第8話 遺書の存在

 ニセ医者にとって、彼女を自分のものにするまでにはさほど時間は掛からなかった。脅迫されたとしても、彼女は自分が殺したという確実な意識を持っているので、逆らうことがどういうことになるのかを、勝手に想像していた。

 ニセ医者の話にはかなりの信憑性が疑わしかった。しかし、彼女が殺したという意識を持っていることと、普段男といる時のあの威勢は、あくまでも虚勢であるため、本当の男を見せられると、コロッと騙されてしまう。

 性格にいえば、本当の男ではなく、男としてのニセの威勢であるため、彼女には余計に委縮させられるだけの材料が不幸にも揃ってしまったのだ。それもこの男にとって計算済み。本当の悪党だということだろう。彼女の失敗は、こんな男に助けを求めてしまったことにあるが、それ以前に、それだけ男を見る目がなかったということだろう。自分の性癖に溺れて、肝心なものを見逃していたということに他ならない。

 普段から男を手玉に取っているだけに、彼女には同情の余地はないのかも知れない。だが、それにしても、この男が最後まで彼女を凌辱することで正義で終わってしまうのは癪に触ってしまう。

 事件は彼女に執行猶予がついたことで、一応の解決を見た。弁護士からもそれなりに、

「よかったですね」

 と言われて、弁護士としての責任は終わったが、彼女は本当に詳しい話を弁護士からは聞いていなかった。

 いや、話をしたのかも知れないが、彼女の中で何とか執行猶予がついたことで懲役いないで済んだという喜びと、人を殺めてしまったという取り返しのつかないことをしてしまった罪の意識とが、複雑に絡みあっていた。弁護士の話をまともに聞ける精神状態でもなく、結局残ったニセ医者の話を信用するしかなかった。

 その頃はまだニセ医者は本性を表していなかった。だから全面的な信頼をしていたので、この男のいうことを鵜呑みにしてしまった。

 日本の法律では、

「一度一つの犯罪で判決が出れば、二度とその犯罪で裁かれることはない」

 という、

「一事不再理の原則」

 というものが存在する。

 だから、彼女が執行猶予とはいえ、その判決で言い渡された執行猶予の期間に何も起こさなければ、そこで彼女の刑罰は終わるということになるのだが。法律に詳しくない彼女にそんなことが分かるはずもなかった。

 弁護士が話した時も上の空だったのだろう。そのことは一緒に話を聞いたこのニセ医者も彼女が上の空であったのは分かっていた。

 裁判も終わり、執行猶予期間に入ると、このニセ医者がいよいよその化けの皮を剥いできた。

 彼女に対して、もう自分が完全に主導権を握っているかのように振る舞った。女の方も逆らうことができない。

――私は一生、この男の影に怯えながら生きなければいけないんだ――

 という思いである。

 男は、次第に自分のことを話し始めた。

「俺が医者だなんていうのは、真っ赤なウソさ。お前はそれを信じ切っていたんだ。俺の言うとおりにしないと、俺がまた警察で洗いざらいに話すぞ。そうすればどうなってしまうかな?」

 彼女には他に相談できる相手などいるはずもなかった。もしいたのであれば、こんな男にあの時。相談なんかしなかった。それを思うと悔やんでも悔やみきれない。このままこの男の言いなりになって生きなければいけないなんてと思うと、もうどうにでもなれという気持ちにもなっていた。

 考えてみればあの時、自首していれば、こんな男に食いつかれることはなかったはずだ。もし今他に相談できる人がいたとしても、思いとどまるだろう。その人に相談して、さらに今よりもひどい状態になってしまうと、もう目も当てられない。現状維持しか自分には残されていないと思った。

 この心理は、子供が苛めに遭っている時、下手に逆らってさらにひどい目に遭わされるというのを嫌うという考え方に似ている。

――余計なことをしてはいけないんだ――

 これが彼女の一番の思いで、勝手な考えは身を亡ぼすということを証明しているかのようだった。

 そんな彼女は自分を、気の毒に思うようになっていた。この事件が起きるまでは、Mなところが性癖の特徴であり、苛められることが快感であったが、もうそんなことは言っていられなくなった。このニセ医者から受ける屈辱は凌辱に、いかなるM性も、不安と恐怖が先に立ち、まずは、その不安と恐怖をどのようにするかが先決であった。

