第3話 転校生急襲
夏はまだなのに暑かった。急な朝礼で集まらされた生徒たちは蒸した体育館で悲鳴を上げている。ダラダラとした空気が支配する中で、壇上の校長先生が咳払いした。仕方なくといった空気でようやく静寂が戻り、誰も聞いていない話がマイクで拡声されていく。
サトルは周りの連中と話し込むわけでもなく、ボーッと天井を見上げている。あれから就職のことをちょっと考えてもみたが、祖父や担任向けの言い訳を捻り出すこともできていなかった。
「え~、そういうわけで我が宮前高校へ新しく来た講師をご紹介します。
退屈なワードに埋もれていた「新しく」を耳聡く捉えた生徒はピクリと顔を上げ、無数の視線が壇上へと集まる。サトルも首が疲れたので視線を落とした。
(なんだ、あの子?)
手と足が同時に前へ出るギクシャクとした動きで、白衣の女の子が現れる。背が低すぎるせいで姿が壇に隠れてしまい、マイクが頭上にあるせいで声が拾えていない。校長先生が前に出るように促すと、ようやく正面からの姿が露わになる。
「え? あれが先生?」
「どう見ても小学生でしょ?」
「かわいい~」
朝礼に飽きていた生徒たちは次々と声を上げる。
概ね「小さい」とか「かわいい」とか共通した感想を述べていた。
(確かに小さいけどかわいい……かぁ?)
目を擦って二度見してみたが、その意見には疑問を抱かずにはいられない。
教師だという少女は心配になるくらい華奢だった。ボサボサの黒髪のせいで頭が大きく見えるし、目の下にはクマがあって、薄汚れた白衣の下はグレイのトレーナーだった。履いているジーンズも丈が合っていない。コミックか映画に出てくる科学者キャラのような風貌である。
唯一、アクセサリーらしいアクセサリーといえば首から下げているネックレスだろう。
そのネックレスというのも、ありきたりな形の栓抜きにストラップを通しただけ。
総じて外見に力を入れてなさ過ぎる。
「おほん。戸森博士、ご挨拶を」
「わ、わ、わ……」
ようやく捻り出したのは鼻声で、何を喋ろうとしているのか要領を得ない。
そのうちピーっとマイクがハウリングを起こし、集まった人間の半分が耳を押さえた。
見兼ねた校長先生は腰を折って戸森マヒロの口元に耳を近づけ、何やら聞き取っている。こんなに固唾を呑むという表現が似合う光景もないだろう。
その場にいる全員が、彼女の言葉を待ったが、喋り出したのは校長の方だった。
「え~、戸森マヒロ博士は天才科学者です」
あまりにもざっくりした紹介に生徒たちが騒つく。紹介された本人はなぜか得意そうに胸を張っていた。普通、肩書きに「天才」と付けられて鼻を高くする奴なんていない。
「13歳で博士号を取得されました。戸森モデルと呼ばれるAIに関する革新的理論を構築し、日々研究に打ち込んでおられます。その戸森博士が先端科学の特別講師としておいでになられました。みなさんにとっても良い刺激となることを期待しています」
サトルの中でスーッと熱が冷めていく。いや、元から熱なんてなかったか。
少しばかりの興味が失せてまた天井を見上げた。
体育館の中も実に微妙な雰囲気になっている。いきなり天才科学者が講師としてやって来たと言われても反応に困った。生徒たちは互いに顔を見合わせている。
そんな中、端っこの方から大きな拍手が起こった。
先生たちの列に混ざって見慣れぬ制服の女子生徒がいる。その子が、たった一人で大きな拍手をしたのだ。
周囲も釣られて拍手をはじめ、手のひらを叩く音が複雑に織り混ざって反響する。
ちょうどサトルの立っている位置から、女子生徒の顔が見えた。
(……美人だな)
モデルさんかと思うほど立ち姿が綺麗で背筋が伸びている。
目鼻立ちがハッキリしているし、腰まで伸びた艶やかな黒髪が目を惹いた。指定のブレザーではなくセーラー服なので転校生かもしれない。
あまり他人に興味のないサトルでも気になった。
女の子は視線に気付いたのか、サトルの方を見て笑顔でお辞儀する。
(うっ……)
咄嗟に視線を逸らし、重くなる胃を右手で支えた。
ジロジロと見るべきじゃなかったと反省していると、戸森先生は喝采の中で去っていく。
次は転校生の紹介だろうと踏んだが、サトルの予想に反してそのまま朝礼は終わってしまった。
クラス毎に体育館から出るとき、柄にもなく例の子が気になって振り返ってみる。
けれどその姿はもうどこにも見えなかった。
朝礼で見かけた美少女をもうちょっと拝みたかったという願望は10分と経たずに実現してしまう。2年1組の教室に戻ると担任の岩崎先生が入ってきて、全員に席に着くように促した。
「えー、おはよう。一限の授業まで時間がないから手短に転校生を紹介する。入ってきて」
(あの子は……)
前の扉から入ってきたのはさっきの女の子だった。
サトルは手前の方の席だったので、その子の顔がよく見える。
やはり美人だ。纏う雰囲気はどこか浮世離れしていて、神秘的という形容がよく似合う。
その子は岩崎先生を一瞥してから、教室の前面の壁を覆うディスプレイにタッチペンで自分の名前を書く。お手本のように整った文字で『戸森ハジメ』と。
「戸森?」
「さっきの子供みたいな先生も戸森って苗字じゃなかったっけ?」
「もしかして親戚?」
「はいはい。勝手に喋らない。戸森さん、自己紹介して」
岩崎先生が手を叩いて注意する。
ハジメは柔和な笑みを崩さず静かになるのを待った。それから飛び切りの澄んだ声と共にお辞儀する。
「はじめまして。今日からお世話になります、戸森マヒロです」
「みんなの想像通り、戸森ハジメさんは本日から赴任された特別講師の戸森マヒロ先生の従姉妹にあたる。仲良くするように。いいね?」
「「「はーい!」」」
(あの天才ちびっ子の親戚か……)
いい気分がしなくて机に伏せてしまおうとした。
だが、そんなサトルをハジメの視線が捉える。またしても目が合ってしまったのだ。途端に身体が硬直してしまい、反射的に小さく頭を下げる。別に挨拶するつもりなんてなかった。
そんな様子を見ていたハジメは、体育館で目が合った時とまったく同じお辞儀をしてくる。
目の開き具合も、頭の角度も、タイミングさえも。耳にかかる髪の毛の本数まで同じではないかと錯覚した。
背中に冷たいものを感じ、顔を伏せてしまう。
(なんだ? なんなんだ?)
