第3話 弱心隠蔽

 二人がトイレに入ってからどれくらいの時間が経ったでろうか、本当は何が行われているのかをもっと想像してみたかったのだが、どうにもその時の坂崎は想像、いや、妄想するまでの欲望がなかったのか、実にもったいない気がしていた。ただ、いかにもあからさまに、見てほしいとでもいうような行動をされると、却って冷めてしまうのかも知れない。あくまでも、

「見てもらいたい」

 と考えているのだとすると、

「誰が見るものか」

 という反発心が生まれてくる。

 学生時代、特に思春期くらいの頃の坂崎は、そんな天邪鬼ではなかったはずだ。ただ、人と同じでは嫌だという感覚はあったのだが、相手が見てほしいというのであれば、そこは拒むようなことはしなかったはずである。どうしてその時そんな気持ちになったのか分からないが、坂崎は別の発想が頭の中に生まれてくるのを感じた。

 それが新しい小説のネタになるなど、その時にはまったく感じていなかった。ただ、

「妄想を抱くはずのその時、別のことを考えていたような気がする」

 ということであった。

 何かを考えていたということを、しばらくは分からなかったが、次の日。目が覚めると、急に何かに閃いた気がした。

「ひょっとすると、昨日見たと思った夕方の公園での、変なカップル。あれは、実際に見たわけではなく夢の中でだったのかも知れない」

 と思った。

 そう思えば、あの時に妄想に入らなかった理屈も分かるというもので、

「夢の中自体が妄想で出来上がっているので、妄想の中で妄想を抱くことはできないのではないだろうか」

 という思いだった。

 だが、実際には夢であれば、ここまでハッキリと覚えていることもない。特に覚えている夢というのは、今までの経験から言えば。怖い夢しかなかったはずだ。

――ということは、これが夢だとすれば、怖い夢という認識で見た夢だということになるのだろうか?

 ということになり、自分の中で感じる恐怖の定義が、さらに分からなくなるのではないだろうか。

 今まで恐怖に関しては、恐ろしいというだけではない何かがあると思っていた。それは死ぬということに似ている気がしていて、

「死というものがどうして怖いのかというと、実際に死に至るまでに感じる。痛さや苦しさだけではなく、自分の人生がそこで途切れてしまったことで、自分が感じるであろう不安が恐怖に繋がるのではないだろうか。例えば、家族を残して先に逝ってしまうという恐怖。それは残されるものへの哀れみもある。自分のことだけで精一杯のはずなのに、死を目の前にして、本当に家族のことを考える余裕などあるのかどうか、それも疑問ではないだろうか」

 などといろいろ考えてしまう。

 そもそも、死を恐怖と同じレベルで考えてもいいのかということであった。

 死んでしまうと、その先は何も考えられないと思うのが普通ではないだろうか。恐怖を感じたとしても、それは死に至るまで、死んでしまうと何も感じないし、こちらの世界とは隔絶されるであろう。

「死ぬというのは、肉体と精神が分離して、精神だけになってしまうことをいう」

 と言われるが、誰も肉体から精神が離脱してしまうところを見たことはない。

 身体が動かなくなり、生きていたという証が消えてしまうことで、幽体離脱ということになるのだろうが、本当にそうなのか、そもそもが疑いたくなってもいいのではないだろうか。

「死んだら楽になる」

 賛否両論ある言葉であるが、

「何かが楽になる代わりに、何かを背負うことになる」

 と考えるのは、死を自分で選ぼうとする人に対しての戒めなのではないかと思う。

 だが、この理屈には説得力がある。死の世界を見たことがある人などいないのだから、皆どの説を取っている人であっても自信がないはずだ。そんな中で信憑性が感じられるとすれば、どれだけ自信を持って言えるかということである。