 まずは、男の命令にいかに従うかが問題だった。

 男は、振る袖がないにも関わらず、容赦なく金銭を求めてくる。完全な揺すりである。数十案が数百万になってくる。当然のことから、街金と呼ばれるいわゆるサラ金に手を出さぜる負えなくなり、そのまま謝金地獄に追い込まれる、借金取りからの追い立てに窮してしまった彼女は、男に対して、

「もうこれ以上はお金なんてありません」

 というと、男はニヤリと笑い、

「身体を売ればいいじゃないか。お前ならそれがお似合いだ」

 というだけだった。

 最初は彼女の身体目的だけで満足だった男が、もう女の身体に飽きたようだ。最初はあれだけ執着していた身体だったのに、実際に今までのような変態プレイは、その女のM性と、さらに強烈なS性によって、男をいたぶることで男の方でも大きな満足を得ていた。

 しかし、いざ彼女の精神的なショックは、彼女の性格を一気に変えてしまった。彼女の中から強烈なS性は失われ、その力はすでに相手の男を引き付けることができなくなってしまっていた。自分に不安を感じた時点で、すでにS性を発揮できなくなったのだ。

 やはり、女の、いや人間の性癖は普段の環境と大いに結び付いていた。まだ罪は消えておらず、いつさらに訴追されるかという男によって掛けられた暗示、さらには、そのために揺すられてしまった女の不安が、すでに男には誤算だった。自分の好みの女を精神的に蹂躙したはずだったのに、その肝心な性癖が失われてしまったのだ。同じような形のものでも少しでも安い方を買ってしまったために、まったく想像していたものと違っていた時の思いに近いであろう。大きな後悔が男を襲う。

 男はせっかくの言いなりになる女をみすみす手放すようなことはしない。こうなったら、オーソドックスに金を要求するしかなかった。

 求めていた身体をそれに伴う精神が崩壊してしまったこの女に、もう肉体的な要求はない。確かに身体への魅力は残っていたと言ってもいいが、それは彼女の性癖を伴って初めて自分が手に入れたと思えるものであった。性癖がなければ、女としてはただのお荷物でしかない。そのことに男もやっと気づいた。

 女の方としても、男が自分の身体と性癖を求めていることは最初から百も承知だったはずだ。その男が身体を求めてこないのは、安堵に値するものであったが、拍子抜けしたこともあり、逆に不満でもあった。そのくせ容赦のない金銭の要求は、女にとっての屈辱だった。

「身体を売ってでも稼いで来い」

 これは完全に性癖を無視した屈辱でしかなかった。

 その屈辱を恥辱という形で受け止めることのできない今の自分は、女として終わったのではないかと思ったが、しかし背に腹は代えられない。風俗に身を落とすしかなかった。

 ソープで働き始め、人間としての底辺。地べたに這いつくばっているという意識をハッキリと持った時、

――もう、これ以上落ちることはない――

 と思うと、急に開き直った。

 そして開き直ったことで性癖もよみがえり、彼女はソープの世界で一気にその地位を挙げていった。

 そのうちに、彼女に、

「クモの糸」

 を垂らしてくれる男が登場する。

 もちろんカタギの男性ではない。彼女に対して恥辱プレイを繰り返すことで、彼女の中の不安や恐怖を見つけ出し、今の勢いが底辺にいることからであることを看破した。

 男は彼女の新しい男となった。ニセ医者には肉体的な欲求はなかったので、彼女に男ができようがどうしようが、お金さえ運んでくれればそれでよかった。

 女の方で大きな転機を迎えたことで、女は強くなった。その男に今までのことを話すと、

「その男は俺たちの上前を撥ねるくらいの悪党だな。お前はもうすでに刑期を終えて、もう同じ罪で裁かれることはないという『一事不再理の法則』というものを知らなかっただけなんだ。知らないのをいいことにその男はお前を一生飼い殺しにする気なんだ。俺が許さない」

