やる気のない鎌倉探偵
森本 晃次
第1話 本屋での出会い
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。ご了承願います。かつて書いた小説でお鎌倉探偵のエピソードとは微妙に違っているかも知れませんが、それは小説の世界のことですので、別人とでも感じて読んでくださるくらい、暖かい目で見ていただけると、嬉しく思いますので、あしからずです。
ミステリーファンの中には、昔の探偵小説が好きな人も多いことでしょう。そんな皆さんは、
「私立探偵というと、どんな探偵さんを思い浮かべますか?」
と聞かれれば、
「インパネコートに鹿撃ち帽という謂出た?日にパイプを咥えていて、捜査は冷静沈着で、行動力に富んだ人」
というイメージの人が多いかも知れない。
これはコナンドイルの、シャーロックホームズから得られるもので、きっと一番探偵としてイメージされるのがこの人であろう。
もちろん、海外にはもっとたくさんの探偵小説の中に出てくる探偵がいるのだろうが、我が国日本でも、大正時代から昭和初期に活躍した探偵さんの代表がいるではないか。
江戸川乱歩先生の明智小五郎などがまずは代表格と言えよう。
乱歩末期の作品群に、ジュブナイル作品が多く、そのほとんどが、怪人二十面相と少年探偵団の話であり、明智探偵は少年探偵団のボスとして君臨しているイメージがある。だから、明智探偵というと、
「こざっぱりとした服装に、身だしなみもキチっとしている好青年探偵のイメージが強いカモ知れないが、その最初の登場シーンにおいては、まったくイメージが違い、ボサボサの髪で書生風の袴に和服と言ったいで立ちで、ダンディというイメージとはかけ離れている雰囲気だった。
元々作者は、明智小五郎をシリーズ化して使うつもりはなく、一階の登場で終わるつもりだったという話もあるが、結局シリーズ化する形にはなったが、確かに垢抜けはしていたようだが、髪がボサボサで、時々頭を掻いているというシーンが出てくるのも、意外と知られていないかも知れない。
彼の特徴は、
「どんなにお金を積まれても、興味のある事件以外が扱わない」
というものであった。
これは、それ以降の探偵小説に出てくる探偵さんにも大きな影響を与えたようで、昭和の終わりから平成にかけての探偵にも似たような人が見られたりしたようだ。
その方が物語としては面白いのだろうが、明智探偵の場合は、その性格が物語の中核をなすこともあるくらいなので、結構重要なところでもあった。
日本で言われる三大名探偵の一人がこの明智小五郎であるとすれば、もう一人の名探偵と言われる人は、これも言わずと知れた、横溝正史先生の、金田一耕助があげられるであろう。
明智小五郎もそうであったが、金田一耕助も、映像化した時に、
「この俳優の代表作は、金田一耕助だろう」
と言われ、さらに、
「金田一耕助と言えば、この人だよな」
と言われる俳優が必ずいたのである。
その人が映像としてその探偵のイメージを作ってしまっていることから、実際に作中に出てくる探偵とはイメージがかけ離れてしまっていることも少なくない。
時に金田一耕助の場合はその傾向が強いのではないだろうか。
どうしても、名探偵というイメージが強いため、金田一耕助に対してのイメージは、
「風貌はだらしなくて、?きまわしたフケが床に落ちる汚いイメージであるが、いざ推理するとなると、鋭いところをついて見事事件を解決する」
というものではないだろうか。
だが、実際の金田一耕助は作中ではいろいろな顔を持っている。
そもそも初登場の逸話として、アメリカの難事件をあっという間に解決というほどの切れ者でありがなら、何とその時薬物中毒だったという逸話もあり、さらには戦場から帰国した最初の事件では、人から聞いただけで事件を解決るするという離れ業を演じているにも関わらず、そのすぐ後の事件では、殺害予定者全員が殺されてしまい、犯人にも全員死なれてしまうという、何ともお粗末な結果になっている。しかも、その事件が金田一探偵のベストスリーにランクインしているというのだから、面白いものである。
金田一耕助という探偵が移植だと言われるのは、いわゆる、
「探偵防御率」
と言われる部分で、かなり数字が高いことだ。
防御率なので、数字が高いということは、
「防御されていない」
とみなされること。
