音楽による連作試行

森本 晃次

第1話 クラシック

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。ご了承願います。音楽のジャンルに関しての発想は、ネットで調べたものを偏見でイメージしています。


 世の中には芸術的なものに造詣が深く、広く浅くいろいろな芸術に入り込んでいる人もいれば、一つの芸術に特化し、その上で、他の芸術も意識している人も多いだろう。一つの芸術に特化していると、他の芸術に触れた時、芸術にあまり親しみのない人とは一線を画したような奇抜な発想が思い浮かんだりするものではないだろうか。

 音楽という芸術に対して大いに特化している川島恭吾という男。今年で四十歳になるが、普段は普通のサラリーマンとして、仕事も真面目にこなしているので、誰が見ても平均的な男性にしか見えないに違いない。

 そんな彼は想像力が豊かで、よく妄想をしているなどというのを知っている人がいるだろうか。想像力が豊だというと聞こえはいいが、妄想に耽るのが趣味だというのは、いただけないのではないだろうか。

 妄想という言葉には、何か淫靡で妖艶で、さらに変質的なイメージが付きまとう。彼はそれを、

「芸術的な発想」

 と捉えることで、正当化しようとしている。

 ただ、その発想こそが彼を知らない人間の発想であり、実はそんな生易しいものではなかった。彼は妄想の中で自分とは違う別人になっていると思っているようだが、果たしてそうだろうか。その人物の奥底を掘り起こしているだけなのではないのだろうか。こういうことは得てして本人には分からないもので、自覚があるかないかが問題ではないのかも知れない。

 ただ、彼が芸術を愛しているというのは、別に大げさではないだろう。少なくとも音楽という分野では、造詣が深いと思っている。

 さすがに自分で楽器を演奏したり、作詞作曲などということまではしないが、幅広いジャンルの音楽を聴いて、それぞれの分野の音楽に対しての探求心があるのも事実だった。そして、それぞれのジャンルの音楽を一つに特化することなく、万遍なく聴くのが自分の音楽への接し方だと思っているのだった。

 ただ、その中でも一番好きなジャンルは、クラシックだった。小学生の頃、これは同じような感覚の人は多かったのではないかと思うが、音楽の授業では、基本がクラシックだった。音楽鑑賞というとクラシックなので、川島と同じように、最初に接した音楽のジャンルがクラシックだったと思っている人も多いことだろう。

 クラシックにもいろいろな種類がある。オーケストラを何十人も率いて、中心でタクトを振る指揮者がいるいわゆる「交響曲」という音楽であったり、管弦楽器や吹奏楽器などを中心に奏でられる音楽もある。

 さらに、観劇を目的とした音楽であるオペラや、バレイ音楽なども、クラシックのジャンルである。

 芸術的に優れていると感じるのは、それらの音楽が幻想的なものであるということだ。音楽性が建築や彫刻、絵画にいたるまでに結び付く芸術性、クラシックは静かな部屋でヘッドホンを掛けて、一人妄想に耽ることもある場合もあれば、まわりに油絵や彫刻を施した場所で聴いてみたいと思う時もある。

 さらに、クラシックというのは、他のジャンルの音楽よりも歴史は古く、

「いかなる音楽の元祖は、クラシックから派生しているものではないか」

 と言えるのではないだろうか。

 華やかなクラシックのイメージは、広いスペースの中で催されている優雅さと豪華さを兼ね備えた、高貴な人たちによる晩餐会を思わせる。その想像は一種の妄想であり、実際に見たことがないにも関わらぅ、クラシックのしらべと一緒に、勝手に身体が反応してしまうという思いを抱かせるのであった。

 またクラシックと言うとたくさんのオーケストラで、同じ楽器を幾人もが奏でることになるのだが、人数が多いだけに、一人でもバランスを崩してしまうと、音楽としてまったく違ったものになってしまう。同じ楽器でありながら、奏でているものが若干でも違うのが正解であるならば、もはや同じ楽器としてみることはできないだろう。それだけにコンダクターという仕事は大変であり、全体を一つにして、一つを全体に結び付けなければいけないという使命がある。壮大な音楽を奏でることで我々を引き付けるには、それだけの能力が必要だということなのであろう。

