第3話 ウルクの存亡をかけたシロクズシ駆除作戦から3か月の時が過ぎた。
――アイリス・オスカー
ウルクの存亡をかけたシロクズシ駆除作戦から3か月の時が過ぎた。
北海道の長い冬もようやく終わりが見え始め、私が死ぬ思いで歩き回った天原家の裏山も少しずつ雪が解け始めている。
この3か月の間に、ニビルと地球の関係は少しだけ変わった。
認めたくないが、その原因となったのは私がシロクズシを倒すためにウルクと日本の両政府に無茶な要求をし続けたせいだ。
シロクズシは、ウルクという国の軍事力を総動員し、それに加えて日本政府の援助が無ければ倒せない強大なマモノだった。
持てる全ての力を集めなければウルクが滅びる。
そう思った私達は、シロクズシを駆除するために、ウルクと日本政府の両国から協力を取り付けるため二つの国の間を奔走したのは今となっては懐かしい思い出だ。
不幸中の幸いというのはこういうことを言うのだろう。
私達が両国政府に協力を取り付けたことで、ニビルにあるウルク、地球にある日本は、互いの存在を知り両国は国交を結ぶことになった。
とはいうものの、今はまだウルクに日本の大使館を置くような大掛かりな外交活動は行っていない。
地球とニビル、二つの異なる世界にある国が国交を結ぶのは言語や環境面のハードルが高すぎるのだ。
まずは言葉。
ウルク語と日本語の両方を知り意思疎通を行える人間は、両国の間を見渡しても私達、元ニビル調査隊のメンバーしかいない。
立場上、私達がウルクと日本の外交について全てを取り仕切るわけにはいかないので、外務省の人達にウルク語を話せる人物を増やし外交に関わる仕事は引き継がなければならない。
次に環境面。
戦う力を持たない外交官にとって、ゲートから北の森を抜けてウルクまで行くのはマモノや野生動物に襲われて命を落とす可能性が非常に高い。
外交官がウルクに行くためには現状では衛達の護衛が必須となるが、国として外交を継続的に行うならウルクへの行き来を護衛する人物も別に選ぶ必要が出てくるだろう。
逆にウルク側にも問題がある。
ウルクは、公務員と呼べる人達が国家元首であるガーディアン・ミ・カミと、ハンター協会、警察協会、会計協会という3つの役所の職員しか存在しない内向の国家体制で、日本とウルクの架け橋となる外交官がウルク側に存在しないのだ。
そもそも、ニビルは都市国家間を又にかけて移動するのは交易商人くらいで、国家間で条約を結ぶという概念も存在しない世界なので、仕方ないことだと思う。
ニビルは文明レベルの高さに比べて、文化的な成熟度が古代オリエント並みにしか成長していないのだ。
これは、私の希望だが今後ウルクが地球の他の国家と交流を持つことも想定して、まずは日本人がウルクの人々に外交とはなんなのかを一から教えて欲しいと思う。
そんな感じでウルクと日本が正式に国交を結ぶのは問題が山積みなこともあり、両国の間で実際に行われている交流施策の一つ目は、日本とウルクの特産品のうち、売買しても問題なさそうな品物を交換する小規模な貿易を行うこと。
ただし、日本政府はシロクズシ駆除作戦を行った際に作戦に必要な食料とナパーム弾を大量に援助したことに対する見返りとして、ウルクから魔導具を5個贈呈されたので、日本政府の政治家や官僚は大きな見返りを得たとニコニコ顔をしているだろう。
そして両国の交流施策の二つ目が、選抜された交換留学生兼語学教師を両国に派遣することだ。
ウルク側から派遣されて来たのは、恵子の友人であるミ・ミカ、ハ・マナ、ハ・ルオの3人で、彼女達にはゲートに近い天原家に住んでもらい、私や恵子が日本語を教えるのと同時に、週に1度リモートで、東京にいる外交官達にウルク語の読み書き教える先生をやってもらっている。