「死の世界を思い浮かべるのは、きっと夢で死の世界というのを見たという意識があるからでないだろうか」

 という意見を、坂崎は持っていた。

 この意見は自分の小説にも書いたことがあったが、どうにも読者には受け入れがたいものであるかのようだった。編集の人も、

「これはちょっと飛躍しすぎですよ。想像と妄想を一緒にしてもらっては困ります」

 と言われたものだ。

 最初はこの企画も、

「面白いかも知れない」

 と言ってはくれた。

 しかし、実際に出来上がった作品を読ませると、

「うーん、どうしても妄想だと思って見てしまうからなのか、作者の独りよがりな妄想にしか見えてこない。これでは、納得してくれる読者は、なかなかいないんじゃないかな?」

 と言われた。

 確かにそうかも知れないが、坂崎としては、

「注文通りの作品を書いたつもりだったんだけどな」

 と言ったが、そもそも、注文とは何であろうか。

 それは、読者を楽しませることであり、編集を満足させることではない。もっと言えば、本が売れてなんぼというべきであろうか。

 しかし、企画は進み出すと後戻りするわけにはいかない。どんなに気に入らない作品だと思っても世に出してしまうしかない。

 やはり、それほど本は売れなかった。編集の人の言う通り、話が飛躍しすぎていたのだ。一人よがるだというのも、言われてみれば、本にしてしまって初めて気づいた。

「もう少しリアルな作品の方がいいんじゃないですか?」

 と言われ、あまり奇抜な作品はしばらく封印することにした。

 だが、そもそもオカルトだったりミステリー系を描いているので、こじんまりと収めようとすると、本当に委縮してしまいそうでそれも怖かった。

「先生は、もう少しご自分に自信を持てばいいと思うんですが、下手に自信を持ちすぎると、この間の作品のように、一人よがりになってしまう。難しいところですね」

 と言われた。

 さらに編集の人は続けた。

「先生は発想というものと、妄想というものを切り離せばいいのではないかと思うんですけどね。例えば、ちょっとしたことを無意識に見た時、その時に自分が想像しているのか、妄想しているのかを見極めることができればいいんですけどね」

 というのを聞いて。

「そうですね。僕は結構、無意識に目の前で起こっていることを漠然と眺めて、勝手な想像をしていることがあります。たまに、身体が反応してしまうこともあるくらいですよ。下品なお話ですけどね」

 というと、

「いやいや、それはそれでいいんですよ。それを先生は自分では妄想しているということを認めたくない。それを下品なことだとして、自分で否定しようと思われるからではないですか? その否定を肯定に変えて。妄想しているという意識の元、あくまでも小説のネタとして思い描いてみられてはいかがでしょう? たぶん、今まで見えていなかった何かが見えてくるんじゃないかって思うんですよ」

「そんなものなのかなか……」

 と、そんな会話を編集の人とした記憶がよみがえってきた。

 目の前で行われている。まるで夢でも見ているのかと思われる光景。

「夢でもいい、何か妄想に繋がれば、それを作品に生かすこともできる」

 と考えた。

 そう思いながらトイレの扉を凝視していた。まるで穴が開くほどの凝視だった。なかなか中からは出てこない。シーンと静まり返った中で、何が繰り広げられているのか、汗にまみれた身体を組んず解れつの状態で、湿気を帯びた息遣いが、艶めかしい彩りを見せ、さっきまで感じなかった興奮が、時間を重ねていくうちに、次第に膨れ合っていくのを感じた。

「こんな時にこそ、妄想が生まれるんだ」

 と思い、興奮が最高潮に達すると、まるで果てた後の憔悴感が襲ってきた。

「冷静になれるかも知れない」

 それが、妄想を想像に変える場面であることを、坂崎は期待し、その期待が溢れてくるのを感じていた。

 頭は冷静だけども、気持ちに反して息遣いは荒かった。まわりの空気が湿気ているわりに、シーンと静まり返っているという、坂崎にとって思えば、何か矛盾に思う空間があったからではないだろうか。