 馴染みの店で、「ビザンチン」という名前だ。経営者のママさんにその由来をきいて みると、

「別に意識しているわけではないですよ」

 と答えた。

 別にトルコが好きだとか、中世ヨーロッパに特に思い入れがあるとかいうわけではなかったが、店ではクラシックを流していた。昼間は喫茶店をやっていて、夜は短い時間であるがスナックを経営している。

 スナックの時間帯までクラシックを流していた。

「ママさんはそんなにクラシックが好きなんですか?」

 と聞いてみると、

「ええ、小学生の頃から好きでね、ロックやポップスも聴いた時期があったんだけど、結局クラシックに戻ってきたのよ」

 と言っていた。

「どうしてなの?」

「クラシックって、音楽を総括しているようじゃない。オーケストラでたくさん固めているんだけど、一人でも欠けるとまったく違った音楽になってしまうような気がするのよね。バランスが壮大さやさらには先生差を紡いでいるんだって思うと、最後はやっぱりクラシックだって思うでしょう」

 と聞いて驚いた。

「その意見、僕とまったく同じですよ。ママさんとは気が合うかも知れませんね」

 と言った。

 店の雰囲気は、こじんまりとはしているが、どこから集めてきたのか、店内には彫刻や絵画の類が多く、まるで中世ヨーロッパのバロックを思わせる。中世ヨーロッパに興味はないと言っていたが、まんざらでもないのかも知れない。

「でも、このお店の彫刻や絵画はすごいよね。これだけのものが並んでいるお店って、本当に高級店を思わせるよ」

 というと、

「まるで風俗店のようでしょう? 実はね、このお店、前は風俗を経営していた人がオーナーだったのよ。それで店を売りに出した時、一緒に絵画や彫刻を買ってくれる人を探していたんだって、店と一緒だったら、破格値でいいからということだったので、私が購入することにしたのよ」

「ひょっとして、二束三文くらい?」

「元々が二束三文なのかも知れないけど、私はそんなことは関係ないのよ、自分の店の中でこうやって彫刻や絵画に囲まれているのって素敵じゃない? それが楽しみで店をオープンしたんだらね」

 と言っていた。

「さすが、ママらしい」

 ママは、自分で見ていても、男っぽいところがあった。

 少々効果な者でも、即決で買ってしまうことがあるようで、

「私の場合、結構高いものは一気にあまり考えずに買うことがあるのよ。意外と中途半端な値段の時ほど結構迷ったりするものね。例えば夕飯を表で食べようかどうしようかって一人で悩んでいたら、まず何も食べずにコンビニのカップ麺かお弁当になるのが関の山。私の性分なのかも知れないわね」

 と言っている。

「そのあたりも僕に似ているんだよ。ママの性格を見ていると、まるで、本当に『ママ』って感じがしてくるよ」

「嬉しい、お世辞でもね。でも、私はそんなに年は取っていないわよ」

 と普通の人と反対の言い回しをする。

 それもママの性格の一つであった。

 ママさんは、スナックでは、

「朱美」

 と名乗っていた。

 どうしてその名前にしたのかと聞いてみようと思ったが、店の名前を決めた時と同じような答えが返ってくるようで、それで聴くのを辞めたのだ。

――ママという人はつくづく自分とよく似ている――

 と思うと、店にいつも似合っている雰囲気があった。

 昼は昼の顔、夜は夜の顔、ただ、夜になると少し顔が大きく感じるのは調度のせいであろうか。

 それを思うと、ママを見ている自分がいつもニコニコしているのを感じた。

 昼間は、最初は普通の喫茶店だったが、店の雰囲気がいかにもバロック調だというののが広まり、ママは、よりクラシック調に店をマイナーチェンジした。あくまでも、店内の装飾を暗めにしたり、木目調にしてみたりと、雰囲気をクラシックに変えてみただけだった。

――それにしても、僕の考えているのと似たような考えの人も結構いるんだな――

 と川島は感じていたが、

 それを言うと、

「恭吾ちゃんが言ってくれたから、私は結審したのよ」

 と、ママは臆面もなくいうではないか。

「それにしても、恭吾ちゃんというのは、くすぐったいな」

 というと、

「そんなこと言わないでよ。まるで弟みたいな気がするんだからね」

 ママの年齢はいくつくらいだろうか?