一つの作品で、探偵が事件に関与してから解決するまでに起きた殺人件数で割ったものを探偵防御率というのだそうだが、他の主要探偵に比べて、金田一耕助の率の高さは群を抜いている。
しかし、これはファンからすれば、
「彼は人情味深い探偵だから」
という答えが返ってくる。
犯人が自殺しようとするのを止めなかったりするのもそのせいであろうが、それにしても殺されすぎという印象は否めない。
さらに、ある代表的な作品では、
「私は、最初からこの人を犯人として睨んでいた」
と犯罪関与の時点からの話を顧みている。
実際には秘密裏に依頼を受けてこの村にやってきたくせに、
「たまたま立ち寄った」
などとうそをついたりする理由がどこにあるというのか、疑問しか残らない。
しかも、横味噌正史先生の作品の特徴として一人称小説が多いため、どうしても金田一耕助の登場シーンが少なくなり、登場場面が後半だったり、あまり出てこなかったりするという事象があるのも事実だ。
一人称小説というのは、書き手が@私」、「僕」などと言った主人公なり、物語の代筆者がいて、その人の目線で描かれることをいう。つまり書き手が主人公であれば、おのずと小説は主人公をさらに中心にして書かれるということになり、探偵は二の次になってしまう。下手をすれば、最後の方でちょこっと出てくるということになりかねないので、ほとんど犯罪が終了した時点で出てきて、さっさと事件を解決していくという、実にこれぞ探偵という場面もあったりする。前述の、
「話を聞いただけで事件を解決してしまった」
というのもそれにあたり、金田一耕助という男、頭がいいのか、それとも犯人にやられてばかりなのか、分かったものではない。
それもすべてひっくりめて人間らしい探偵ということで人気が高いのだとすれば、実に日本人らしさを表した探偵と言えるのではないだろうか。
それにしても、正直言うと、金田一耕助という人物をどれだけの人が分かっているのか疑問でもある。テレビなどの映像でしか知らない人には、本当の金田一耕助を分かるはずもない。
また、異次元作品のマンガとして、ある作品で、
「孫」を名乗る輩が出てきたが、
「確か金田一耕助は生涯独身では?」
と言われていたはずなのに、孫がいるというのもおかしい。
もし板とすれば、どこぞの誰かに産ませた……ということになるのだろうが、そうなると、もう支離滅裂、金田一耕助のイメージは地に落ちてしまう。正直、後からいくら架空の登場人物だとはいえ、原作者の死亡をいいことに、適当な話を作るのは、金田一耕助ファンに対しても、作者に対しても、冒涜であると、記しておこう。架空の話なら、自分の中の架空で済ませてほしいものである。
脱線はさておき、金田一耕助という探偵は実に人間らしいところが随所にみられる。
ヒューマニズムに満ちたところもそうであるが、彼は躁鬱症でもあった。きっと作者がそうだったからだろうが、金田一も明智小五郎と同じように、自分の気に入った事件を扱うことが多い。そのため、事件の最中は何度も興奮を隠せず、そのため癖であるもじゃもじゃな髪の毛を掻きまわすというシーンがよくテレビには出てくるが、それほど入り込みやすい性格であった。
ちなみに、前述の明智小五郎も髪はボサボサであったということをこの場を借りて書いておこう。
事件に深入りするがために、彼は事件が解決に向かい、警察だけで解決できるとなると、すぐに事件から手を引き、そこから先は鬱状態になって、フラリと旅に出るという設定もあった。
ひょっとすると、これは時々自分の作品に嫌悪感を持ち、ふらりと旅に出てしまう江戸川乱歩氏を、編集者という目で見ていたことで思いつぃたキャラクターなのかも知れない。
金田一耕助には何人かのモデルがいると言われているが、実はその中には明智小五郎も含まれている。まったく別のキャラクターに見えるが、類似点は少なくないのだった。
金田一耕助と明智小五郎は類似点もいくつかあるが、相違点も少なくはない。それらを探しながら作品を読んでいると実に楽しい。何しろ生みの親が違っているのだから、おのずと巻き込まれる事件の性質も違っている。登場人物の運命は、作者の手の中にあるというわけだ。