 そんな時間と空間を切り裂くように、音もなく、トイレの扉が開いた。 

 スローモーションのように、スーっと開いた扉は、一人の男を表に放り出した。その後ろから女が一緒に出てくるのかと思いきや、女は一緒に出てこようとはしなかった。

「どうしたんだ?」

 男は、ズボンのベルトを掴み、たくし上げるかのようにした。たった今まで脱いでいたということをあたかも証明しているかのようだった。

 そそくさとあたりを見渡した男は、目の前にいる距離は少々あるが坂崎に気付くこともなく、走るようにその場を去った。明らかに逃げ出した感覚だった。

 それから、何事もなかったかのようにその後で少ししてから女が出てきた。まるで一人で入って、また一人で出てきたかのようだ。

 妙に冷静で、さっきの男のようにオロオロとしているわけではない。

「女の方が、こういう時は冷静なものなのだろうか」

 と思わせ、女の様子を見ていると、その女は坂崎に気付いたようだった。

 気付いていて、わざとじっと坂崎を見つめ、最後にはニヤッと微笑みかけた。

 厭らしさは感じられたが、それよりも、何かこちらに向かって感謝しているかのようにも見えた。頭を下げ、会釈をしたのだ。

「まさか、見てあげたことに感謝してくれているのか?」

 彼女はトイレという密室の中で、他の男に抱かれながら、ひょっとすると、自分たちを見ていた坂崎の様子を知っていて、わざと見せつけていたのかも知れない。興奮しながらも、妙に冷静だったのは、そんな彼女の思いを計り知ることができたからなのかも知れない。

 女は男のように、逃げていくことはなかった。どうして男が最初に出てきたのか、少し考えてみた。その後で女が出てきたので、その考えは違っているのは明白だったのだが、何かが起こって、女を不可抗力で殺してしまった。その発覚を恐れて、臆病なその男は死体を放置して逃げ出したという考えだった。

「これは面白いかな?」

 と思ったが、これだけではどうにも陳腐な作品でしかない。

 何か、膨らませる発想が必要である。

 男は、トイレに入るまでは、自分が主導権を握っていて。女は自分の言いなりになっているかのように感じていたことだろう。

 しかし、女の方は、男に最初花を持たせて、中に入ると徐々に自分の本性を表し、オンナとしてすべての武器で男を魅了しようとしている。

 男の方は、まるで催眠術にでもかかったかのように従順で、オンナに絶対服従を感じていた。

 きっと女には、男を惑わす淫靡な香りがしみついていて。トイレの中という密室の中で、漂ってくる尾籠な臭いとマッチして、男の感情を狂わせるだけの力となっていたのかも知れない。

 そうなるとすでに男は女の言いなりだった。

 そこでどんなことが繰り広げられているのかというのを誰も知らないのをいいことに、女はさらに大胆に男を我が物にする。

 女が、Sなのか、Mなのかははっきりとは分からない。そのどちらかであるというのは一目瞭然、いや、両刀なのかも知れない。だが、この短い時間では、その両方を行うのは不可能だ。きっとどちらかを演じたのだろう、

 女は男の身体によって十分な快感を得られると、それまで掛けていた催眠を解いた。すると、男は我に返り、本来なら自分が蹂躙するはずの相手から蹂躙されていて、しかも自分が追い詰めたはずの女から形勢逆転させられてしまったことに恐怖を感じた。急いで表に飛び出したとしても、それは無理もないことだろう。逃げるように去っていき、まわりのことを気にはしていたが、まったく意識に入ってこないほどパニックになっていたということだろう。

 女の方は十分に満足し、満腹状態で出てきた。もういまさら他の男に食指を動かす気にはならなかったが、望み通り自分を見ている男がいるのを感じ、またしても、さっきまでとは別の快感を得ることができ、あの厭らしい笑顔になったのだろう。

 そんなことを感じていたというのを翌日目が覚めた時に感じたのだ。この感覚が、

「夢なのでは?」

 と思ったとしても不思議ではない。

 これを元に小説のネタを考えてみることにした。ただ、これほど淫靡なイメージが主題ではない。この状況を別の角度から見てみるというのが、発想であった。

 昨日のことを思い出しながら、今日もいつもの喫茶店で、モーニングを食べていた。今までなら、いつも同じものばかりで飽きるような気持ちがあったが、ここのモーニングは料理がいつも細かく違っていた。タマゴ料理にしても、目玉焼きであったり、ゆでたまごであったり、スクラブるエッグであったりとバリエーションが豊かだ。またに卵焼きの紐あり、そんな日はみそ汁とご飯がついてくる。別注文になるが、生卵を掛ければ、タマゴかけご飯にもなるのだ。

