ペンション風民宿

 健太郎と愛子の回復時間を待つために東尋坊の遊覧船に。


「ちゃうやろ、乗りたかっただけやろが」


 バレたか。でもさぁ、待ってるだけじゃ退屈じゃない。それに千五百円なら乗るべきよ。


「遊覧船に乗せて、どこが回復時間や」


 違うって、回復度合いのテストだって。三十分の遊覧を楽しんで出発。東尋坊からは坂井丘陵フルーツラインから国道八号に乗り北上。ところで小松バイパスは本当に走れるのよね。


「原付二種やったらOKのはずや」


 ホントだ。緑の道路案内じゃない。しかも立体交差の信号無しの四車線だから高速並みだよこれ。予定通り金沢市内はパスで能登には向かうけど、健太郎と愛子の消耗もあるから、


「わかっとる。もともと千里浜渚ドライブウェイの入り口すぐ近くにしといたからちょうどエエわ」


 飯は、


「そんなもん海鮮しかあらへんやろ」


 場所柄的に他はないよね。風呂は、


「源泉かけ流しや」


 そりゃ豪気だな。


「歩いて一分ぐらいのとこにあるらしい」


 銭湯というより外湯に近い感じだって言うから良さそうじゃない。浴衣のサービスは、


「そうそうあるかい」


 それは残念。東尋坊から休憩を挟みながら二時間半ぐらいかかったけど、ここはもう能登よね。そろそろ近くに来てるはずだけどコトリもナビを確認してる。この辺は住宅街みたいだけどごちゃごちゃしてるところだな。こういうところの宿って、なかなか見つかりにくいのよね。


「この道を真っすぐに行ったら高速にぶち当たる」


 それって高速じゃなくて能登有料道路じゃないの。


「いつの時代の話をしてるねん。無料化されて今はのと里山海道や」


 だったらそっちで来れば良かったのに。


「自動車専用道路や」


 ギャフン。たくなんだよ。でもあそこか、道路を潜るトンネルの手前を右に曲がって走って行くと。


「あった、あった」


 なんてわかりやすい。屋根にでかでかと民宿って書いてあるじゃない。あははは、本当に普通の民宿だ。駐車場も広々してるよ。うん? ペンション風民宿って書いてあるけど、これってどうなんだ、日本のペンションの定義ってたしか洋風民宿だったはず。


「頑張ったら洋風に見えるやん」


 そりゃ純和風には見えないけどこれを洋風って言うのかな。それにだよペンションは洋風は洋風でもオシャレな洋風のはずよ。山小屋風とか、ログハウス風とか、オーナーのこだわりが出るところじゃない。それと食事も洋風なの?


「いやHPの写真で見る限り和食風や。そやからペンションやなくてペンション風なんやろ」


 あのね、ペンション風民宿って無理やり言い換えれば、


『洋風民宿風民宿』


 こんな判じ物みたいなものになるじゃない。というかさぁ、今さら無理やりペンションなんか持ち出さなくとも、


「あの時代の名残やろな」


 あの時代か。ペンションが爆発的なブームだったのは一九八〇年代だったはず。


「清里がすごかったな。ペンション泊まって、フレンチ食べて、テニスが黄金の三点セットやったもんな」


 清里以外でもそんなのが多かったと思う。ペンションも分類上は民宿に過ぎないのだけど、あの頃はまったく別ジャンルのオシャレな宿とするイメージ戦略が、これまた異常に成功したケースだと思うんだ。


 民宿って今だってそうだけど、ホテルや旅館と較べると格が落ちると言うか、お手軽と言うか、安っぽいとか、貧乏くさいイメージがあるのよね。安さで売るそういう民宿も多いのは確かだけど、これがペンションと名乗るだけで光輝くオーラをまとったと言えば良いと思う。


 清里はそんなペンションブームの象徴みたいなところと言っても良いかもしれない。ペンションのオシャレ感をコンセプトにした街が出来上がったと言えばわかるかな。これも時代だけどアンノンが乗っかって清里のブランドイメージは暴騰してた。


「そやったな。なんでも清里って付けるだけでプレミアが付いたもんな」


 清里のペンションに泊ったと言うだけで羨ましがられたし、清里土産っていうだけで有り難がられたもの。この清里の大成功を見て、日本中が清里風のリゾート作りに狂奔してていたぐらい。


「ほいでも、やる事が似すぎて金太郎飴みたいになっとった」


 コンセプトを守ると言えば格好が良いけど、どこもかしこもログハウス風の建物で、食事は判を押したようにフレンチだったものね。


「あの頃は高級洋食いうたらフレンチで、まだイタ飯ブームの前やったはずや。もっとも、今でもフレンチとイタリアンの差がわからんのも多いで」


 まあね、和食と中華みたいな誰でも一目でわかるような差はないものね。それと今となっては理解できないかもしれないけど、


「当時の大学サークルの定番と言うか、それがなかったら人が集まらんかった」


 あの頃のサークルは猫も杓子もペンションに泊って夏はテニス、冬はスキーだ。スキーはスキー場だけど、どこのペンションもテニスコートの確保に血眼になっていた。テニスコートをどれだけ確保できるかが集客に直結してるって感じだよ。この頃に量産されたテニスコートは、


