第6話

「そうだろ、笑ってても目が笑ってないもんな」

「生まれてから、一度も本気で笑った事なんてないんじゃないかな、あの年でもう更年期だよ。何が気に入らないのか、何時もイライラしてそれを俺たちに八つ当たりしてきてさ」

「そうだよな、完璧主義で、で笑った事ない女だろ、生きてて楽しい事なんてあるのかな」


そんな会話が玲架の耳に入ってきた。さすがにまだ29歳だ。更年期ではないが確かにイライラしている。そして夫とのセックスは此処何年も無い。けれどそれがどうしたというのだ。チームの部下を束ねていくためには強くあらねばならない。更年期も、笑顔もプロジェクトを成功させるに不要なものだ。

それでも、玲架はいささかショックだった。きつく当たるのは、リーダーとして愛の鞭だと理解して欲しいと思った。玲架は、少し肩を落として歩き始めた。


高級ブティックから、いかにも高価そうなブランドの服に身を包んだ、シックな装いの若い女が高いハイヒールを履いて出てきた。道ゆく男性がさりげなく彼女を盗み見ているのが気配でわかる。さっき自分の悪口を散々言っていた会社の部下も、ポカンと口を開けて彼女を目で追っている。


玲架はおしゃれにも、高級ホテルにも縁がなく、白馬の王子様も来ないまま、誰に注目されないまま子持ちの主婦になってしまった。もう誰も名前で呼んでくれない。

お腹周りには肉がつき、顔はむくんで肌はざらざらな、やたらイライラしている安上がりの女でしかないのだ。そう思うと急に悲しくなってきた。


今頃夫は若い女と高級な食事でもして、自分には量販店で買ったバッグを持たせておいて、女にはグッチの新作バッグなんかをプレゼントしているのだと思うと、玲架は急に怒りが湧いてきた。


そのまま玲架は地下道に入った。散歩は切り上げて地下鉄で帰るのだ。そこの片隅に小さな占いの看板が見えた。そこに座っていたのは21歳、22歳と言っても差し支えないあどけない青年だった。私は彼をわざと無視するように、前を通り過ぎようとした。


「おじょう」


彼は玲架の名前を呼んだ。その呼び名に覚えがあった。玲架は中学から大学を出るまで、親しい友達から「おじょう」というニックネームで呼ばれていたのだ。もしかしたら、彼は「お嬢さん」と言ったのかもしれない。しかしどう考えても、自分はもうお嬢様という年齢ではないし、控えめに言ってもぷっくりぽっちゃりした体型で、いいとこ、ややふくよかなオバさんと言った所である。


あるいは彼が声をかけたのは、私でなくて他の人かもしれない。しかし玲架は事実として振り向いてしまった。玲架と目があった少年は玲架に、にっこりと微笑みかけた。それはわずかに栗色をしていた、ふんわりと緩い天然のパーマがかかった髪の少年で、どんぐりみたいな丸い瞳で玲架をみた。そして玲架に向けて軽く手まねきをした。


「おじょう、こっちこっち」


余分なお肉で丸く、ふくよかになったオバさんである自分の姿を一瞬わすれて、玲架は、ふらふらと少年に近づいていった。

近くで見ると少年だと思っていた男の子は、

立派な大人のようだった。年齢不詳で、15歳と言っても通じるし、30歳と言っても頷く他はない。彼の笑顔は麻薬の様に魅力的だった。彼はもう一度玲架に微笑みかけた。

「おじょう久しぶり、元気?僕は富田敬司だよ。君が欲しい」

富田は確かにそう言った。そしてその後、玲架と富田はホテルに向かった。玲架にとって、生まれて初めての浮気だった。


玲架は富田の為に高級なホテルに電話して、空いていた部屋に入った。驚いた事に富田は30代だった。どうせ夫は今夜帰ってこないだろう。そう自分に何度も言い聞かせて富田の肩をしっかり掴んだ。

続く



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