諸君は、他にもいろいろな探偵をご存じだとは思うが、金田一耕助と明智小五郎に限っていえば、どちらがご所望であろうか。これは、自分が何かの事件に巻き込まれたとして、どちらの探偵なら安心できるかという直接的な話でもあり、物語として読むとすればどちらが好みかという間接的な話でもある。この二つは両極端であるが、中を取るのであれば、どちらの探偵と友達になりたいかということも含まれている。門倉刑事と金倉探偵のように、刑事と探偵という関係で最初から出会うのも一つであろうが、一小説の読者として、あるいは、事件に巻き込まれた場合などによるもの、考え方は人それぞれである。
一般的に考えるなら、見ていて楽しいのは金田一耕助の方であろうが、自分が事件に巻き込まれて直接依頼するのであれば、明智小五郎ということになるであろう。
探偵小説というのは、いろいろな種類がある。殺害方法も違えば、動機も違う。それによって見方も違ってくるが、そもそも殺人事件を主に扱っている探偵に、探し物を頼んでみたり、浮気調査をお願いするというのも、どこか間が抜けている気がする。
しかし、最近のテレビドラマでは平和というか、殺人を中心としない探偵もたくさん出てくる。
「○○探偵」
などと呼ばれるものが登場し、民間の争乱ごとを解決するなどと言われている。
ちなみに、このお話はあくまでもフィクションであるので許されるのだろうが、本来の意味での探偵は、推理を中心にした捜査を行うことはない。ましてや警察から依頼を受けたり、警察の捜査に介入することもないので、あしからず……。
ただ、それを許されるとしての物語を進めていこう、今の説明であれば、このまま何も起こらずに物語が終わってしまい、それでは何ら面白くないからである。
要するに筆者が何を言いたいのかというと、フィクションとはいえ、ここに一人の探偵が登場し、いつも颯爽と事件を解決していく人がいる。そしてその探偵には、一人の助手がついている。助手というよりも相棒と言った方がいいかも知れない。警察関係者として探偵と昵懇の間柄で、いつも協力し合って事件を解決に導いているのだった。
この二人は、前述もしていたが、探偵は鎌倉氏といい、相棒の刑事の方は門倉という。筆者の作品を拝読された方には馴染みのお名前であることであろう。
最近、鎌倉探偵は事件から少し遠ざかっていた。時々殺人事件以外の事件を扱い、何とか生活していたが、これだけの時間があるのだから、旅行に出かけるのもいいかと思っていたくらいだった。
依頼を受けていた浮気調査もうまく片が付いた。証拠はしっかり握って、それを封筒に入れて渡せばこちらからの仕事は終わりである。
相手から支払われた依頼料は、成功報酬としては妥当な金額だっただろう。依頼主からすれば、本当は高いと思っていたかも知れないが、これから一生のことを考えると、ここでキチっとけりをつけておかなればいけないと思っていた。
それは正解だと鎌倉探偵も思った。しかし、あくまでも相手の依頼されたことをこなすだけの機械的な仕事、いわゆる作業と言ってもいいだろう。
「まあ、危険なこともないし、人を尾行して写真を撮るだけでお金になるんだから、文句も言えないか」
と、そう思っていたのだ。
普段の殺人事件での操作を一緒に行っている門倉刑事には、そんな民間探偵の事情がどこまで分かっているのか、聞いてみたいものだった。
探偵として浮気調査が終わると、少しの間、依頼が来る様子もなかった。開店休業を余儀なくされるくらいなら、どこかに旅行に行くというのも気分転換になっていいのではないかと思い、本屋に出かけ、旅行雑誌を物色してみた。ネットで調べてもいいのだが、事務所にずっといるというのも嫌だった。
事務所からちょうど歩いて十分くらいのところのビルに、大きな本屋があったので、そこに昼食がてらに出かけてみることにした。
最近は本もネットで購入する時代になかったからなのか、大きな本屋が都会からだいぶ消えて行っているようだ。事務所から三十分以内の移動距離の場所に、最高で四軒の本屋があったのに、今では一軒だけになってしまった。本を買う人が減ってきたことで致し方のないことなのだろうが、これを時代の流れと表現するのであれば、寂しいとしか言いようがない。
本当は行きつけの店は事務所からは近いのだが、せっかくだから、本を購入してからいきつけの店に行くことにして、ゆっくり料理ができるまで本を読みながら待っているというのも一つの手だと思っていた。
ちょうど、読みたい文庫本も読んでしまったので、ちょうど何か物色しに行こうと思っていたところだったのだ。
