第25話 『ありがとう』

 訪問という名の襲撃によって、衣川組を買収という名の解散を成功させた紗希達。その夜、彼女は約束通り格式高い寿司割烹の店を貸し切りにして新鮮な寿司に舌鼓を打っていた。


「ほら望。遠慮しないでじゃんじゃん食べなさい」

「ええ、有難く頂いています」


 紗希は大トロに鯛に雲丹うにと贅沢なネタを惜しみなく平らげているにも関わらず、望は小鰭こはだの握りを口に入れて咀嚼していた。遠慮していないつもりなのだろうが、どうも彼は無欲が過ぎると思う。


「ところで紗希。金庫の中に入ってたものなんですが、アレは一体何なのでしょうか?」

「アレ? まぁ、簡単に言えばアイツらのアキレス腱みたいなモノね」


 書類の内容をさっと流して読んでみた結果、様々な権力者に対する脅しのネタや物的証拠であり、CDも再生してみればその類の録音データであった。

 後は義之の伝手でその後ろ暗い急所を様々なメディアに流出させたので、今頃てんやわんや大騒ぎしている頃であろう。


「……ほらこんなに拡散されてる、つくづくネット社会って怖いわね」


 紗希は望にスマホの画面を見せる。様々なSNSやネットニュースは百地深太男の汚職発覚の話題で持ち切りだった。今まで闇深い疑惑が度々浮上しつつも、ずっと疑惑止まりで完璧に尻尾を掴ませない政治活動を行っていた男だったらしいので、猶更波紋を呼んでいるらしい。こうなってしまえばもうお終いだろう。


「こんなの見てたらお寿司が不味くなっちゃう。……すみません、喉黒のどぐろ一つ」

「……それもそうですね。すみません、俺はいわしを」


 紗希と望の勝利の宴はまだまだ続く。ネタケースの中身を全部食べ尽くす勢いだったが、結局途中で満腹になったのでお会計をした。いつもよりちょっと高くついたが、実に満ち足りた夕食だった。



 翌日。百地一家の悪事は学校中に知れ渡っており、教室内はいつも以上に騒がしくなっていた。中でも魅遊の手先達は阿鼻叫喚の悲鳴を上げており、見ていてそそっかしい事この上無かった。


「おいどうすんだよ!? 百地さんがああなったら俺達……京極院さんに殺されるんじゃねぇ!?」

「ホンット何やってんの百地さん!! 今日に限って来てないし!!」


 いつまでも下衆人間の吐息が混じった空気を吸いたくないと感じた紗希はこっそりと喧騒から抜け出し、校舎の裏庭で一息ついていた。

 普段は人っ子一人も来ない穴場だった筈なのに、慌ただしい足音がどんどんと大きくなっていき、間近まで迫ると鳴り止んだ。


「あ……貴方が何しでかしたか解っているのですか!?」


 今日は欠席していた筈の百地魅遊が、柄にも無く声を荒げ、血相を変えて藪から棒に問い掛けてきた。


「何の事?」

「とぼけないでください! 衣川組から奪ったデータ、あれがどれだけ危険なものなのか理解出来てない筈が無いでしょう!!」

「衣川組? データ? ……さぁ~っぱり分からないわね、アンタの言ってる事全部」

「このっ……!! ……質問を変えましょう。何故、こんな事をしたのでしょうか?」


 彼女が今まで散々やってきた事へと意趣返しとばかりに紗希は白々しい演技と共にしらばっくれる。額にはしっかりとした青筋が立っているものの魅遊は冷静に、落ち着かせてから質問を変えて問い直した。


「決まってるでしょ? アンタがだからよ」

「そ……それだけの理由で?」

「これ以上ない程シンプルで分かりやすい理由はないと思うけど」

「ふざけるなっ!!」


 激昂した魅遊が形振り構わず襲い掛かる。瞬時に紗希の前に立ちはだかり、彼女の握り拳を受け止めた者が居る。言わずもがな、望である。彼も腹に据えかねているのか今までの鬱憤を晴らすべく、両頬を鷲掴みにして締め上げていた。