 普通に見ていると、そろそろ四十歳が近いのではないかと思うほどだったが、見ようによっては二十歳過ぎくらいにも見える。

 そんな時に、恭吾ちゃんなどと言われると、くすぐったいというだけではない気がしてくるのも仕方のないことかも知れない。

 まさかいきなり聞くわけにもいなかいし、こういうのはタイミングが問題だが、そのタイミングが見つからない。

 それにしても、ママは川島の年齢を知らないのだろうか、確かに若く見られることもあった。仕事で二十代に見られることもあったが、それは決して喜ぶことではない。

 ただ、そうなった理由も分からないでもない。あれは大学生の頃だっただろうか、妄想癖が止まらなくなり、妄想が自分の欲望を抑えられなくなることが大学時代にはよくあった。

 アルバイトもそれなりにしていたし、仕送りも困らない程度に貰っていたので、金銭的には何ら不自由はなかった。そうなると妄想と欲望の両方を一気に抑えるためには、風俗に通うこともやむなしであった。

 元々は、大学の先輩からの驕りで連れて行ってもらったのだが、いつの間にか自分も常連になっていた。

 気に入った女の子もいて、その子を贔屓にしていると、その子を妄想に使うことが多かった。

 あどけなさの残る雰囲気で、人によっては、あざといと言われるかも知れないが、川島は彼女にお気に入りになった。

 もちろん、そんな店なので、本名は言わなかったが、下の名前だけは教えていたので、

「恭ちゃん」

 と言われていた。

 くすぐったかったが悪い気はしなかった。彼女との甘い時間をお金で買っているということに違和感はなかった。もちろん、彼女とどうにかなとうなどという思いはなく、妄想につなげるだけでそれでよかった。

 だが、そんな妄想もすぐに頭から消えていき、自分でも違和感を抱きながら、彼女との新鮮さが薄れていくのを感じていた。

 そのうちに、彼女が店を辞めた。風俗ではいつの間にか店を辞めてしまっている女の子も言いうという、中には別のお店に出ている人もいるようだが、彼女がどうだったのか、川島は知らない。それから風俗に行くことはほとんどなくなり、就職してからは、自由恋愛を求めるようになったが、合コンなどで誰かと知り合っても、付き合うというとこるまではいかない。

 相手の方も、

「あなたとは、お友達以上になれない」

 という、どこにでも落ちているようなセリフを拾って言われたが、川島にはショックはなかった。

――お前に言われたって、別に何とも思わないよ。こっちからいう手間が省けただけ、よかったというものだ――

 と思っていた。

 実際に、合コンで知り合った女とは、付き合うことはなかった。付き合うに値する女ではないと思うからだ、

 それは、いかにもあざとさのようなものが感じられた。

 例えば、婚活パーティで、カップルになり、連絡先を交換し、

「今度、ご一緒に食事でも行きませんか?」

 というメールを交わしていた人に多い。

 そもそも、カップルが成立した日に、

「今日はこれから行くところがあって時間がないの」

 などという女性に、最初から付き合いをしようなどという意識があったのだろうか。

 そんなと、また別の機会の婚活パーティで一緒になって、気まずい思いをするのがオチなのだが、相手は別に気にもしていないのか、まったく顔色を変えることもなく、

「初めまして」

 と、いけしゃあしゃあというではないか。

――実に女というのは恐ろしい――

 と感じながらも、自分も別のパーティに行っているのだから、人のことが言える立場ではないのだ。

 そんな彼は、それからしばらく妄想癖はなくなっていた。妄想というものを、どうしても性欲と結びつけて考えていたので、悪いことだという意識でしかなかったからなのかも知れない。