まずは、文庫本のコーナーに足を踏み入れたが、相変わらず溜息しか出ないのを感じた。
鎌倉探偵が子供の頃の本屋とは、まったく違っていた。あの頃の本屋は、一人の作家の本が本棚にいくつも置かれていて、一段すべて、いや二段目までもがその作家の本でいっぱいになっているなど当たり前だった。作家ごとに背表紙の色が違うのが文庫本の特徴なので、真っ赤な背表紙の作家の本が、ずらっと並んでいて、爽快に思えるほどだった。
それなのに、今はどうだ? 数十年前であれば、人気作家のベストセラーとして、増刷増刷を重ね、さらには映画化やドラマ化に便乗し、小説も売れまくっていた時代があったのだ。
今は、正直小説で映像化されるものはあまりない。どちらかというとマンガの原作が映像化されることが多い、活字離れを後押しする結果になるのだろうが、活字というものの醍醐味は、
「想像力」
にある。
想像力が乏しいからマンガに走るのか、マンガが安易にウケてしまうので、小説が敬遠されるのか、どちらにしても、本屋なのだから、活字の本を売ってなんぼではないのだろうか。
それを思うと、
「なるほど、これじゃあ、本屋が廃れるのも無理はない。
売れそうなマンガばかりを売り出して、目先の利益流行を追うことで、結局、本来の本が売れずに活字離れとなってしまうことで、墓穴を掘ることになるのだ。
鎌倉探偵は、
「まるでヘビが自分を尻尾から飲み込んでいるような気がする」
という、不可思議なたとえを思い浮かべた。
これも活字と同じで洒落の利いた皮肉なのだが、活字離れしてマンガにばかり走っている人には、これを皮肉として受け取ることもできないであろう。実に困ったものである。
門倉刑事は、文庫本の背表紙を眺めていると、一人の作家で埋まっているということはまったくなかった。昔なら、二段くらいに並んでいた作家の本も、今では多くて十冊くらいしかなくなっていた。
それでもまだ並んでいるだけいいのかも知れない。本のカバーの裏を見ると、そこにはその文庫本の出版社から出しているその作家の作品一覧が書かれているが、少し前に軽い気持ちで覗いてみると驚愕したのを覚えている。
数十年前には五十冊以上、その出版社から発行されていたのに、並んでいる十冊くらいしか載っていない。これは他の本が絶版になったのか、一旦全部絶版にして、再度新たに新装版として編集しなおしたのかのどちらかであろう。
「多分、編集しなおしているな」
と思い、それに伴って値段も釣り上げたに違いない。
本の値段はどうやって決めているのかは分からないが、自分が子供の頃に買って読んだ本の値段からすれば、今では倍近くに跳ね上がっているのだ。
実際に利用しないものを、何年かぶりに利用すると、急に値段が跳ねあがっていてビックリさせられることがある。
都会に住んでいて、タクシーとはあまり縁のない人が数年ぶりにタクシーに乗ると、想像以上に跳ね上がっているとして、ビックリさせられるということもあったであろう。
または、野球場などの入場料にしてもそうである。昔は千円くらいで入れたものが、今では三千円以上になっていたりと、ぼったくりではないはないかと思うほどになっている。
鎌倉探偵もあまりタクシーを利用することはなかったので、この間浮気調査で乗った時のタクシー代にはビックリさせられたくらいだった。
何にしてもそうであるが、何年かに一度の割合で、消費税なるものが値上がりしていくので、それに伴っての便乗値上げも結構あったのだろう。
「していない」
と言いながら、消費税の値上がり分に便乗して、普通に値上げをしているのだからたちが悪い。
そういう意味での便乗という言葉は鎌倉探偵は大嫌いだった。政府まで見てみぬふりを決め込んでいるのだから、どうしようもない。
「犯罪が増えるのも仕方がないか」
とそう思ってしまい、どうすればいいのか分からない気分になっている。
自分が感じてはいけない感情なのかも知れないが、やり切れない気持ちに時々陥るのは、こういう心境からなのかも知れないのだった。
本屋によって、本の背を見ながらため息をついていた。しかし、面白いものえで、一人の作家の本があんなにあったのに、今は数冊しかなくても、文庫本のコーナーは狭くなったという感じがしない。
――それだけたくさんの作家の本が置いてあるということなのかな?
