なんて言ったの、小手川さん!
月山朝稀
なんて言ったの、小手川さん!
花火が夏の夜空にはじける。
遅れて、どんと低い音が響いた。
すべての視線を強制的に奪う輝きの中、僕は隣に立つ君の姿をしっかりと捉えていた。
君の唇が動き、言葉を紡ぐ。
ラブコメディの主人公なら、花火のかき鳴らす音に紛れ「なにか言った?」と聞き返すこのシーン。
僕は間違えない。100デシベルの大音響の中から、君の声だけをきっちり聞き分けているからだ。
その声に応えるため、僕は君のほうへと顔を向ける。
花火が終わり、あたりからは拍手が聞こえた。頬を上気させた君は、僕の視線に気づきこちらを見る。
「僕も。僕も君が好きだよ」
精一杯、紳士的な笑みをのせて伝える。
君の目は、ゆっくりと大きく見開いていき、上気していた頬はすっと色を無くした。次の瞬間、顔の中心にすべての力を集中させたように、君はくしゃりと顔を歪める。
そして君は、
「はぁ⁉︎」
と、花火の音よりも耳に残るドスの利いた低音を放った。
僕は頬笑んだ顔のまま凍りつく。夏なのに体がずんと寒い。
おかしい。僕は間違えていない――、はず。
きっちり聞いた。「谷山くんと一緒にいると楽しい」と君が言うのを。
しっかりと見た。花火に照らされながら頬を染める君の横顔を。
何が違った。何を間違った。何か言葉を聞き逃していたのか?
さっき、君はなんて言ったんだ、小手川さん――!
◇
僕は、自分が間違うことはあまりないと自負している。
いや、「ほとんど」と言っていい。
僕には、先を見通してすべて計画通りに物事を進める癖があるからだ。
就きたい職業から逆算して、進学先も自分で選んでいる。
中学は私学の男子校だった。そして進学試験にも合格し、そのまま高等部へ……となるところを僕は踏みとどまる。
なぜなら高校もまた男子校だったからだ。
僕には女子と話した記憶がなかった。姉はいるが、姉は女子である前に家族だ。家族と他人の異性は全く異なる存在である。同じ魚でも、切り身の魚と海で泳ぐ魚との違いといえば伝わるだろうか。
そろそろ女子慣れをしておかねば、コミュニケーション能力に問題が生じてしまうのではないかと危惧した僕は、世の人々が外国語を習得するために海外留学をするように、女子とのコミュニケーションを学ぶため共学へと進学したのだった。
女子については姉という偉大な先生のもと、春休みのうちに学んでいた。
先生曰く、女子が注目するポイントは髪型、肌の調子、服装、爪、らしい。これらが整っていることを「清潔感」というのだと。そしてその清潔感をすべて兼ね備えたものこそが、イケメンの称号を得るのだと。
僕は、出来うる限りの清潔感を身につけた。美容室で髪を切り、肌には化粧水をつけ、にきびのできないよう洗顔にもこだわった。アイロンをかけたシャツに、長すぎない爪。イケメンとまではいかないだろうが、これで女子に嫌悪感を与えない容姿になったはずだ。
自信を持って堂々と、硬すぎずラフすぎず爽やかに話しかけるように。
先生から教わった言葉を思い出しながら、隣の席の女子に「よろしくね」と話しかけた。
隣席の女子は、僕のほうを驚いたように見て、ぼさっとしていた髪をサッサと手で整えながら「よろしく……」と小さく答えた。
僕が初めて話しかけた女子、その子が小手川さんだった。
それから少しずつ会話が続くようになり、他の女子とも普通に会話をすることが可能になった。だが、交流が増えるにつれ、小手川さんに対して安心感を覚えるようになった。彼女と話している時が、一番楽しく自然体でいられるのだと僕は気づいたのだ。
そうして、彼女を地元の夏祭りに誘い、昨夜は一緒に楽しんだ――はずだった。
花火の煙に包まれた後、僕はどうやって家に帰ったか覚えていない。
小手川さんを最寄りの駅まで送って、親御さんが運転する車を共に待っていたようにも思う。メッセージアプリにも「家に着いた?」と昨日の僕は律儀に連絡を入れていた。