「身の程を弁えて下さい。貴方如き虫けらが気安く触れていい御方ではありませんよ」


 顎の骨を圧迫され、涙目になっている魅遊。戦意が雲散しているのが側から見ても丸分かりであった。望は手を放すと同時に突き飛ばして地べたに叩きつけた。


「いつか絶対殺す……!!」


 そんな恨み節とも取れる捨て台詞を吐きながら魅遊は去って行った。つくづく小悪党の戯言は聞くに堪えないものだと紗希は情けない背中を見送りながら実感した。


「……望。今回はありがとう」

「……どうしたのですか急に?」

「私、結局のところパパやアンタが居なかったら此処までやれてなかった筈だから……。私なんかまだまだだなって、改めて思った」


 何でこんな事、言っているのだろう。紗希の思いとは裏腹に舌が回り、唇は動き出して止まらない。望も望で、普段は揶揄ってくる筈なのにこんな時に限って何も言わないものだから猶更気恥ずかしく感じる。


「私、望と出会えて本当に良かったって思ってる。だから、望も私と出会えて良かったって、思ってくれるように頑張らないとね」

「……そのような御言葉、らしくないですよ。熱でもあるのですか?」

「アンタねぇ!! どうしていつもそうやって人を馬鹿にして――!!」


 らしくない。確かにその通りだ。だからこそ揶揄われる事を承知の上で吐き出したのだが、いざ茶化されるとなると流石に腹が立つ。思わず言い返そうと振り返ってみると、望は背を向けていた。

 今どんな顔をしているのか覗こうとしても、身体を回転させて頑として見せようとしない。どんな表情をしているのか定かではないが、両耳が少しばかり紅潮しているのはハッキリと分かった。


「……望? アンタもしかして――」

「さて俺は家に帰ります。暫くホテル暮らしでほったらかしにしてたので徹底的に掃除しなくてはいけませんしソーニャを迎える準備もしないといけないしでやる事一杯ですからね。夕食の用意もしないといけないですし本当にやる事一杯です本っ当に」


 有無を言わせない早口と共に望は此方へ振り返る事無く早足で去って行ってしまった。らしくないのはどっちなんだか、と紗希は可笑しさの余り少しばかり笑ってしまった。


 そうこうしている内に予鈴が鳴り響いた。そろそろ戻らなければ。紗希は駆け足で教室へと目指す。その途中で何処か憎たらしくも何処か安心する様な女とすれ違った。言わずとも分かるだろう。京極院絵里香である。彼女は此方を見つけるなり、何か言いたそうにしていた時には、既に言葉は発していた。


「言っとくけど私が勝手にやった事だから。アンタは一切関係ないし何も知らない。それでいいわよね?」

「……ええ。でも、せめてこれだけは言わせてくださいまし」


 ――ありがとう。の風間紗希さん。


「……!」

「隠し通せてたと本気でお思いでしたの? 最初に出会った時から既に気付いてましたわよ、おバカさん」


 今までずっと必死に隠していたのに、これでは道化そのものではないか。紗希は込み上げてくる羞恥心をぐっと抑え、憎々しげに絵里香を睨んだ。


「どうして隠したがるのか理解に苦しみますが……、どうしてもっていうなら内緒にしておいて差し上げますわ」

「つくづく気に入らないわね、その上から目線」

「――それで結構。アナタもずっと、気に入らないアナタのまま、ワタクシの前に立ち塞がってくださいまし」


 最初からずっと気に入らなかった。馬が合わなかった。けれどこの二人の間には奇妙な友情と青春が確かに存在している。思い掛けない絵里香の言葉に紗希は少し驚いたが、これ以上は何も言わずに一笑した。


「――ところで、さっき見掛けた殿方。アナタのお兄様ではなく、執事ですのよね? 捻くれ者のアナタとでも息ピッタリで羨ましい限りですわ」


 捻くれ者は余計だが、誉め言葉として貰っておこう。――何せ、自慢の執事なのだから。


「当たり前でしょ?」


 ――私の執事は完璧で最強の執事なんだから。





第一部・完

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