 と言って、この男と女による復讐劇が始まる。

 しかし、せっかく刑が終了したのに、新たな犯罪を犯すのは忍びない。男に罠を掛けて、自殺に追い込むことを計画。これがうまく行くのだが、この男が死ぬことによって、新たな真実が露呈することになった。

 実は、最初に多目的トイレで死んでいた男は、自殺だったのだ。その時に一緒に、その医者が診た時にはまだ男が生きていて、男が女を自分のものにしたいために、見殺しにしたということが初めて明るいに出た。そんな彼が自殺だったということは、トイレの中に遺書があったのだが、女がそれに気づかなかったことも、女の大きな落ち度だった。

 女は多目的トイレで男を殺してしまったと思いパニックになった時、いくつもの間違いを起こしてしまった。選択をことごとく間違えたというべきであろうか、そのためにこのニセ医者のために、人生の底辺を見ることになり、またその男はその底辺を見せられたこの女のために、今度は復讐を受けるという結末である。

 その遺書は、この男が自殺した時に、自分の遺書と一緒に見つかったという。多目的トイレで死んだ男の遺書は、お金に困っていて、本当はこの女に助けを求めようとしたが、それを叶わないと感じ、自殺を思い立ったという。彼女にしてみれば、まったくのお門違いであったが、そういう意味でこの女は男を惑わす力と、自分自身では選択をミスするというどうしようもない性格の持ち主でもあったのだ。

 このお話は現実の話ではない。もし現実の話だとするならば、結構おかしな部分もあったり、現実離れした部分、特に精神的な矛盾が孕んでいる。

 これの話は、坂崎がこの日に馴染みの喫茶店で考えた話だった。そのきっかけになったのは、

「いかなる理由があろうとも」

 というキーワードからであった。

 トイレに入った時、その場所が女子トイレであれば、

「いかなる理由があろうとも、女子トイレに入った者は警察に通報される」

 ということからであり、その発想から、

「多目的トイレであれば、男女兼用だから」

 という発想に移り、そして、

「その中で恥辱プレイを重ねてしまい、相手が死んでしまったとすれば?」

 というところから始まった話である。

 なるほど、女は性癖と言う意味では、過失致死くらいのことは起こしかねない。しかし性癖が異常なだけで、それ以外はむしろ弱い女だとすれば、その判断は愚行に近いことを起こしてしまうという思いがあった。

 そこで登場するのが、どうしようもない悪党である。

 女の弱みに付け込むその男は、普段から女の性癖のパートナーの一人であり、女からすれば、

「私の性の奴隷」

 とまで思わせていた相手だったことで、自分のためなら何でもするとまで感じていたことだろう。

 しかし、そんなに虫のいいことはない。普段は性癖によって自分のご主人様のように従っている男であっても、それは弱みを見せないということが条件だった。つまり弱みを見せてしまったことが彼女の致命傷であり、そこから彼女の運命は決まってしまったと言ってもいい。

 正の奴隷が豹変した。すでにその男は自分の優位性に気付き、気持ちに余裕を持った。気持ちに余裕を持つことで頭の回転が普通の人間よりもはるかに早いことで、悪知恵も相当なものであった。

 あれだけ咄嗟の場面で、自分だけが冷静さを取り戻し、

「この女は自分のものだ」

 とハッキリ悟ったことだろう。

 そうなると、男の頭は冴えまくった。

 まだ男が生きていることを幸いに見捨てることで、彼女が殺したことになる。死亡推定時刻などあてにもならない。何しろ彼女は自分が殺したと思い込んでいるし、ここでの数十分くらいというものは、誤差の範囲だったからだ。

 そして極めつけは、男が自殺を図ったということであった。なぜこの女の前で自殺をしようとしたのかはハッキリと分からないが、そこに遺書がある以上、自殺であることは間違いない。彼女の性癖を使って、自殺を試みたのだ。

「愛する彼女に殺してもらえるのであれば、それも本望だ」

 と思ったのかも知れない。

 この女は男の言葉に激しく反応することは、自殺した男だけではなく、ニセ医者の方にも分かっていた。だから遺書が残っているのを見た時、中を見ずとも、そこで倒れていた男の真意に気付いたのかも知れない。つまりは、

