第19話 食料調達①

「裏切り、とは言うけれど……。簡単にそう出来るものかね。持ちつ持たれつみたいなところはあるのだし。そりゃあ、ここに通っている人間を一人でも誘拐しちゃえば、多額の身代金は望めるのだろうけれどね」


 例外はあるぞ、ぼくみたいな凡人が居るからな。


「でも、命を絶つことに未練がなければ——つまり、リスクを感じなければ、ここは格好の的だと思うけれどね?」


 アリスの言葉は、時折末恐ろしく感じることもある。

 現実を分かっているのか分かっていないのか、それすらも分からないけれど……、的を射ている。


「やっぱり、誘拐されたことのある人間から言う言葉は、重みが違うね」


 誘拐されたことのある?

 まさかの経験者だと言うのか。


「まさかの……とはどういうことなのか分からないけれど、否定はしないね。あれはあれで、経験としては良い経験だったと思うよ」


 誘拐を良い経験とするのは、どうなんだろう。

 ちょっと常識がずれているような気もするけれど。


「いやいや、誘拐をそんなこと言えるのは、あんたぐらいでしょう。白河アリスさんよ、あなた……あなたを助けるためにどれぐらいの人間と金額が動いたのか、知っている?」

「そういう和紗は知っているのかよ?」

「事情通でね」


 地獄耳とも言うのでは?


「そうとも言うかもね。……それはそれとして、あのときはピリピリしていたらしいよ。わたしも噂でしか聞いたことがないけれど……、サラリーマンの生涯年収ぐらいのお金が動いたとか動かなかったとか」


 そいつはかなり大きい金額だな。

 ぼくの想像を大きく上回ってきたのは、流石大富豪と言えば良いだろうか。

 まあ、ぼくがどうこう言ったって、何も代わりはしないけれどね。


「合宿所に入って良いかしら?」


 そういえば、未だ入っていなかったっけな……。読者諸君は、ぼく達が何処で会話をしていたのかと気になっていたやもしれない。まあ、描写がないだけで実は既に中に入っていました、なんて小説では良くある話だから、今回もそうだろうななどと思ったのであれば、それは大きな間違いだ。

 残念ながら、描写がないということは何もしていないのだ。

 合宿所に入ると、暗黒がぼく達を出迎えた。当然と言えば当然だけれど、ブレーカーが入っていないのだから、電灯もついている訳もない。

 ブレーカーを入れると、電気がつく。

 どうやらスイッチは最初からオンになっていたようで——合宿所の全容が明らかになる。

 玄関を入ると、その先にあるのはフローリングのキッチンだ。扉が三つ、一つは引き戸で、あとは普通の扉。磨りガラスになっているのが一つあるが、それはシャワールームだろうか? となるともう一つはトイレか。ビジネスホテルに良くあるトイレと浴室が一つに纏まっているタイプではないようで良かった——一学園の合宿所でそんなレイアウトが見ることが出来たら、それはそれで困るけれどね。

 引き戸の向こうは、大方寝室だろう。合宿所は外から見た限りでは、そんなに広くはない。きっとこの人数でも若干手狭に感じることもあるだろう。

 取り敢えず、ぼくは呟く。

 或いは、提案をする。


「……夕飯を、どうしようか?」



 ◇◇◇



 合宿といえば、食事を作ることと相場は決まっている——のかもしれない。

 けれども、ぼくは料理が苦手だ。母親は料理が得意だからか、ぼくに包丁さえ触らせなかった。男はキッチンに立つべきではない、なんて考えはあまりにも旧世代的と言って差し支えないだろう。だから、ぼくも料理を作るべきと考えていたけれど……。


「……やっぱり、合宿の食事と言えば、カレーかねえ」


 何故か、買い物係を任されてしまったぼくと和紗は、駅前のスーパーに居た。

 何を食べたいかリクエストは聞いているけれど、正直作れるかどうか分からない代物だらけだ。……これが有栖川学園の普通なのだろうか? だとすれば、辟易する。


「……まあ、流石にフォアグラやトリュフ、キャビアが出てきた時は驚いたけれどね。幾らお嬢様だからって、常識ぐらいは身につけておいてほしいものだけれど……」

「そういう和紗だって、お嬢様じゃないのか?」

「何処をどう見てそう判断したのかは、聞かないでおくよ」


 和紗は失笑し、


「わたしは、一応常識は身につけているつもりだよ。姉を反面教師として育ったからね」


 姉って、怪盗同好会に所属していたっていうあの?


「それ以外に何があると? ……まあ、良いけれど。わたしだって、別にお嬢様として育ちたかった訳じゃないよ。こういうと、色々と言われるのだけれど……。わたしだって、普通に育ちたかったからね。普通に、憧れていたんだよ」


 普通——ね。そう言われても、困るのは困るのだけれど。

 普通という概念は、人によって違うだろうし。

 ぼくにとっての普通と和紗にとっての普通は、イコールではないだろう?


「イコールではないかもしれないね」


 そう言って、和紗は鶏肉のパックをカゴに入れた。

 カゴに入っているのは、人参とジャガイモ、玉葱と鶏肉……これにカレールーが入ればカレーだし、シチュールーが入ればシチューだし、醤油とみりんが入れば肉じゃがになるな。鶏肉の肉じゃがは、あんまり主流ではないかもしれないけれど。

 はてさて、いったい何を作るのだろう?

 料理をするつもりもないし、きっと任せられることもないだろうから、少し気になってしまうのだ。

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