第21話 菊の花

 知人が交通事故に遭い、緊急搬送される惨劇を目の当たりにしてしまった紗希。人間が生死の狭間を彷徨っている光景には無論驚いたが、それ以上に目を疑ったものがあった。いつも華麗であれ、いつも優雅であれをモットーとしている筈の京極院絵里香が、形振り構わず叫び続けていた事だ。


「――大丈夫なのかな。京極院さん達」


 そのあまりにもらしくない姿が目に焼き付いて離れなかった紗希は、気が気がでなくなって、授業中はずっと上の空だった。

 二時限目、三時限目、四時限目になっても、挙句の果てには昼休みに突入しても絵里香が教室に来る事は無かった。いつも傲慢で、いつも人をイライラさせる事ばかり口走ってくる彼女が居ないだけで、調子は狂うばかりだ。


 居ても立っても居られなくなった紗希は学校中を歩き回り、探し回る事にしてみた。無論、こんな事をしても時間の無駄だし労力の無駄だとは分かっている。それでもあの気に食わない顔を見ておかないと落ち着かないのだ。


「……あら御機嫌よう、風間さん。相変わらず目障りな顔ですわね」


 まさかと思い、紗希は図書室の奥のスペースを覗き込んでみた。本を読み耽っている絵里香が其処に居た。いつも傍に仕えている筈の一人が欠けていたが、確かに居た。

 此方の存在を察知したのか、本に目を落としていた彼女が少しばかり顔を上げると、いつもの様に憎まれ口を叩いた。


「京極院さん……」

「……後生ですからとっとと消えて下さる? ワタクシ、今は誰とも会いたくありませんの」


 本当ならばいつもの様に売り言葉に買い言葉とばかりに啀み合っている筈だ。しかし紗希は、憔悴している姿を懸命に誤魔化そうとしている絵里香を見ていると、何も言えなくて、見ていられなくなった。


「聞きましたか、風間さん。鳥嶋さんが交通事故に遭ったみたいですねぇ」


 思わず振り返った。其処には何故か魅遊が歩み寄ってきて、いつもの薄ら笑みを浮かべていた。


「胸中お察し致します。これ、病室に居る鳥嶋さんにお送りします」

「……ふざけんなお前!!」


 そう言って机に置いて絵里香に渡したのは、鉢植えの菊の花だった。それを見た瞬間、激昂した牧瀬が飛び掛かり魅遊の胸倉を掴んで睨みつける。今にも殴ってしまいそうな危険な空気。それでも彼女の小馬鹿にしている様な態度が崩れる事は無い。


「お辞めなさい牧瀬」

「止めないで下さいエリカ様! コイツだけは絶対許してはなりません――!」

「牧瀬ッ!!!」


 図書室中に響き渡る程の怒声。絵里香の一喝に人々が集まり始める。呆気に取られていた牧瀬は今の状況を把握すると、舌打ちを一つ入れて掴んでいた魅遊の胸倉を名残惜しそうに振り解き、目を逸らさず睨みつけたまま従者の元へと戻った。


「……お花、有難く頂戴しましたわ。それと、彼女の非礼を詫びさせて下さいまし」

「いえいえ。大切な御友人が命の危機に瀕しているとなると誰だって八つ当たりしたくなるものです。……不幸は得てして続くものですから、気を付けた方がいいですよ」

「鳥嶋の事故はやはりお前の仕業かっ!!」

「何の事でしょう? 私には貴女の言っている事が解り兼ねますね」


 一通り玩具で遊び終えた魅遊は愉悦に満ちた表情を隠すように絵里香達の元に去ろうとしていた。この怒濤の展開のあまり立ち尽くしている紗希を横切ろうとした瞬間、彼女は思い出したかのように立ち止まった。


「……貴方もに遭うやもしれませんから近付かない方が身の為ですよ」

「私には近付かないって言ったんじゃなかったっけ?」

「ふふ、そうでしたごめんなさい私とした事が。では失礼します」


 誠意の全く籠っていない謝罪と共に魅遊は去っていく。何処までも癇に障る女だと思い紗希はその背中を憎々しげに睨んだ。


「……本当に品の無い見舞い品ですこと」

「エリカ様。そのような穢らわしいモノ、私が捨てておきます」

「牧瀬。アナタは図書室を騒がせた罰として此処で頭を冷やしておきなさい」


 そう言って絵里香は面倒そうに本を閉じると、まるで汚物を触る様に鉢を摘み、騒ぎを聞きつけてきた群衆を潜り抜けて図書室を退出した。

 本来ならば部外者である自分の出る幕ではない。けれど紗希は何故か彼女を後を追い掛けていた。


 何処か重そうな足取りで、何処か物悲しい背中を見せながら向かった先は校舎裏にある裏庭。其処の花壇で絵里香は裾が汚れるのも厭わず土を掘り、受け取った菊の花を移植していた。


「……覗きなんて趣味が悪いですわよ、風間さん」


 案の定、尾行はバレていたらしい。気配を感じないで背後を取っている望は本当に凄いのだと、暢気な事を考えながら紗希は物陰から出た。


「……ごめん、その、京極院さん……私」

「謝らないで下さいまし。ワタクシを更に惨めな思いにさせるつもりですの?」


 そんなつもりはない。そう言いたかったが、今は何も言っても絵里香の心を傷つけてしまうのだろう。そう考えると、紗希は何も言い返せなかった。


「……ワタクシ達、此処を離れようと思いますの」

「そんな……どうして!」


 原因は聞かずとも解っている。愚問もいい所だろう。だがそれでも紗希は納得出来なかった。


「……鳥嶋と牧瀬。あの子達は昔、誰にも手が付けられない程の暴れん坊でしたの」


 そんな愚か極まりない紗希に対して、絵里香は背を向けたまま昔の事を語り始める。


「誰も味方が居なくて、誰に対しても敵だと見做し、弱い自分を護る為に力で解決するしかない、本当にどうしようもない駄目な子達でしたの」


「ずっと独りぼっちだったワタクシは興味本位で二人を遊び相手にしましたの。最初こそ二人の事を何も分かっておらず、ずっと喧嘩ばかりでしたわ」


「そうしていく内に互いの事を分かっていき、いつしか二人は、ワタクシの妹の様な、存在になる程、大きくなっていましたの……」


 絵里香の声が震えていた。背を向けたまま話しているので、どんな表情を浮かべているのかは見えないが、きっと泣いているのだろう。


「ワタクシは……そんなあの子達を失うのが怖い……! 怖くて怖くて堪らないのですわ……!!」


 絵里香は恐怖で身体を震わせていた。こんな姿を見せているのは初めてだ。いつも気丈に振舞っている彼女が見せる有りの儘の弱み。きっと魅遊はおろか、取り巻き二人にも見せた事は無いのだろう。

 さらけ出している事に気付いた絵里香は慌てて涙を拭き、好敵手に見せるいつもの表情へと戻していた。


「……ああ、ごめんあそばせ。取り乱してしまいましたわ」


 紗希は共感した。自分の大切な存在を失うという怖さに。


「アナタも、あまり出過ぎたマネをしていると百地さんに目を付けられてしまいますわよ」


 紗希は激怒した。その大事なものを踏み躙る愚劣な存在に。


「……お元気で」


 ――そして紗希は、彼女の、京極院絵里香のそんな顔をもう二度と見たくないと感じたのだった。

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