コインランドリーシンドローム

ろくろわ

ランドリーラプソディー

 朝から降っていた雨はより一層その勢いを増し、ザァザァと地面を打ちつける音がコインランドリーの中まで聞こえていた。


 私は回り終わった乾燥機からまだ暖かいバスタオルを取り出すと濡れた髪をぬぐった後に体に巻き付けた。そのまま洗濯機に濡れた服を投げ込み百円玉を入れようと財布を探した所で、私は財布も携帯も部屋に置き忘れてきた事に気が付いた。

 しまったなぁと心の中で後悔している最中、もしもの時の為にと必死になって貯めた千円札を右の靴の中敷きの下に隠していた事を思い出した。濡れた靴を脱ぐと雨にふやけた足の指が年老いた足に見える。それを見えないフリをして中敷きの下に隠した千円札に意識を向け、ちゃんとそこにある事を確認し私は安堵した。

 私は濡れた千円札を伸ばすと、備え付けの両替機にゆっくりと差し込んだ。何度か読み取らなかった千円札も四回目にしてカンカンカンと一枚ずつ硬貨に変わり受け皿の上に落ちてきた。その音を一つずつ数え、私は確かに十枚の硬貨に変わったことを確認した。今は百円だって無駄に出来ない。硬貨に変わった千円を握り締め、洗濯機の投入口に百円を入れた。


『カタン』と乾いた音が響く。


「あれ?」


 思わず声に出してしまった。

 もう一度出てきた百円を掴み投入口に落とすが再び『カタン』と乾いた音が響き百円玉が返ってきた。

 どうにも受け入れが悪い。仕方がないので濡れた洗濯物を取り出し隣の洗濯機に入れ替え再度百円を投入した。

『ガコン』と今度は鈍い音ともに水が流れ、洗濯機が動き出す音が聞こえた。


 ようやく一段落つくことが出来、私はゆっくりとパイプ椅子に座り辺りを見渡した。


 最近のコインランドリーは凄くお洒落になっている事を私は随分と遅れて知った。

 本屋やカフェと併設されていて、衣類を乾かしながら空いている時間を有意義に過ごせるそうだ。

 まぁ私には無縁のものであったが。


 確かにお洒落なコインランドリーも良いが、私はやっぱり此処みたいな昔ながらのコインランドリーが落ち着く。

 少し暗い部屋の中に古い洗濯機が二つ程並び、小型の乾燥機が三つ。大型の乾燥機が三つ。部屋の真ん中には小さな机があり、誰の物とも分からない青年雑誌と背もたれの無いベンチが向かい合わせに置いてあり、統一性もクッション性も無いパイプ椅子が幾つかある。隅のほうにはかごが置かれており、相方を失くした靴下やキャラクターの描かれたハンカチなどが寂しげに入れられている。