「今でもたまに荒れ果てたのを見るよな」


 こんなところにどうしてって感じで量産されてたもの。今はそんな感じだけど、あの頃にはテニスコートの周辺にペンション村みたいなのがあったはずなんだ。ペンションとテニスコートの黄金コンビの名残りみたいなものかな。あれから幾星霜だけど、


「清里は見る影もなくなってもたらしいで」


 動画で見たけど、あれはゴーストタウン一歩手前だよ。とにかく物悲しいのは全盛から廃墟化までの期間が短いこと。だってだよ学生の時に清里にウキウキして行ってた人が、オッサン、オバハン年齢になるぐらいしかないのよね。


「バブルの遺産やろな」


 なんでもバブルで説明してしまうのもあれだけど、やっぱりそうなると思う。強いて言えばバブル崩壊とペンション&テニスのブームの終焉が重なったのかもしれない。


「テニスにしろスキーにしろお手軽スポーツと言い難いところがあったもんな」


 今となったら想像するのも難しいかもしれないけど、昭和にはいくつも爆発的なブームがあった。ブームが炸裂すると、そのブームに乗ろうと誰もが殺到した感じかな。だけどさぁ、テニスもスキーもそんなお手軽スポーツじゃないのよ。


 どうしたってある程度のトレーニングをしないと『楽しむ』レベルになれないってこと。そりゃ、初心者じゃ、


「テニスやったらまずボールがまともに打ち返せん。スキーやったら、立つのもやっとこさや」


 これも誤解を招くといけないから断っとくけど、テニスもスキーも必ずしも高難度のものじゃない。だけどさぁ、いきなり始めて上級者にすぐ上達しないのは、どんなスポーツも一緒だってこと。


 だけどあの時代はやっても楽しくないは決して口にしてはならない空気に溢れてた。誰もがそれをやらないといけないと狂奔した時代だったと言っても信じてもらうのが難しいかもしれない。


「あの頃のクリスマスディナーもやり過ぎてた」


 イブの夜にオシャレなフレンチを予約して恋人と聖夜を過ごすやつか。そりゃ、今だって素敵だと思うけど、


「半年ぐらいカップ麺生活したって話もいくらでも転がっとったからな」


 加えてブランドブームも来てたから、ヴィトンとか、ハンティングワールドとかのプレゼントの調達に死に物狂いだったもの。あの頃の熱気が失われたの理由もあれこれあって、まずは若者人口が減ってしまったこと。


「そやな。減った上に若者が貧乏になってもた」


 バブルの後はひたすら不況だもの。だってだよバブルの頃は就活なんて言葉さえ一般化してなかったもの。あったのは、


「いかに青田刈りを抑えるか」


 就職前線は売り手市場も良いところだったなんて言っても、今は誰も信じてくれないぐらい。


「ディスコもなくなってもたもんな」


 マハラジャとかジュリアナね。あの頃の遊びで今でも残っているのはカラオケハウスぐらいじゃないかな。


「カラオケは生き残るだけの努力を重ねとるで」


 ペンションだって今でも生き残っているところはある。そういうところはペンション・バブル崩壊後の冬の時代を生き抜いてるだけにしっかりしてると思うよ。


「なんでもそうや。素人がひょいと手を出して成功するほど甘い世界やないってことや」


 ペンションだって客商売なんだよ。客商売の基本は来てもらった客にいかに満足してもらえるかの努力を怠らず続けること。それが宿の評判になるし、リピーターの確保にもなる。だけどあの頃はペンションと名乗り、テニスコートさえ確保できればウジャウジャ客が集まったのよね。


 その美味しすぎる思いだけでやっていたところは淘汰されちゃった。一方であんな時代でも基本を忘れずに努力したところは生き残っている。当たり前過ぎる話だけどブームの渦中にいる時には気づかないのが人だと思う。


「今はインバウンドやけど、あれもデリケートやな。何事も過ぎたるはなんとやらや」


 まあね。どこの国とまで言っちゃうとヘイトだ、なんだと噛みつくのの多いから国名は伏せるけど、あれって日本人から見ると傍若無人の躾のなっていない餓鬼みたいなもんだもの。あんなのが集まり過ぎると日本人が寄り付かなくなる。


「そう言うたるな。日本人かってそう言われとった時期もあったんやんか。そのうちマナーも良うなるで」


 まあね。観光で売っている国ならどこでも通る道ぐらいは言えるかも。なんにしても商売は甘くない。


「そういうこっちゃ。宿入ったろうや」


 わたしとしたことがペンション風民宿の看板に反応しすぎた。

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