間違いない。これは六花自身の声だ。


「こらこら待ちなさい六花。今行くから」

「すぐ近くの公園に行くだけなのに。六花ったらはしゃいじゃって」

六花は両親のどこか安心する声を背に聞いていた。


「信号はちゃんと確認するのよ?」

「わかってる~!」


 保育園のお散歩のときやママに言われた通り、六花は信号が「青になっているのを確認」してから横断歩道を公園に向かって走って渡った。


「ほら!早く早――」


 六花が横断歩道を渡り切り両親の方を振り向いたとき、両親が歪んだ。六花に向けられていた笑顔がゆっくりと衝撃を受けて変形していった。一瞬の出来事だったはずなのに六花にはそれが鮮明に見えた。ような気がした。


「――ッ!!!!」

 六花は声にならない叫びをあげて飛び起きた。タオルケットを強く握りしめながら肩で息をする。異様な気持ち悪さが六花を包んでいた。


 すでに夏は終わりかけていたが全身びっしょりと汗をかいている。あの夢のせいだ。


 六花の両親を奪ったバスの交通事故は公共交通機関の運行をAIに任せることができないかという試みが始まって少し時間が経ってから起きた。

 いきなりAIが単独で運転するということはなく人間の運転手が補助要員として同乗し、何かトラブルがあった際には対応することになっていた。

 しかしそのバスは整備不良でブレーキが作動せず、結果として二人の人間が亡くなる大事故を引き起こしたのだ。

 

 六花の目の前で両親はバスに轢かれて亡くなった。引き取り手のいなかった六花は、「Redress」という変わった児童養護施設に預けられることとなった。

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