第25話 もう怖くない

 クラスの誰もが、目の前の問題に真剣に向き合っていた。

 美羽は、序盤はスラスラ解けたのだが、後半苦戦している。

──後藤先生~! もうちょっと簡単にしてよ~!!

 優しい後藤先生に気を遣って聞かなかったのだが、どこを勉強すればいいか聞いておけば良かったかも。

 「おぅ~!!」と頭を抱えていると、カツカツとシャープペンを机に打ち付ける音が聞こえた。

──諦めちゃダメだ。

 テストのときは出席番号順に並び替えるので、青木は左前の角だ。

 美羽からは右の後頭部が見える。

 青木がシャープペンを持った手で頭を掻いた。

 青木の黒髪の中に、白いシャープペンが見えた。

──青木くん、白いシャープペン、使ってる。

 美羽は自分の右手の中にある深い青色のシャープペンを見た。

──お揃い。

 同じ種類のピンクも持っているが、美羽にとってお揃いはこちらの青いシャープペンだ。

──よし、頑張る。

 部分点でもいい。一点でも多く取れるように頑張ろうと問題を確認し始めた。

──こんな感じかな?

 合っているかわからなくても、とりあえず埋める。

 多少変なことを書いても大丈夫。笑われても、本気でバカにしているわけではないとわかっている。

──もうこの際、後藤先生を笑わせにいってもいいんじゃないか。

 とにかく書けそうなことを書いて、最後に見直しをしてテスト時間が終了した。




 明日もテストは続く。美羽は辻たちと図書館で勉強することにしていた。

 最近はちゃんと親に伝えてきから家を出てきている。驚きながらも頑張ってと応援してくれた。

「明日で最後なんだから、今日くらいいいだろ~」

 北野が嫌がる姿は、日常茶飯事だ。

 最近は、口では嫌がりながらも、足は止まることなく図書館に向かうので、毎日のお決まりの行動なのだろう。

「明日が最後なのですから、頑張りますよ。最後の力を振り絞るのです」

「俺にばっかり構っていると、辻の成績が落ちるぞ」

「それが大きな問題なんですが、実は北野に教えていると、記憶が整理されて、ちゃんと理解できていないところが浮き彫りになるのです。解いている時間は減りましたが、テストは解けていると思うんですよね」

「ホント、辻はオカンかよ」

「探偵部をやめさせられて、塾通いになれば、結局毎日勉強なんですよ。それなら、自ら進んで勉強した方がいいとは思いませんか? しかも探偵部を続けることが出来るんですから」

「まぁ、そりゃ~な」

「これからも、オカンには世話になるとして~」

 北野と辻がズンズンと図書館に向かっていく。

 図書館までの道のりは、いつもの通学路を少し外れて、若者がたくさんいる公園の前を通る。

 ヤンチャそうな中学生や、大声で騒ぐ高校生。他の学校もテスト期間で半日なのだろう。

 公園に用事があるわけではない。歩道をまっすぐ歩いていると、

「あれ? ミハネじゃない?」

 後ろから腕を掴まれた。

 振り替えると、中学時代の女子のリーダー、梨佳ちゃんだった。

「やっぱり、ミハネだ~!! ねぇ、何でこんなところにいるの?」

 掴まれた腕が痛い。

──梨佳ちゃん、力入れすぎ。

「図書館で勉強しようと思って」

 図書館の建物を指し示す。

「へ~、やっぱりミハネは頭いいね~」

 辻たちも図書館に向かうのをやめて待っていてくれているし、青木は険しい顔で近くにいる。

「ミハネがさぁ~、近くにいてくれないから、私すごい困っているんだよね~。また、宿題やってよ~。ホント、回りのやつ、ヤなやつばっか! 」

「そうなの?」

 美羽は、皆自分に合った学校に入ったのだから、楽しく過ごしているのだと思っていた。

「そうなの~。もう最悪~。彼氏には裏切られるし、宿題やらないって怒られるし。出席日数がなんだっていうんだよ。テストが悪ければ、追試があるし、補講があるし、嫌だからサボって逃げてたら、進級できないって脅されるし」

 万が一赤点をとっても、追試を頑張ったり補講を受ければ単位をくれる。高校の先生だって、留年させたいわけではない。

 頑張っているという姿勢を見せることが重要なのだ。

 美羽だって初めのころ散々な点数をとった。今平均を取れるようになった美羽からすれば、努力も悪いことではない。

 勉強しなければ点数をとれるわけがない。知らないことや、わからないものは答えようがないのだから。

 

 必要以上に強く掴んでいた腕を振り払うように離して、「あれ? あれ?」と青木の顔を覗き込んでいる。

「ねぇ、ミハネ! かっこいい人と一緒にいるけど、もしかして彼氏??」

──いや、いや。彼氏なんていったら青木がどんな顔をするか……

「いや、友達……」

 仲は悪くないと思っているが、わざわざ言わされるとちょっと切ない。

「ねぇ、めっちゃイケメンじゃん~。ミハネの友達にはもったいない~!! ねぇ、私に紹介してよ」

 友達にもったいないとは、どういう意味だろうか? と首をかしげながら、青木の方を見る。

 不機嫌そうな顔をしていた。

──え? 紹介していいのかな?