 そんな此処みたいな場所が好きだ。


 六台ある乾燥機の内、五台は使用されておらず小型の乾燥機は既に仕事を追え取り出されるのを待っている。

 部屋の中は洗濯機の回る音と降り注ぐ雨の音。そして近くを通る救急車と沢山のパトカーのサイレンが聞こえ、うるさくて静かだ。

 私はパイプ椅子の上で膝を抱え、三角座りしながら瞳を閉じ一人の音に溺れていた。


 そうしてずっと続くように思えた時間は、コインランドリーのドアを開ける音ともに直ぐ終わりを告げた。


 目蓋を開き、音のするコインランドリーの入口を見ると、雨に濡れた若いスーツ姿の男がシャツを脱ぎながら入ってくる姿が見えた。

 最初、男は私の事に気が付いていなかったようだった。シャツを脱ぎさり上半身裸となった時にようやく私に気付き酷く驚いていた。


「あっ、いやこれは雨に濡れてしまって。それでちょっと乾かそうと思ってね。ちょっと見苦しいものをお見せしましたね」


 男が早口に私に話しかけてきた。


「いえ、お構い無く。それよりもその洗濯機お金が入らないですよ?」


 と私は先程入金の出来なかった洗濯機を指差し。使おうとしている男にそう告げた。


「あぁ、それなら大丈夫ですよ。この洗濯機はちょっとコツがあってね」


 そう言いながら男は百円を投入すると同時に洗濯機を少し揺らした。『ガコン』と鈍い音ともに洗濯機は動き出し、男は私を見ながら「ねっ」と微笑みかけてきた。


「しかしすごい雨ですよね~」

「はぁ~、まぁ」

「実は営業の外回りでこの辺りに初めて来たんですが、いやぁこの雨参りましたよー」

「………そりゃあ大変でしたね」


 当たり障りの無い返答をしながら良く喋る男だと私は思った。初対面のわりに何だか敢えて自分から話題を作り話しているような、そんな印象を受けた。


「この雨も、もう少ししたら止むみたいですよ」

「………そうなんですかぁ」

「そうなんですよ。あっ、そうだ少し話をしませんか?洗濯乾燥が終わるまで此処にいるんですし。後ラジオも流しても良いですか?それと紹介がまだでした。大塚おおつかって言います」


 私は「どうも」とだけ答え視線を男へと向けた。あまり関わりたくは無いな、と思ったちょうどその時だった。

 大塚と名乗るその男のスマホアプリのラジオからニュースが流れてきた。


(通り魔事件の続報です。春日井町の住宅街で起きた通り魔事件の犯人は、被害者の男性に斬りかかる際、被害男性に抵抗され自身も負傷しているとの事です。現場からは遠ざかるように血痕が続いていましたが、この雨で流れて今は見えなくなっています。また犯人は現在も逃走を続けており付近に潜伏している可能性が高いとの事です。以上、現場の大沢おおさわがお伝えしました)


 ラジオの音が途切れた一瞬の静寂の後、大塚は私の向かいの席に座り、ジィーと私の事を見てきた。

 近くで雨の音に紛れたパトカーのサイレンがまだ聞こえている。

 静寂が訪れていた部屋で、ふと大塚が話しかけてきた。


「あのぅ、実は最初から気になっていたのですが」

「………何ですか」

「あなたはどうしてバスタオルにくるまっているのですか?と言うかなぜ下着姿なのですか?服はどうしたんですか?」


 私は静かに今しがた止まった洗濯機を指差した。


「あぁ成る程、そうでしたか。私と同じように洗濯されていたんですね」


 私は何も答えず止まった洗濯機から服を取り出すと乾燥機に入れ二百円を投入した。

 ゴーウン、ゴーウンとドラムの回る音がし乾燥機のタイマーは残り二十分と表示された。


「春日井町ってこのすぐ近くですよね。静かでいい街なのに通り魔って怖いですねぇ」

「………」

「いやぁ、いったい何があったんでしょうねぇ」


 大塚は私が答えない事を気にする様子もなく話を続けてきた。


「………そうですね。さっき救急車の音も聞こえていたので、もしかしたら事件それなのかもしれませんね」

「あぁ、そう言えば今もサイレンが聞こえますもんね。ところで、どうしてあなたの靴は左右で種類が違うんですか?」


 大塚に指摘され初めて自分の靴の左右が違うことに気が付いた。


「これは急いで家を出たからですよ。携帯も財布も全部置いてきちゃって」


 大塚は何も答えず私を見てくる。


「それともう一つ。いや二ついいですか?」

「………何でしょう」

「一つ目にそのバスタオルはあなたのものでしょうか?財布を忘れる程急いで飛び出してきたのにバスタオルだけ持ってくるとは考えにくいんだけど」


 大塚の質問に喉の奥が乾燥しキュッとなる感覚がした。確かにこのバスタオルは私のものではない。

 大塚はそんな私の答えを待たずにもう一つの質問を投げ掛けてきた。


「それとその新しく見える腕の怪我はいったいどうしたんですか?それどころか、良く見ると他にも擦り傷や内出血の痕が見えるけど、それはどうして出来たのかな?」


 大塚の何かを探るような言葉に私はやはり何も答えず、身体が見えないようにバスタオルを深く巻き直した。



 心なしか耳元でパトカーのサイレンの音が大きく聞こえた気がした。




 続く




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