 しかし、三十歳後半になって、この喫茶、あるいはスナック「ビザンチン」に寄るようになって少し変わってきた。

 この店は広間の喫茶店は、週に一回くらいの休みだったが、スナックの方は週に二回くらいしか開けていなかった。スナックのない日は、喫茶店を九時まで営業し、その後は閉めていたが、スナックをする日は、喫茶店を午後七時まで営業し、一旦準備中にしてから、九時開店で、午前零時までというのが、営業方針だった。

 昔はカラオケを置いていたが、今はクラシックを基調にするようになってからは、カラオケを廃止した。実際にこの店に来る客でカラオケを歌う人はほとんどいなかった。静かに会話を楽しみながら呑める店ということで、常連もそれなりにいるのだ。

 もちろん、昼の店の常連でもある人は、川島を含めてたくさんいる。そういう人がいることから、店を改装する気にもなったのだろう。

 改装費用もたいして掛かっているわけではない、常連さんの中にリフォーム関係の人がいて、口をきいてもらうことで、恰好安く上がったそうだ。

「これくらいの改装だったら、ママさんの予算の範囲内で十分だよ」

 と言ってくれたことで一発改装になったということだ。

 店が臨時休業したのも、そんなに長くはなかった。

「えっ、もう開店するのかい?」

 と常連がいうくらい早かった。

 ある日、クラシックの話を常連が話題にし、誰がどんな曲を好きなのかが発表された時があった。

 ベートーヴェンの有名な第五交響曲「運命」や、ドヴォルザークの第九交響曲の、「新世界より」などのダイナミックなものから、その組曲のほとんどを誰もが知っているいえる作曲者の三大バレイ組曲の一つと言われるチャイコフスキーの「くるみ割り人形」などはやはり人気だった。

 川島は、同じベートーヴェンの交響曲でも第三番が好きだった。いわゆる「英雄」である。第二楽章の静かな部分が少し長すぎるというのが気に入らなかったが、それ以外は申し分のない曲だと思っている。

 ママさんもその話に加わって、皆にとっては少し意外な曲が好きだと口にした。

 決して暗い曲ではないが、交響曲というわりには、それほどの強弱がなく、いわゆるダイナミックさに欠けることから、あまり好きな曲として挙げる人はいないのではないかと思われた曲で、

「私は、ベルリオーズの『幻想交響曲』が好きだわ」

 というではないか。

 確かに、ママの雰囲気であれば、「幻想交響曲」は似合うのではないかと思われた。

「いや、あれはいい曲だね」

 と川島が言ったが、どうも曲名を言われても、ピンとこないのは、まわりの人と同じだった。

「掛けてみようかしら?」

 とママが言った。

 誰も反対する人はいない。ちょうど聴いてみたいと皆が皆思ったことなので、ママも気持ちよくその曲を掛けることにした。

 皆目を瞑って聴き入っている。クラシックというのは、元来皆そうやって聴いていたものではないのだろうか?

 情景を思い浮かべようと試みたが、どうにも浮かんでこない。他のインパクトのある高校曲であれば、ライン川のほとりの森に浮かんでいるように佇んでいる城のイメージが浮かんでくるのだが、その時はすぐには浮かんでこなかった。するとそのうちに浮かんできたのは、どこかの西洋の街であった。川にゴンドラが浮かんでいるのが見えたので、ベネチアではないdろうか。いかにもルネッサンスを思わせる光景は、この店の雰囲気にはあっているように思われた。

 しばらく聴いていると、ママが途中から話し始めた。

 この曲は、作曲家のある女性俳優への失恋がテーマだと言われているの。悲惨な情景らしいんだけどね。例えば夢で女性を殺してしまって、自分が断頭台に送られるというようなね」