 実は、基本的にはそれぞれが別メニューなのだが、常連さんで毎日来ている人には献立を自由に選べるサービスにもなっていて、毎日違うメニューにする場合もあれば、二、三日単位で交代させるという人もいる。どうせ、それぞれ別メニューで作らなければいけないのであれば、手間は同じだ。逆に献立性にしていれば、確実に出る分が分かるだけに、店側もありがたい。常連でもっている店は、本当に常連のことを考えている。だからこそ常連は離れないのだ。

 今日は、目玉焼きの日だった。二つのタマゴを本当の目玉のようにして、ベーコンをつけてくれている。黄身は固くしないで、白身部分は固くするというリクエストに応えてくれているのもありがたい。ベーコンもカリカリにしないで、やわらかい状態で出してくれるだ。

 サラダにはサウザンドレッシング、目玉焼きにはケチャップでも醤油でもなく、ソースを使う。ナイフとフォークを使って洋風仕立てなのだから、しょうゆやケチャップではなくウスターソースなのだ。

 いつもカウンターの一番奥が坂崎の指定席、朝は特に常連が多いので、皆決まった指定席に座る。カウンターも半分くらいは埋まるが、テーブル席もほぼ埋まる時間帯もあるくらいだ。近くに大学があるので、大学生も長所を食べにやってくる。午前八時くらいは一番多いかも知れない。

 その日の坂崎は、いつもよりゆっくりだった。九時過ぎくらいに店に入ると、サラリーマンの常連はほとんどいない。学生が数人いるくらいで、こっちの方がある意味集中できるというものだ。

 早めに来る時は、常連と話をして、その常連から情報を貰うようにしている。一般のニュースソースだったり、流行りの話であったり。どこに小説のネタが潜んでいるか分からないという意味で、常連仲間とはよく話をすることにしていた。

 常連は自分よりも年上が結構多い。近くに商店街があり、商店街で店を営んでいる人がよく利用しているのだ。店もまるで昭和を思わせる佇まいで、近くの商店街もまだ昭和の色を残している。

 ただ、どうしても郊外にできた大型スーパーの煽りを受け、十数年くらい前から、商店街は景気が良くはない。昼間でも店が閉まっていた李、いつの間にか店が変わっていたりと、なかなか不景気を拭い去ることはできない。

 売れない小説家がタムロする店としては、それもしょうがないだろう。そう思うと情報交換も無駄ではないというところを見せたいといつも思っていた。

 その日はさすがに九時を過ぎているので、店は開店の準備で忙しい。店主はすでに店に戻っていた。

 いつもの指定席も開いていたので、ゆっくりとアイデアを練ることができる。

「昨日のあのカップルは何だったんだろう?」

 二人がコソコソしながらトイレに入った時は、怪しい雰囲気がムンムンだった。淫靡な臭いがしてきそうで、しかもトイレでするなどという不潔極まりない状況に、却って興奮させられた。女の方が先に入って、男を迎え入れるという感じだったので、誘ったのは明らかにオンナだった。

 ラブホテルを使わなかったのは、それまで我慢できないという思いと、それだけの淫乱女であれば、見られたいという願望もあったに違いない。その両方の欲を満たすには、公園に設置されている多目的トイレというのは実に重宝なものではないだろうか。

 男女兼用になっているし、入る時に見つかりさえしなければ、緊急を要することでもなければ他人が入り込むことはできない。

 そういえば、公園の女子トイレの前に貼られている警告を見たことがあった。

「いかなる理由があれ、女子トイレに入ることは法律で禁じられています」

 と書かれていた。

 それを見た時、最初に感じたのは、

「いかなる理由というが、命に係わるようなことであれば、それでも見て見ぬふりをしていいというのか?」

 というものである。

 確か、ひき逃げという犯罪は、業務上過失致死か、致傷のどちらかと、被害者を放置してはいけないという、負傷者や死体に対しての責任に対しての義務違反、さらに、警察にや病院に届けなければいけないという報告義務違反の三つで争われるという。

