第9話 ひねくれ少女は顧みる

 幸いにも奈月の怪我は大したことなかった。痛みは感じるらしいが腫れなどの外傷はなく、少し休憩すれば一人で歩けるくらいに回復した。


 だが保健室の先生から安静にするために、今日一日運動はしないで見学をするよう言われた。


 俺たちは部屋を後にして、奈月を真ん中に横に並んでぼちぼち廊下を歩き始める。


 学校中の生徒と教師たちが校庭や体育館で球技大会を行っている今、校舎内は普段とは違って人の気配が全く感じられない。


 そんな静寂の中で、安堵のため息交じりに来川の声が響く。


「いやー、大変なことにならなくてよかったよ。でも今日は応援だけになっちゃったね」

「あ、いや……うん」


 突然話しかけられた奈月は緊張からか、顔を下に向けながら答える。


「そういえばさ、黒崎くんと、えーっと……」


 来川は口ごもると奈月が着ている学校指定のジャージに視線を移して、胸の辺りに書かれた名前を読み上げる。


「なな、うみちゃん?」

「それでななみって読む。七海ななみ奈月なつき


 代わりに俺が訂正をすると、来川は暗記をするように繰り返し名前を口にする。


「奈月ちゃんと黒崎くんはお友達なの? 奈月ちゃんが倒れちゃったとき、すぐに黒崎くんが走っていったからさ」

「高校一年からの友達だ。同じクラスで隣の席だったのきっかけに話すようになったってだけ」


 俺が端的に間柄を説明すると奈月は躊躇いがちに頷く。友達、という言葉が引っかかっているのだろうか……。「友達の定義がー」とか言い出すのではないかと危惧していると、来川は一歩前へ出て奈月へ顔を近づける。


「じゃあ奈月ちゃん、よかったら一緒に黒崎くんのとこ応援に行かない?」


 その提案を聞いたとき、俺はあることを思い出す。そしてそれと同時に、忙しない足音が静かな廊下の奥から聞こえてきた。


「やっと見つけた!」


 一輝が俺を見つけるや否や、大声を出して手招きをする。


「遥太! もう試合始まっちゃうって! 早く行くぞ!」

「悪い、すぐ行く!」


 奈月のことで頭がいっぱいだったから、すっかり自分のことを忘れていた。


 今すぐに行かなければならない。しかし、ここで俺が行ってしまえば奈月は来川と二人きりになる。来川に落ち度はないのだが、奈月が嫌う快活でフレンドリーな性格を持つがゆえ、この二人は気が合わないのは確かだ。


 だからと言って俺がここで立ち止まっているわけにもいかない。不安で仕方がないが、奈月を来川に任せしまおう。本当に不安だが。


 一度決心しても逡巡してしまうが、結局俺は振り返り二人に向けて手を合わせた。


「すまん、そういうわけで俺、行かないと……」

「大丈夫! 私たちのところは負けちゃって、もう試合はないからずっと奈月ちゃんを見守ってあげられるよ!」

「お、おう……そうか」


 俺が心配をしている箇所はそこではないし、さらに不安が加速した。

 それでも、やむをえず一輝と共に校庭まで走っていったのだった。








 試合中は集中力を欠いていた。奈月は来川と一緒で大丈夫かと、ついコート外へ意識を逸らしてしまう。


 それが起因してなのか、俺たちはあと一歩のところで敗北してしまった。


 悔しいだとか悲しいだとか、そんな感情は一切湧き出てこない。

 たかが学校行事、たかが即席のチームだ。むきになることはない。校庭の隅で頭を抱えている一輝はそうでもないらしいが。


「黒崎くんおつかれー! いやー惜しかったね」


 肩に乗ったおさげを揺らしながら来川がコート外から駆け寄り労いの言葉をくれたが、俺は彼女の後方をキョロキョロ見回す。


「奈月はどこに行ったんだ?」


 言われて来川は振り返るも、既に観戦スペースから人は離れていき、試合中とはうって変わって閑散としていた。


「あれっ? さっきまで私の傍にいたと思ってたのに……」


 ずっと見守ってあげられる、と言っていたが早くも奈月がいなくなってしまった。


 来川の不注意というよりは、奈月のステルススキルが高かったと言うべきだろう。


 基本一人が好きな奈月は、ふらっとどこか人のいないところへ行ってしまうことがある。学校行事のような、人々が盛り上がり熱狂するときは決まって静かな場所を求めて移動する。

 でも最終的にはちゃんと帰ってくる。本当にいなくなってしまったら大騒ぎになり、それはそれで目立ってしまうので奈月の思う静かな生活ができなくなる。


 だから普段ならそこまで気にかけないのだが、今回はバレーの試合中に負ってしまった足の怪我が心配だ。


「先に教室に行っているんじゃないか?」

「そっか、じゃあ私たちも戻ろっか」


 とりあえず奈月が向かいそうなところを手当たり次第探すとして、まず俺と来川は教室まで戻る。


 着いた頃にはもう教室は賑わっていた。みな、机を動かし席に座り、昼食を食べ始めている。


 奈月はどこかなーと、彼女の席がある最後方さいこうほうの窓側を見てみれば、知らない人が座っていた。ついでに隣にある俺の席まで誰かが使っていた。


 女子四人が俺たちの机をくっつけて談笑しているところを見るに、奈月の行動がありありと想像できた。ここに奈月はいない。


「あっ、冬帆ちゃ~ん黒崎く~ん」


 ドアの前で探していると教室中央から声がかかる。手を振って呼んでいたのは鹿波だ。向かうと、彼女は一歩俺へ近づいた。


「お昼一緒に食べよ~」

「すみません、先約があるので」


 昼ご飯を一緒に食べる約束を直接したわけではないが、今は奈月のところへ行きたい。

 というわけで、お誘いを断ったのだが……


「先約というのは、冬帆ちゃんと二人でってこと?」


 拡大解釈されてしまった。また一歩俺との距離を縮めた鹿波は下から顔を覗き込む。悪い笑みが迫り、思わず後退りする。


「もうっ、黒崎くんを困らせない」


 来川は後ろから肩を掴んで鹿波を引っ張るとそのまま羽交い締めにする。


「奈月ちゃんのことでしょ。私が未奈ちゃんと由香ちゃんを食い止めてるから、黒崎くんは探してきて」


 来川はやけに勇ましい目を向けて頷く。


 さながらバトル漫画でよくある「私を置いて先に行け」と言っているようだ。

 来川の善意を無駄にしないよう俺は踵を返す。


「ありがとう、じゃあ行ってくるわ」


 そう言い置いたあと、弁当を持って、奈月が向かうであろう場所へと歩き出す。

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2024年12月1日 10:00

青春ラブコメは夢見る少女たちと共に 利零翡翠 @hisui_hisui

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