ちなみに、日本からウルクに行ったのはニビル調査隊に途中参加した伊藤広志さんだ。
彼はたった一人でウルクに行き、ハンター協会の仕事を手伝いながら未来の外交官達に日本語を教える日々を送っているらしい。
実をいうと、一人で知り合いのいないウルクに放り出すのは余りに気の毒だと思って交換留学が始まった当初は頻繁に様子を見に行っていたのだが、ハンターギルドの仕事をハツラツとした表情で手伝い、深夜残業が無くなったので体重が増えましたと笑顔で話す彼の様子を見て、そのタフさに舌を巻いたのを覚えている。
彼がウルクで外交官を育て上げれば、両国の外交は軌道に乗り私達の手を離れて正式な国交を結ぶ日が来るだろう。
その時が、ウルクが地球の国際社会にデビューする日であり、地球人がニビルの存在を知る日になる。
ここまで話したのが、地球とニビルの間で起こったおおむね良いことだ。
ただし、良いことも起これば悪いことも起こるのが世の常だ。
「ミス・アイリス。君の上司としてこんなことを言うのは大変申し訳ないんだが、君はしばらく日本に止まった方がいい」
ニビル調査隊が解散となった2か月前、私は自分が所属するHSS(アメリカ合衆国保健福祉省)の局長から、そんな忠告を受けることになった。
「日本の生活はとても楽しいので私個人としてはなにも不都合はないですが、理由を教えてもらってもいいですか?」
「理由は天原君たちの庇護を離れたら、CIAがミス・アイリスを拉致する可能性があるからだ」
CIA(中央情報局)は映画にもよく登場する、アメリカが誇る世界最大の諜報機関だ。
合法、非合法を問わずアメリカの国益を守るための諜報活動、政治工作を行うので黒い噂の絶えない組織だが、アメリカ国内で国家公務員を拉致するなんて狂気の沙汰としか思えない。
「なんでCIAが私を狙うんですか? 私がニビル調査隊に参加したときに、神に誓ってどんな不正も犯罪行為もやっていないと断言できますが」
「当たり前だッ! ニビル調査隊の一員として君は素晴らしい仕事をやり遂げた。強大なマモノであるシロクズシを倒し、ウルクという国家を救い、そこに住んでいる30万人の民間人の命と生活を守った。ミス・アイリスの活躍は、ハリウッド映画の題材になってもおかしくない英雄的なものだ」
局長は私の活躍を褒めたたえながら、悔しそうに唇を噛んでいる。
「君の活躍に対してはホワイトハウスも好意的だ。しかし、ミス・アイリスはもっとアメリカの国益を考えて行動すべきだった、と非難する声も一部にあってね」
「おおかた、CIAやペンタゴンといった軍事関係者が文句を言ってるんですね」
私は外務省の伊藤さんが撮影していたニビルのマモノハンターがシロクズシと戦う姿を収めた映像をアメリカ政府に報告書と共に送り付けた。
アメリカ軍が軽々しくニビルに軍事侵攻しないよう警告するための措置だったが、どうやら薬が効きすぎてしまったらしい。
「そうだ、ペンタゴンもCIAもニビルのマモノハンターの実力に大きな脅威を感じたそうだ。私も全ての兵士が恐ろしい戦闘力を持っていると思ったよ。正直言って……」
「デルタフォース一個大隊が、シロクズシ討伐隊と戦ったら間違いなく負けるでしょうね」
シロクズシ討伐隊に参加した中堅以上のマモノハンターは、全員が肉体強化魔法を使って人間の限界を超えたスピードとパワー発揮し、自然魔法を使えば装甲車くらいは撃破可能な攻撃力を持っている。
一部ではなく150人全員がだ。
彼らは超人的な力を持つスーパーヒーロー軍団。
軍人としての練度なんて関係なく、彼らは根本的に歩兵が勝てる相手ではない。