「知らぬが私ばかりなり」

 と彼女だけで、一人右往左往していたということである。

 多目的トイレで殺されたと目された男が実は自殺をしていて、自殺を殺人にすり替えられ、男のいいなりになっていた事件で、結局、一人勝ちだと思えたそのニセ医者の男は自殺することになる。厳密にいうと、自殺を装って殺されたのだが、これもこの男のやってきた因果が報いた、因果応報と言ってもいいだろう。だから、敢えてこの男が自殺であろうが、殺されたのであろうが、そのことについて言及しようとは思わない。

 それよりも、この男の死によって、本人の遺書ばかりではなく、多目的トイレで死んだ男の遺書も見つかったのだが、これが不思議なことに、恐ろしいほど酷似していた。

 このニセ医者が、多目的トイレで自殺した男の遺書を見たという形跡はなかった。明らかに封はされたままで、誰かが開けたなどという形跡は皆無だった、何よりも、その遺書をニセ医者が診てどうなるというのだ。この遺書だって、何を後生大事に持っていたのか分かったものではない。いずれ自分も自殺する運命で、遺書を一緒に置いておくというシナリオが頭の中にあったのならともかく、他人の遺書を持っていたこと自体、実におかしなことであった。

 この男も、

「自殺する人間が、何をわざわざ遺書なんて書くんだ?」

 と思っていた一人だった。

 何しろ彼は稀代の悪党である。悪党は死に際は潔いものではないだろうか。それなのに、未練がましく遺書を残すなどとは思いたくない。それなのに遺書を残したということは、そこに何かの石が働いていたと言ってもいい。

 無意識の中での遺書であろうか?

 この男が死を考えてから、実際に自殺するまでには、ほとんど時間的な余裕はなかったはずだ。それなのに遺書が残っていたことがおかしい。まるで最初からいつも遺書をしたためていたかのようなものではないだろうか。

 遺書の内容は公開されることはない。男が自殺だということが分かっても、この男には身内らしい身内はおらず、しいて言えばこの男にいいように扱われていたこの女だけだと言ってもいい。

 この女も実はこの男のことをほとんど知らなかった。男は自分のことを何も語らないし、名前は教えてくれても、本当にその名前なのかも疑わしかった。

 会社に出かけているようだが、どこに行っていたのか、女が貢いでくれるのだから、会社になど行く必要などない。

 そもそもお金が入ってくるのに、それでも仕事をしようと思う人間に、こんなタイプの悪党はいない。同じ悪党でも、お金に対する執着心が激しいということであれば、仕事に行く意義もあろうが、そうではないのであれば、こんな悪どいことはできないだろう。

「最近は、自殺も多くて困っているよな」

 という話を警察では結構しているようだった。

 殺人事件であれば、それなりに真剣に捜査もするのだが、人が死んだとしてもそれが自殺だということになると、検挙などありえないことだ、被疑者と被害者が同じ人間であり、まさか被疑者死亡で書類送検するのもおかしい。こういう場合が誰が悪いというのか、まずは死んだ人間が書いた遺書が問題になるだろう。

 そこには恨みつらみが書かれてるというもので、自分を死に追いやった人物のことも書かれているかも知れない。

 ただ、自分で死んでしまったのだから、その人に罪を着せるわけにはいかない。そういう意味では自殺というのは、

「死に損」

 でもあった。

 それが分かっていて、どうして遺書などを残すのだ。自分が死ぬことで自分を死に追いやった人間が、この何倍も苦しんで死を迎えるというシナリオを書いたのではないか。それとも死を選ばなければいけないほどに、すでに精神的にも疲れがピークに達しているのか。

 もしそうであれば、遺書を残す意味などないような気がする。遺書は残しても、この世に残された人間が憤りを感じるだけだ。

「遺書というのは、誰かに宛てたものではなく、この世の不条理であったり、誰も気づかないことに気付いてしまった自分を知ってもらいたい」

 とでも感じさせるためのものではないかと思うようになった。

 坂崎の先般からの考えで、

「自殺をする人がどうして遺書を残さなければいけないのか?」

 という漠然とした疑問に一石を投じるようなイメージを頭に描いていると、次第にこの物語の骨子が浮かんできて、多目的トイレの殺人、いや、男の自殺が、一人の女を別の男に蹂躙されるという二転三転させる話を作り上げようとは誰が考えたことであろう。

