つきのひかり _01
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虚空に突き出された手が
震えていた。
この力を抜けば楽になれる。
もう腕は限界だった。
月の明るい夜だった。
雄樹の声が届かない闇の中、
私は静かに問い続けていた。
背に触れる壁が冷たい。
三角に立てた足、
わずかに床に
接した部分が冷たい。
「……」
月光が部屋に射しこむ。
カーテンのない窓を貫いて、
床に転がるビンに
陰影を浮かべていた。
眠っていたのだろうか?
遠くで聞こえる声にふと思う。
何もない部屋。
大きな窓が一つ、
対面の壁にドア。
声が大きくなっている。
「……さい」
耳を塞ぐ。
「…るさい」
膝に顔をうずめる。
「うるさい」
でも声が聞こえる。
「うるさい!」
振り回した左手が壁を打つ。
冷たい壁は
温かく迎えてくれない。
痛い。
痛いよ…。
泣き声。
泣き声だ。
お腹がすいているのかも
しれない。
オシメを換えて欲しいのかも
しれない。
「…」
でもここは一軒家。
もう隣の上野さんに
文句は言われない…。
「だから黙ってよ…」
あとはあの子だけ。
あの子さえ
黙ってくれれば・・・
首にかけた銀の十字架、
握りしめても何も変わらなかった。
そのころは
まだワンルームだった。
共同生活。
そう呼ぶのがしっくりくるような、慎ましやかな暮らし。結婚して3年、
あの人の稼ぎならもう少し大きな部屋に引っ越せたが不満はなかった。
「なあ、佳織」
日曜の朝、新聞を読んでいたあの人が私を呼ぶ。
「なに、雄樹?」
二層式の洗濯機に水が注がれるのを見下ろしながら訊き返す。
「今日の午後、
出かけないか?」
「ん?」
「だめかな?」
亭主関白とは対極の位置にいそうな人だったが、その時はその傾向に一層輪がかかっていた。
いぶかしがりながら洗濯機から離れる。
「何かあったの?」
「いや、俺には何もないけど」
「?」
一枚のチラシを広げながら肩越しに私を見る。
私の顔、そこからすっと視線が落ちて、お腹の辺りで止まる。
「赤ん坊が生まれたら、
…引っ越そうって、
そう思ってたから」
「…え?」
「でさ、偶然ここに分譲地の
広告あるから、
…行ってみない?」
拒否する理由はない。
私は小さく頷いた。
そんな私を
穏やかに見つめながら、
あの人は微笑んでいた。
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