たまたまだろう。
偶然、さっきと全く同じ動作をしたように見えただけだ。
そう言い聞かせても釈然としない。ハジメの動きは、まるでゲームのキャラみたいにリピートしたのだから。
(綺麗な子と目が合って焦っただけだよ。そうに決まっている)
「戸森さんの席はどこにしようか…… 希望はある?」
「私、前のほうがいいです」
「そうか。じゃあ、大塚くんの隣が空いてるからそこに座って。ほら、手前の方で寝ているあの男子ね」
「はい」
(隣じゃねーか!!)
得体の知れない恐怖を勝手に感じていたことを差し引いても喜べなかった。
空席であることは気楽とイコールなのだ。
それが転校生に座られてしまったのでは面倒なことになる。
このまま狸寝入りで1日過ごしたい。しかし、毎日それを続けるなんて無理だろう。
「それじゃ、今日も一日しっかり勉強して頑張ること」
いつもの挨拶で締めて岩崎先生が出ていくと、ガタガタと物音がした。伏せた
状態でも分かる。クラスの半分近い人間がハジメの周りに集まってきたのだ。
「ねぇねぇ、戸森さん。どこから来たの?」
「髪、キレイだねぇ」
「髪だけじゃないよ! すっごく美人! 背も高いし、羨ましい~」
「おい、女子ばっかり話しかけるなよ!」
「そうだ、そうだ!」
「あのちっちゃい先生と一緒に住んでるの?」
「連絡先交換しない!?」
質問攻めから男女の衝突まで始まってしまい、心底どうでもよくなった。サトルは寝たフリを続けようとする。
しかし、急に辺りが静まり返った。
「大塚くん」
呼ばれて、誰の声かすぐに分かった。
さっき自己紹介のときに聞いている。透き通っていて爽やかな声である。
無視しようか迷っていたが、周囲からの無言の圧に負けて顔を上げた。集まったクラスメイトたちの視線はサトルに集まっている。
唾を呑み込み、ハジメの顔を視界の隅に入れた。本能的に目を見てはいけないと感じたのである。そのせいで転校生がどんな顔をしているのか分からなかった。
「な、何か用事?」
「大塚くんって、付き合っている人いる?」
「「「なっ……」」」
「「「えっ……っ!?」」」
男子は絶句、女子は驚愕といった反応である。
質問されたサトル自身は3回ほどハジメのセリフを心の中で反芻した。あまりにも意味不明で、どう答えるべきか結論が出せない。
(なんで俺、今日転校してきた子に「付き合っている人いる?」なんて聞かれているんだ?)
高校生活2年目の春。
サトルはこれまで無用に目立たないよう、それなりに努力してきたつもりだ。
学校では空気のように透明な存在でいたいと考えている。誰かから声をかけられる機会を作らないようにしてきた。
その信念がこうもあっさり崩されるとは想定していない。
黙り込むサトルにクラスメイトたちの目は冷ややかになっていく。こういうシチュエーションは苦手だ。自分の鼓動以外の音が聞こえなくなっていく。
「大塚くん?」
首を傾げるハジメは、あくまで優しそうな笑顔だった。
それが逆に恐ろしくてサトルは目を逸らせながら答える。
「いない、けど」
「そう。そうなんだ」
何故か声音は嬉しそうだった。
それからハジメは隣の席に座り、授業を受ける準備を始める。
机の周りに集まった連中は狐にでもつままれたみたいな表情で解散していく。誰もハジメの意図を問い詰めなかった。
(なんなんだよ、一体……)
混乱に陥って頭を抱えてしまう。いくら考えても真っ当な答えが思い浮かばない。
一限目の授業が始まる前にもう一度だけハジメの様子を確認すると、やはり最初のときと全く同じ笑顔でお辞儀してきた。
無性に恐ろしくなって、サトルは寝たフリをした。
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