第8話 迫り来る魔手

 東堀は左の人差し指でトントン机を叩きながら、落ち着かない様子で電話をかけた。

 相手はコール5回目で出て「もしもし」と受話器の向こうから低い声が聞こえてくる。


「遅くにすいません、校長先生。センカギケンの東堀です」

『あぁ、中央の東堀所長? こんばんは。今夜はどうなされました?』


 教職特有とでも言うべきだろうか、ゆったりとした返しに東堀はやや苛立った。向こうは要件を察している筈だから、わざわざ頼み事をするのも癪である。


「要件はお察しいただけると思いますが……」

『はて…… もしかして、戸森博士の件でしょうか?』

「えぇ、そうです。今日がテスト初日でした。未だ彼女から報告がありませんので気になりましてね……」

『はっはっは、そうでしたか。いえ、何も問題は起きておりませんよ。私も実物を目にするまで半信半疑でしたが…… 驚きました。あれほどまでに精巧に造られたロボットが存在するなんてね。どう見ても人間です。技術の進歩というのはすごいものですな』

「本当に、何も起きませんでしたか? あのAIが…… 戸森ハジメが何か壊したり、生徒に害を与えたり……」

『ご心配なさらずとも大丈夫です。事前に話を聞いていた私ですら、本当にロボットなのかと疑ってしまいましたよ。他の先生も、生徒も、誰ひとり正体に気付いていません。戸森ハジメさんが迷惑をかけたという話も上がってきておりません』

「本当にですか?」

『本当です』

「……そうですか」


 聞きたかった内容はそうではない。東堀は眉間にシワを寄せて唇を噛んだ。

 マヒロが連絡してこないのは重大な問題が起きて、それを隠しているからだと半ば確信していた。しかしその予想は見事に外れている。

 受話器越しに怒りが伝わらぬとタカを括っていたが、校長は空気の変化を機敏に察したらしい。


『東堀所長? どうかされましたかな?』

「あ、いえ。ご協力、感謝いたします。あんな無茶な要請を受け入れてくださるなんて」

『確かに、急な話でしたな。しかし、戸森博士のような方に特別講師として来ていただけるのは喜ばしいことです。あの頭脳は生徒たちにとっても刺激となるでしょう。ロボットの実地テストという交換条件としては、破格だと思います』

「何かあった場合は、校長先生にも責任が及びますが……」

『そうですな。それを承知で受け入れたのです。どうぞご心配なく』

「……こう言っては身も蓋もありませんが、戸森は礼儀を弁えていない節がありますので」

『はっはっは、そうかもしれませんな。今年で14歳でしたか? 頭脳は大人を遥かに凌駕するのに、年相応な面も見られます』

「色々とご迷惑おかけするかと思います。何かあったらすぐに連絡を下さい。センカギケンとして対応いたします」

『丁寧にありがとうございます。私共も戸森博士を出来る限りサポートしますよ。彼女、人前で喋るのが苦手のようですからね。緊張して喋れなくなってしまいました』

「ほぅ…… 初耳です」

『おや、意外ですな。学会発表などで話をされるかと勝手に想像しておりました』

「戸森は面倒臭がって、そういう場にはオンラインでしか参加しません。本人が出て行ったたところを見たことがありませんし、質疑応答のないスピーチなどでは録画した映像を流していますね。まさか喋れなくなるほど緊張するとは……」

『そうでしたか。いやいや、全校生徒の前で挨拶をしてもらったのですが緊張して喋れなくなってしまってね。まぁ、ああいうのは慣れです。うちの学校にいる間にスピーチにも親しんでもらいましょう』

「えぇ、そうですね。是非ともお願いします。では、今夜はこれにて失礼します」


 受話器を置き、東堀は無言で机の天板に拳を振り下ろした。

 いっそ、ここで校長の口から不満でも出てくれた方が気が楽だったというのに。

 抑えていた怒りが一気に噴き出し、執務室のデスクにあった書類やら本やらを乱暴に投げ飛ばす。


「くそっ!! 戸森め!!」


 東堀は30年近く真面目にコツコツと研究に取り組み、長く苦しい道をずっと歩いてきた。その過程で何度も挫けそうになったが次第に成果を上げるようになり、先端科学技術研究所の所長の地位まで登り詰めている。

 そんな東堀を脅かす存在が戸森マヒロだった。

 ポッと出の彼女は東堀が博士号を取得した時の半分の年齢で同じことをやってのけ、一瞬で頭角を現したのである。

 まるで協調性がなく、あちこちから資金を募ってはやりたい放題やって、挙句は宮前市にあるセンカギケンの建物ひとつ占有して自分専用のラボにしてしまった。そんな奔放な振る舞いでも支持されているのは『戸森モデル』というAIに関する理論を提唱した実績のおかげだ。

 その先進性や素晴らしさを東堀は認められない。頭では理解できているが感情がそれを否定する。

 あくまで戸森マヒロはセンカギケン所属の一研究者でしかなく、組織の長は自分なのだ。殊勝な態度から程遠く、報告を上げてこないことから分かる通り東堀は舐められている。


「あのポンコツAIの情動の閾値設定を密かに変えておいたのに、何も問題が起きていないなどと……」


 狙い通りなら今頃、ハジメは学校で暴走している筈だった。

 所長権限でマヒロのラボにアクセスし、痕跡を残さぬよう慎重に仕込みを行ったのである。

 だがうまくいかなかった。


「暴走する前に戸森が止めたとしか考えられない。こんなことなら監視プログラムでも仕込んでやりたいが……あの躯体はスタンドアローンで通信できない。情報を拾うにしても校長を経由するしかないが……」


 ブツブツと呟きながら執務室の中をグルグル歩いて回る。

 先ほど投げ捨てた書類を踏んでしまったが、いちいち気にかけることではない。センカギケンのスポンサー等から送られてきた忌々しい手紙である。今時、印刷した紙を郵送してくるなんてあまりにも非効率的だった。そのことが東堀を余計に苛立たせてしまう。


「このままでは、私の地位が戸森に奪われてしまう……」


 手紙の内容は一言一句違わず頭の中に入っている。

 書いてあること自体は極めてシンプルだった。『センカギケンの次期所長に戸森マヒロを推薦する』だ。困ったことに利害関係者の間では、戸森マヒロはアイドルと化している。そのせいで表に立たせようという風潮が強い。

 14歳の生意気な小娘が、自分のすぐ後ろまで迫ってきている。万が一、副所長になってしまったら今以上につけ上がり、やりたい放題されるのは目に見えていた。そのことが所長たる威厳すら捨てさせ、東堀を行動へと掻き立てていた。


「なんとしても戸森のプロジェクトを失敗させてやる…… あの子供をセンカギケンから追い出してやる……」

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