「青木くん?」

 美羽の呼び掛けは、しっかり聞かれていたようだ。

「え~!! 名前までかっこいい~!! 青木くんっていうの?? クールな感じも超かっこいい~!! 悪そうなところも素敵~!! ねぇ、私、梨佳っていうの。ミハネとは小学校中学校が一緒だったんだ。私と遊びに行かない?」

 梨佳は、猫なで声で体をくねらせて、青木を上目使いで見上げている。

──なんだか、すごい嫌なんだけど

 美羽は自分の感情に戸惑いながらも、何とか断る台詞を口にした。

「あの、明日もテストで、まだ勉強しなきゃならないんだ」

「え~!! 勉強なんて、しなくてよくない? 遊びに行こうよ。っていうか、なんでミハネが断ってんの??」

 梨佳は昔と変わらず、美羽を睨み付けて凄んでくる。

 美羽は、余り怖いとは思えなかった。それよりも青木の機嫌が気になる。

──青木くんがめっちゃ不機嫌だから、これ以上はやめて!!

「俺は、美羽と一緒に図書館に行くんだ」

 今まで聞いたこともないくらい低くて冷たい声がした。

──……美羽? 名前呼び捨てだった??

 不機嫌きわまりない青木には申し訳ないが、不意打ちの名前呼び捨てに少し照れる。

「やだぁ。声もかっこいい~!! 連絡先交換しよぉ~」

 梨佳が、さらに猫なで声で舌足らずな話し方をした。

「美羽。図書館、行こう」

 青木の優しい声に、不覚にもドキッとする。

「え~。私も一緒に行ってもいい?? でも図書館はつまらない~。ほかの場所にしよぉ~」

 つまらないと言われても、明日のテストのために勉強したいのだ。

「勉強しに行きたいの」

「ミハネに言われたくない。それにミハネだけ行けばいいでしょ~。青木くん、遊びに行こ~」

 青木は、思いっきりため息をついた。

「お前と遊んでいる暇はない」

 青木が美羽をリュックごと前に押すので、図書館に向かって歩きだした。それを見て、辻たちも図書館に向かい始めた。

 少し距離が縮んで北野が「あいつヤバいな」と呟いているのが聞こえてしまった。

「やだ! 冷たい青木くんも素敵~」

「図書館が嫌なら帰れ。中にいる人に迷惑がかかる」

「え~。つまんないの~」

「梨佳ちゃん、じゃあね」

 梨佳ちゃんのことは昔ほど苦手じゃない。ただ、今みたいに自分の希望だけ突き通すようじゃ、仲良くはなれないなと思った。



 図書館の閉館時間になったので全員で駅に向かう。

 彩夏は遅れて合流した。

 テニスの練習をしていたのだ。敗者復活戦から県大会出場権を勝ち取った。藤咲先輩は危なげなく県大会出場を決めたので、テスト中とは言え、体が鈍らないように二人で少し練習していた。

 藤咲先輩のことを悪く言う人はいなくなったらしい。

 図書館の自動ドアを通り抜けると、彩夏が拳を握りしめて大声を出した。

「ちょっと聞いて~。今日、私が帰ろうとしたら、藤崎先輩と渡辺先輩が~、なんかちょっと良い感じで!!」

「付き合ってるの?」

 美羽が聞くと、彩夏はわからないと言う。

「でもぉ。私の理想の美男美女カップルがぁ~!!」

 彩夏は、美人もイケメンも見ているのが好きで、美男美女カップルを見守りたいという変わった趣味がある。美人の藤崎先輩のお相手が、見た目は普通の渡辺先輩っていうことが悲しかったらしい。

「でも、確か渡辺先輩ってテニス上手い先輩だよね。優しかったよね」

 藤崎先輩のラケットが隠されたとき実際に動いていたのは大島先輩だが、それは、渡辺先輩が気にして頼んでいたからだったはずだ。

「そうなの!! 渡辺先輩、超いい人! だけどぉ~」

「いい人なら良いじゃん。それに付き合ってるって確かめたわけじゃないんでしょ」

「うん。でもいい雰囲気だったし……。いや、あんた達みたいな場合もあるか」

 彩夏が、美羽と青木を見比べて満足そうにする。

──仲良いのに友達ってこと?

「小林、余計なことは言うなよ。なぁ、美羽、今日は早く寝ろよ。寝付けなかったら連絡してもいいぞ」

 勉強していても、たまに梨佳のことを思い出した。その度にお揃いのシャープペンを眺めて気持ちを落ち着かせた。

「え? でも明日テストだし、青木くんも万全の状態で望みたいんじゃ?」

「11時までなら大丈夫だ」

 美羽が「勉強するとき連絡するね」というと、彩夏が気がついた。

「あれ? 寝付けないって怪しい~!! それに、青木って、ミハネのこと、名前で呼んでたっけ?」

 青木が梨佳に会ったことを彩夏に説明し始めた。

「あいつが何度もミハネって呼んでたんだ。呼び方も……今思い出してもイライラする。あいつと同じなんてシャクだろ。俺は、 美羽って呼ぶ」

 辻も「あの人と一緒は嫌ですね」と、美羽さんと呼ぶと言い出し、全員が呼び名を変えてしまった。

 青木に何度も呼ばれて、慣れてしまったからだろうか? 青木に最初に呼び捨てにされたときほど、ドキドキしなかった。

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