 という恐ろしい話を、目を瞑って聞いていた川島は、さっきまで何も浮かんでこなかった光景が、目に浮かんでくるのを感じた。

 最初は楽しそうに草原で花を罪ながら、絶えず上が緒の自分とママがいる。しかし、その花はどうやらケシの花のようで、気が付けば自分はアヘンを飲んで、ママを殺していた。ママが自分を振ったからで、失恋に萌えた自分がアヘンに手を出し、ママを殺してしまったのだ。

 迫りくる断頭台の恐怖。目の前にはギロチンが置かれていて、まわりからは、異国の言葉で皆が自分を詰っている、

「殺せ! 早く抹殺しろ!」

 とでも言っているのだろう。

 鼠色の雲が、何重にも重なって見えた。今にも雨でも降り出してきそうな暗がりに、断頭台は実に汚かった。真っ黒いシミがたくさんできていて、吉良鳴らし言ったらありはしない。だが、それが血の痕だということは分かった。

――どうして、消さないんだ。そんなおぞましいものを残しておく必要などないではないか――

 と思った。

――消そうとしても消えないのだろうか? 処刑された人たちの怨念が血痕に乗り移ってこすってもこすっても消えない怨念として残っているのだろうか。では自分の血痕も残ることになる。せいぜい、怨念を残せばいいんだ――

 と感じたが、その一方で、

――わざと消さないのではないか――

 と思った。

 断頭台に血痕を残すことで、

――次回はこんなものは見たくない。そんな世界を作らないように、その時の血痕を消さないようにしているのではないか?

 とである。

 だが、実際にはそんな甘いものではなく、結局は血痕が残ったままのギロチンを使う羽目になるのだが、どれほどの頻度でこれを使っているのだろう。

 そういえば、自分のところには、誰がいつ死刑を執行されるなどということを知らせてきたことはない。それなのに、この群衆はなんだというのか、公開処刑であるが、こんなに暴動寸前の状態でも、誰も止めようとはしない。まるでわざと演出しているかのようである。

 もし、本当にわざとなのだとすれば、このまわりの連中は、被害者の関係者なのだろうか? だとすれば、大杉はしないだろうか。

 人の群れは幾重にも重なっているように見えた。到底、被害者関係者だけということはないだろう。

 彼らの顔を見ると、怒号が飛び交う中、哀れみというか、悲しみを抑えきれないような顔をしている人もいる。

――まさか、今後、処刑が確定している連中ではないだろうか?

 と感じた。

 自分がなぜその時の記憶がないのかという意識はその時にはなかった。そこまで考えられるだけの精神的な余裕がなかったからに違いない。

 断頭台に上る前に風呂に入り、サッパリと下状態にはなっていたが、階段を上っている間に、自分の身体がどんどん汚れて行っていることに気付いた。これから身体から一滴もなくなってしまうほどの血が、首を飛ばされてからしばらくの間噴出し、そのあたりを真っ赤に染めるに違いない。

――私には見える――

 そのおぞましい血が、真っ黒に染まっているのだ。断頭台の置かれている広場のコンクリートに沁みこんで、こちらは完全に抜けない色になっていて、どす黒さを呈していた。

 そこにさっきまで、鼠色で暗さを感じさせた雲に切れ目ができて、一筋の光が差した。まるで自分をその光が天へと召してくれるのかと思ったが、その光のせいで、断頭台やコンクリートに残っていた黒いシミが、真っ赤な血糊となってよみがえった。

――そうは、物語のようにはいかないか――

 と感じ、血糊の色と、鉄分を含んだ血の嫌な臭いを感じながら、首が台に固定された。

 今にも落下してくる断頭台を感じていると、急に首が熱く脈を打っている。

――俺は死んだんだ――

 と思うと、ふっと目が覚めたかのようになった。

 ホッとした安心感よりも、死の世界を見たのか見なかったのかということが気になるというおかしな感情になっていた。

 まわりの人はというと、同じように真っ青な顔になっていて、そして何とも不思議そうな顔をしていた。

――まさか、皆同じ妄想を抱いていたんじゃないか?

 と思うと、クラシック音楽というものの暗示に、驚かされる川島であった。

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