 けが人や死体を放置することは許されない。特に生きている人間であれば、救護義務が発生するはずだ。

 人が中で呻いていたり、苦しんでいるのが分かっているのに、

「女子トイレだから、いかなる理由がると言えども」

 という理由で放置してはいけないだろう。

 ただ、これも道義上の問題で、もし、苦しんでいるような声であったり、呻いていたとしても、実際には助けを求めているわけではなく、それを気付かずに押し入ってしまえば、相手がもし、

「助けてほしいなんて言っていない」

 と言って、不法侵入で訴えてくればどうなるのだろう?

 これは冤罪などという問題に抵触してくるのではないだろうか。

 そんな状態で、男女が言い争っているならば、これほど他人事で見れば、滑稽なことはない。

 しかし、誰もが陥りそうな問題であり、ちょっとでも相手を思いやる気持ちが少しでもあれば、歩み寄ることもできるだろうが、こうなったら、売り言葉に買い言葉、中に立った警察官もやりきれないと思うことであろう。

 ただ、これは難しい問題だ。

 男の方とすれば、

「あんな声を出されたら、中で人が殺されそうになっているかも知れないと思って飛び込むのも当然じゃないか。あなたこそ、あんな声を出して、他の人を誘発している確信犯じゃないか?」

 と言いたくなるだろう。

 女の方とすれば、

「何言ってるのよ、勝手に勘違いしたのはあなたでしょう? 私は助けてほしいとも何とも言ってなかったのよ。歌を歌っていただけなの」

 本当に歌を歌っていたのかどうか分かったものではないが、そう言われてしまうと、どちらにも決め手となる証拠はない。防犯カメラが表から構えていたとしても、声が入っているわけではないので、状況は映像でしか分からない。

 映像だけで見ると、明らかに男性の不法侵入と取られても仕方がないが、男の方の形相はただごとではない。それを言ったとしても、女性からすれば、

「狂気のような顔をして、男性が侵入してきた」

 というだろう。

 本人はそんなことはないのに、恐怖を感じてくる。あくまでも女性の言葉は強いものであった。

 その時男は思い出すだろう。

「痴漢による冤罪もこんな感じだよな」

 そう思うと、痴漢で濡れ衣を着せられた男はどうなるか、いくら言い訳をしても、もうどうにもならない。

 女の方としても、話が大きくなってしまって、

―ーひょっとすると、本当は違うかも知れない――

 と思っても、まわりが、すでに男を犯人として決めつけているので、違うかもしれないなどというと、

「あなたが、間違いないって言ったじゃない」

 とばかりに、今度は矛先がこちらに向いてしまう。

 痴漢に遭って被害者であると思っている女性とすれば、ここで余計なことを言って、自分がまわりを敵に回すと、本末転倒になってしまう。そうなると、

――本当の犯人は分からないけど、この人に犯人になってもらうしか仕方がないわね――

 としか思わないだろう。

 そうなると、もう男がいくら何を言ってもダメである。男は後悔するだろう。

「このオンナの近くに行った自分が悪いんだ」

 と思うに違いない。

 他の場所にいたとしても、冤罪を受ける可能性はないとは言えないが、そう思うと、満員電車に乗ってしまったこと自体がすべてだと思うだろう。

 公衆便所でも同じだ、

「女を助けてやろうなんて思わなければこんなことにはならなかったはずだ」

 と思う。

 考えてみれば、女子トイレなんだから、

「いかなる理由があっても」

 といういかなる理由を盾にして、見捨てればいいだけのことだ。

 そう考えると、昨日の男女のシチュエーションも、

「いかなる理由に引っ掛けることができないか」

 と考えたのだ。

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