第39話 いつだって愛してる

 怖い夢を見て目が覚める。誰にだって経験のあることだろう。珍しいことじゃない。

 でも、その夢が現実と地続きだったらどうだろうか?

 メンテナンスルームへ踏み込んだマヒロはまさに悪夢を見た気分だった。

 自分の最高傑作が、自分の友達を襲っている。これ以上ない悪夢だ。


(ハジメが身を潜めている可能性は予想できたのに!)


 以前のように、不意打ちで物理キーを叩き落とされたら今度こそ止めようがなくなる。

 だからサトルは囮を買って出たのだ。ただの栓抜きを手にメンテナンスルームへ入り、ハジメを誘き出すことに成功した。本命の物理キーは部屋の外で待機していたマヒロの手にある。作戦は概ね上手くいったと言えた。

 ハジメが自傷して、受信装置を壊さなければ……

 姿をわざわざ見せて警告したのは、感情的で愚かな行動だった。

 室内からハジメの声が聞こえてきた時点でスイッチを押していれば、すべてカタがついていたのに。


(こ、このままじゃサトルが殺されちゃう……)


 絶対にそんなことはない。AIが殺人を犯すはずなんてない。

 そう言い切れない状況に陥っている。

 元来、ハジメが持っていた筈の感情的なリミッターは外されていた。

 あんなに激しい気性の持ち主だとは知らなかった……では済まされない。

 混乱してもマヒロの頭には一瞬で解決方法が浮かぶ。こうなってしまった以上、ハジメを壊すしか方法は残っていなかった。

 息をするのも苦しい。こんなことしたくない。けれど。


「サトルから手を離せ、ハジメ」


 凄むように声をかけると、サトルに馬乗りになったハジメが振り返る。

 泣きそうに見えた。背が高い筈なのに小さい。


「助けて、マスター」

「手を離すんだ」

「できない。から」

「最後の警告だ。手を離しなさい」


 親が子を嗜めるような口調だった。

 ハジメは目を見開いている。


「マスターは、私よりも大塚くんが好きなの?」

「二人とも大切だ。それじゃダメなのか」

「嫌だ。私はマスターの一番じゃないと嫌」

「そうか」


 大きく息を吸って肺を膨らませた。

 覚悟は決まっていないし、唇が震える。

 それでも唱えなければならなかった。


(これは、ハジメの演算回路をオーバーフローさせる呪文……)


 音声入力で強制的に無駄な計算を無限に繰り返させる。そうすることで思考や躯体の制御に回すリソースを全て奪い、回路を破壊してしまうのだ。そういうプログラムを仕込んである。

 物理キーが効かなかった時に残された、正真正銘の最後の手段だ。

 ハジメは呪文の存在そのものを知らされていないし、聴覚が生きていればそれだけで通用する。

 躊躇っている時間はもう無い。


「地球は青かった! けれど神はどこにも……」


 初めて、その目で青い星を見た者の言葉だ。神の不在を確信してしまった彼の言葉だ。滅びを告げるにはまるで適していないのに、どうしてこれを選んでしまったのだろう。

 雑念がノイズとなり、マヒロの脳内を駆け巡る。激しい後悔が臓腑を突き上げ、涙が溢れてきた。

 マヒロの言葉は間違いなく最後まで紡がれた。

 けれど、それよりも早くハジメが動く。

 今度は両耳の中に指を突き入れて、聴覚センサを自分で壊してしまった。


「バカな…… ここまで…… ここまでわたしの考えを予測を立てて動けるのか!?」


 追い詰められ、絶望的な状況なのにマヒロは感動を覚えてしまう。

 本当に最高傑作だ。それ故に空恐ろしい。

 音声入力による演算回路のオーバーフローという手段も効かなかった。

 フラフラと立ち上がったハジメがこちらに向かってくる。耳の近くにはバランスを取るための加速度センサも設置されていたから、一緒に壊してしまったのだろう。足取りが怪しく、走れもしないようだ。

 息も絶え絶えといった様子で、排熱のために肩やうなじのカバーが開く。柔らかな皮膚の下に隠された機構が露になっていく。

 ハジメの自傷箇所はいずれも小さかったが、確実にダメージを蓄積していた。一部の機能が死んで、これまでのような運動性能を発揮できていない。

 一方で、ハジメから解放されたサトルは咳き込みながら上体を起こしている。

 すぐにマヒロに視線を向けた。

 右手と左手でそれぞれ何かを持っているジェスチャを見せてくる。動きにはよく見覚えがあった。


(わかった!)