 坂崎は、いよいよ話が頭の中で盛り上がってきたことで、話を書いていくことにした。

 戦術のような話をプロットに纏めた。登場人物としては、主人公は何と言っても多目的トイレでの恥辱プレイから、自分の人生を狂わせたあのオンナというになる。最初は道場の余地のないような書き方をしながら、いよいよ人生が変革していく中で、読んでいる人の同情を引くような書き方になるだろうと思っている、

 普段と恥辱プレイの間で苦悩するこの女は、自分の知らないところで、悪魔を作ってしまったのか、それとも悪魔を呼び寄せてしまったのか、人制の破滅を思い知ることになるのだった。

 トイレで殺された、いや自殺した男の自殺の原因に関して、ハッキリとは思い浮かばない。自殺をするような素振りもなかったのに、なぜ遺書があったのかというのも疑問であるが、もう一人の主人公ともいえる、大悪党の男に主人公が見つけることのできなかった遺書を、やすやすと見つかってしまう。

 二人は初対面のはずなのに、まるで死んだことが自殺であるということが最初から分かっているかのような状況だ。この男も男がこの瞬間まで生きていて、まもなく死んでしあうであろうこと、そしてこの遺書の存在を見つけなかったら、こんな大それたことを考えたりはしなかったことだろう。

 この準主役ともいうべき、大悪党。いずれはこの女を利用しようと思っていたのだろうか。それとも、彼女のプレイにあやかる形で、

「私は医者だ」

 だと最初から名乗っていた。

そこに深い意味はなかったのかも知れないが、それを主人公が簡単に信じたことで、

――この女、何でも信じる女だ――

 と感じたようだ。

 もし、彼女のことを、

――何かあったら、その時は利用できるな――

 と感じた時があったとすれば、この時だったのかも知れない。

 小説の内容が少しずつ固まってくる。ただ、自分の話はいつものことであるが、範囲が狭かったり、登場人物が少ない。そのせいもあってか、ミステリーでありながら、物語が限定的で、そのくせ一つのテーマに特化しているかどうかという点で曖昧だったりする。そのせいで小説に厚みやダイナミックさに欠けてしまい、編集者の好評を企画段階でもらうことができない。

「戦絵、もう少し、話を膨らませることはできませんかね?」

 と言われるが、なかなか難しかった。

 今回もマスターを前にプロットもある程度煮詰まってきたのだが、どこか自分でも満足できるところがなかった。

「先生の話はプロットの段階までは結構キチっとしているんですが、プロットの完成度が高ければ高いほど、出来上がった話に深みを感じないんです。プロットを書き上げて満足していませんか?」

 という辛辣な話もあった。

 ただ、確かに以前はプロットすら書けない小説家で、ちょっとしたアイデアが浮かんだだけで書き始め、そのせいで出来上がった作品がまったく内容の違ったものになり。結局違ったままの内容を雑誌に載せるという作家としては、あるまじきと言われるような発表になってしまっていた。

 その頃は、

「先生もプロなんだから、プロットくらい、まともに書いてくださいよ」

 と言われていた。

 その時、考えたのが、

「プロットを書くのも、最初から作品を書くようなつもりで、自分がその登場人物の目になって考えるようにするばいいんだ」

 と思うようになった。

「実際の登場人物、つまり一人称作品は、自分には書けない」

 と思っていたことで、プロットを書く自分は、あくまでも架空の人物、いわゆる、

「架空小説の中での架空の人物」

 という、ある意味、現実世界から架空世界を見ている人間として描いてみた。

 実際には、これが本当のプロットの書く方なのかも知れないのだが、そんなことを思いつくはずもなかった。

 プロットというものをいつの間にか完璧に近い形で書けるようになった坂崎だったが、今度はそれを物語に落とそうとすると、プロットが完璧に近いだけに、その難しさを痛感するようになる。

「先生は、極端ですね」

 と編集者の皮肉も聞かれたが、ストーリー展開はどうしても、自分が経験したことに向かってしまうのは仕方のないことだ。

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