ちなみに「既読」のサインがついただけで、返事はきていない。
次に会った時なんて言おう。どういう顔をしよう。
と、考える間もなく、その「次」にあたるのが今日なのであるが……。
夏祭りの翌日、つまり今日は自主登校日で講習がある。
僕は、勉強が好きなので夏休みでも積極的に学校に行く。小手川さんも僕がいるのなら出席すると言っていたから、今日は教室で会うはずだ。何を話せばいいのだろうかとうんうん考えながら教室へ足を運ぶ。
一番乗りかと思っていた教室には先客がいた。ポニーテールをした女子だ。その子は小手川さんの席に座っている。
小手川さんの髪型はいつも同じだった。肩くらいまで伸びた髪。片方の裾が癖毛でいつも跳ねていた。
昨日の夏祭りもいつもの跳ねた髪で、Tシャツにハーフパンツ。蚊に刺されたと膨れっ面をしていたのを思い出す。
教室でひとり座る女子の後頭部がキラキラと輝く。夏の日差しに反射するのは、ポニーテールの裏に留められたたくさんのヘアピン。その隙間から、束ねきれなかった髪が、白いうなじにパラパラとこぼれ落ちている。
どこか不完全なその後ろ姿に、僕は目が離せなかった。
ゆっくりとポニーテールが揺れ、落ちた横髪を耳にすくい上げながら、女子がこちらを振り返る。
「あっ」
声を上げたのは小手川さんだった。
「お、おはよう」
いつものように小手川さんが声をかけてくる。僕はぼんやりとポニーテールの女子を見つめていた。頬を赤く染めてチラチラとこちらをうかがう姿に、花火に照らされた横髪を思い出す。
「小手川さん……」
僕が呟くと、「うん」と女子は小さく頷き、またポニーテールを揺らし顔を隠した。
「髪型、違うからびっくりした」
女子の髪型の変化には気づくこと、という姉先生の教えを実行しながら、僕は昨日の彼女の言葉を思い出していた。
そして、気づいてしまった。そこにある重大なミスに――。
――男の子と話したことなかったけど、こんなに気の合う人ができるなんて思ってもみなかった。
谷山くんと、一緒にいると嬉しい――。
これ……、一言も「好き」と言われていないのでは?
そりゃ、思いっきりけげんな顔で「はぁ?」となるのでは?
頬を赤らめていたのも、今のように暑かったからかもしれないし、花火の光で染まって見えたのかもしれない。
春休みに対女子の予習としてラブコメディを読みすぎたせいで、鈍感主人公になるまいと、入れた気合いが完全に空回りした結果がこれだ。
すでに逃げだしたい心境ではあるが、小手川さんにはきちんと弁明しておかねばならない。彼女とはこれからも一緒にいたいのだから。
クーラーは稼働しているが、灼熱の外気を叩きつけられたコンクリートの教室は十分に暑い。ポニーテールの先をくるくると触る小手川さんの耳は真っ赤に染まっていた。
「小手川さん、昨日のことだけど――」僕が口を開くと、小手川さんは指に絡ませていた尻尾の先をぎゅっと握りしめる。また告白されていると怯えているのかもしれない、と僕は慌てて続きを一気に伝えた。
「本当にごめん! 僕はちょっと言葉を間違えたんだ! あのことはもう忘れてほしい。これからも君とは仲の良い友だちでいたいから!」
ポニーテールに絡んでいた指は、ゆっくりと離れていき、赤く熱していた耳はすっと色を無くしていく。振り向いたその瞬間、顔の中心にすべての力を集中させたように、小手川さんはくしゃりと顔を歪める。
そして彼女は、
「はぁ⁉︎」
と、夏祭りの時よりもドスを利かせた低音を放った。
僕はまた何か間違えたようだ。
何が違った。何を間違えた。何か言い損なったのか?
僕は、なんて言えばよかったんだ、小手川さん……!
なんて言ったの、小手川さん! 月山朝稀 @tukiyama-asaki
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