とも思ったが、作家の名前を見てみると、昔からの作家が多いのも間違いない。
やはり本屋というのは、変な意味で神秘性を感じさせるものだった。
鎌倉探偵が好きなのは、昭和初期の探偵小説。今のように科学捜査が発展し、犯罪者が犯罪を起こしにくい時代ではなく、言い方は悪いが、
「何でもあり」
とも言えた時代が好きだった。
もちろん、犯罪性の多様さが好きだったというだけではなく、今とは違った動乱の時代で、さらに大正ロマンと言われた時期をすぐ前に控えた時期ということで、そのあたりも興味深いのだ。そんな時代の本を読んでいると、想像力がいかに大切かということを再認識させてくれる。それが嬉しかったのだ。
尤も、この時代の小説は、子供の頃に一度読破している。何しろ本屋には所狭しと昭和初期の探偵小説作家の本が並んでいたのだ。すべてを読もうとするなら、どれほどの時間がかかったであろうか。一人の作家を読破するだけで、半年近くはかかったかも知れない。だかそれが醍醐味でもあり、読書を趣味というにふさわしい時代だったのだ。
そんな本の背を眺めていると、時間を感じさせないというか、金縛りに遭ったような気がしてきた。そもそも本が好きだったのは、小学生の図書館に行った時、本のあの独特な臭いを感じたからだ。紙の何ともいえない、重厚な香り、しかしどこか鼻を突く黴臭さとよく子供なのに分かった思うような淫靡な香りが一緒に漂ってきたことだった。
気に入った作家の本も、別になく、せっかく本屋に来たのだから、旅行雑誌も見てみようと思い、文庫本のコーナーから立ち去ろうとした時、一冊の気になる本があった。その本は、以前自分が解決した事件で被害者になった人で、鎌倉探偵の助力で、事件が解決したという、彼にとって曰くのある作家の作品だった。
――そういえば、彼の作品を読んでいなかったな――
作家の名前は山口豊という。
ペンネームも本名を使用していて、彼の作品を読むと彼の性格が見えてくると言われていたというが、その時の事件はもっと単純なもので、作品を見るまでもなく解決することができた。
それは、鎌倉探偵の、
「自分が優秀だから」
というだけで、事件が単純だったというべきであろう。
犯人も鎌倉探偵の手腕ですぐに自首をして、被害者と言っても、彼がその時、大きな被害を被ったというわけではない。せめて暴行罪が成立する程度であったが、実際に殺害計画を立てていたことには違いなかったので、未然に防いだという意味では、よかったのかも知れない。
むしろ、これが一番よかったのだ。被害もさほどなく、今後の憂いもないという最高の形での事件収束は鎌倉探偵にとってもよかった。時間もさほど食うこともなく、また依頼者もさほど金銭的にも精神的にも苦痛を食うことがなかったからである。そういう意味で名前は知っていたが、実際の面識はなかったのだ。
鎌倉探偵は、その作家の本を読み損ねたのを思い出し、この機会に読んでみようと、手をその本に伸ばしたが、そこにもう一つの手が伸びているのに気付かなかった。
「あっ」
と思ったが時すでに遅く、相手も、
「あっ」
と言って、一緒に手を戻したが、少し触れてしまった。
二人はまったく同時に同じ本を手にしようとしたのだ。
同じ時間に、本棚にこれだけたくさんの本があるというのに、一冊を二人で取ろうとするなど、何とすごい偶然であろうか。
そんなことを思っていると、相手が女性であったことに気付き、さらに顔が真っ赤になってしまった。
その作家の本は、その一冊しかなく、売り切れているのか、それとも最初から一冊しか置いていないのか、はたまた、一冊しか出していないのか、そのどれかであろうが、どれなのかはよく分からなかった。
「どうぞ」
と言って、彼女にその本を譲るつもりだったが、彼女も遠慮したようだったが、
「どうぞ、構いませんよ」
と笑顔を見せると彼女はニッコリと微笑んで、やっと本棚からその本を取ると、
「ありがとうございます」
と軽く頭を下げてくれた。
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