 同じく目だけで返事をした。

 絶望の中で光が差す。

 止められる。壊すことなく、この子を……!

 


「マス……ター」


 力なく手が宙を漂う。

 マヒロはその場を動かない。

 両腕を広げて最愛の娘を……友達を抱きしめようとする。

 その刹那、手に持っていた物理キーをサトルに向かって投げた。


「捨てないで」


 小さな腕に包まれ、二人は膝を突いた。

 その背後で弧を描いて落下する物理キーを、駆け出したサトルがキャッチする。


「お願いです、マスター。私を……愛して……」

「いつだって愛してる。今までも。これからも。だって、お前は……」


 頭を抱き締めてやる。さっきも、サトル相手に同じことをしたなと笑いそうになった。

 母親役なんて向いていない。自分の身勝手さはよく知っている。

 けれど、心から二人のことを愛おしいとも思っていた。


「お前は、わたしの自慢の娘で、友達なんだ」


 駆け付けたサトルの手によって、うなじに物理キーが差し込まれる。

 カチッと音が鳴ってハジメは静かに目を瞑った。

 非常停止に成功した証である。


「止まった?」

「あぁ、止まったよ」

「助かったぁ……」

「サトルを囮にする作戦が、わたしが囮になってしまった。臨機応変と言えば聞こえはいいがな」

「ジェスチャに気付いてくれると思ってた」


 よろめくハジメの背後で見せたのは、栓抜きで瓶のコーラを開けるジェスチャだった。

 すなわち、マヒロの手に残っていた物理キーを渡してくれというもの。

 躯体側の受信装置が壊されていても、それは一時停止用の信号だ。物理キーを直接差してしまえば非常停止する。そんなサトルの推測は正しかった。

 マヒロに抱き締められたハジメは隙だらけで、後ろのことなんてまるで見ていなかったのである。それだけ安堵していたということかもしれない。


「ありがとう、戸森先生」

「なんでサトルがお礼を言うんだ?」

「ハジメを見捨てないでくれて」

「……あれだけ怖い目に遭わされたのに、変な奴だな。普通なら怒るだろう」

「言ったでしょ。俺はハジメの気持ちも分かるんだ、って。怒る気になんてなれないよ」

「優しいな、サトルは」

「どうだろ? 優しさなのかな」

「わたしはこの子の気持ちなんて全然、分かっていなかった。いや、研究の成果ばかり追っていて分かろうともしなかった……」


 脱力したハジメを強く抱き締めてやる。躯体はかなり熱い。

 オーバーヒートの兆候が出ており、無理して動いていたことが分かる。


「ハジメのやったことの責任はちゃんと私が取る。その上で、この子を助ける方法も探す。本当にすまなかった、サトル」

「気にしないで。そう言ってくれて安心したよ」

「申し訳ないがハジメをメンテナンスベッドに寝かせてやってくれ。わたしじゃなかなか持ち上げられないんだ」

「ハジメは直るの?」

「わたしを誰だと思っている?」

「そうだね。愚問だった」

「まぁ、しばらくは眠り姫だな。でも、この子が起きたらちゃんと謝らせるよ」

「絶対に謝ってくれなさそうだけど」

「頭を下げさせるさ。本当はね、素直な良い子なんだよ」

「大丈夫、分かってるって」


 静かにメンテナンスベッドに寝かされたハジメの首筋に、次々とプラグコードが差されていく。休憩室からモバイルPCを持ってきたマヒロはデータと睨めっこを始めた。


「そうだ、約束もちゃんと守らないとな。サトルの就職先の面倒を見てやるというやつだが……」

「あぁ、アレね。大丈夫。もういいんだ」

「?」

「やりたいことが見つかったんだよ、俺。だから頑張って自分の力でなんとかしてみせる」

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