「ペンタゴンがそれ以上にショックを受けたのは、シロクズシにトドメを刺すときに使用された巨大な青い炎の方らしい」
「恵子がシロクズシにトドメを刺すときに使った最大出力のカエングルマですね。あれは、目の前で見ていた私もビックリしました」
恵子はマジンなので魔導具を使うマモノハンターと一線を画する強力な魔法を使えることは知っていたが、あの最大出力は思わず言葉を失うほどの圧倒的破壊力の一撃だった。
「ミス・アイリス。いったいあの青い炎はなんなんだ? 核とまではいかないが、アメリカ軍でもあれだけの破壊力を有する兵器はサーモバリック弾しかないぞ。ウルクではサーモバリック弾を実用化しているのかね?」
「サーモバリック弾があるなら実弾の写真を送ってますよ。あれは、私が一緒に暮らしているミス・恵子が火の魔法を最大出力で放っただけです」
サーモバリック弾とは、可燃性のガスと粉末を数百メート渡って散布してから着火することで可燃物が散布された広範囲を一度に焼き払う爆弾のことだ。
爆発は強力な衝撃波と3000度近い熱風を伴うため、核兵器を除けば最大の破壊力を持つ兵器だと言われている。
「ジーザスッ! 火の魔法を最大出力で放っただけ……では、ミス・恵子はあの青い炎を何度も放てるというのか?」
「彼女から聞いた話によると、魔法を最大出力で放つと再度戦闘できる状態に回復するために、約10000カロリーのエネルギー摂取と、30分程の休憩が必要だそうです。一度使ってしまうと後がなくなるので、マモノとの戦いでは確実に殺せる状況でなければ使わないと言っていました」
私の知っているマモノハンターは、みんな常に逃げるための余力を残して最小の魔力消費でマモノを倒す堅実な戦い方を好むので、あんな一撃必殺の大魔法を使うことは滅多にない。
「わかった。今回の報告書にはミス・恵子の最大火力と、その使用条件についても記載しておいてくれ。ペンタゴンやCIAに虚偽報告をするわけにいかんからな」
「そうしてください。その方が軍事的抑止力になりますから」
「正直、私は脅し過ぎだと思うがねえ」
恵子はマモノとの戦いではあまり役に立たないと言っていた、最大出力の魔法だが人間相手の戦争で使うなら話は別だ。
10000カロリーの食料と、30分のインターバルがあれば何回でも使用可能なサーモバリック弾。
それは核兵器に次ぐ、人類史で2番目に強力な大量破壊兵器だ。
恵子は想像もしていないと思うが、もし彼女がアメリカと戦うことになったらアメリカ陸軍は全戦力を恵子に焼き払われることになるだろう。
「やっぱりミス・アイリス、君はアメリカに帰国しない方がいい。私は君が提出したニビルに関する報告書を、私はホワイトハウス、国務省、ペンタゴン、CIAに共有しなければならない。そうすれば、ペンタゴンとCIAはミス・恵子に大きな恐怖を覚え、手段を選ばず彼女を抑え込む方法を考えるだろう」
私は思わずため息を吐いた。
アメリカ人は、アメリカよりも強い存在、アメリカを脅かす可能性のある存在を過剰に恐れる。
そういうところは間違いなくアメリカ人の悪癖だと思う。
「恵子は家族と友人を大切にする普通の女の子なんだから、アメリカ側が手を出さなければ襲われる心配なんてないのに」
「一緒に住んでる君はミス・恵子が安全だと信じられるかもしれないが、他の人間、特にアメリカの軍関係者はそう思わない。ペンタゴンやCIA奴らは、アメリカが世界の覇権を握っているのは軍事力の優位性という後ろ盾があるからだと信じて疑わないんだ。だから、自分達よりも強い存在が地球上に存在することが怖くて仕方ない」
「そう考えると、アメリカの軍人ってバカばっかりですね」
例え私を人質にして恵子を抑え込んだとしても、中島由香とカゲトラという恵子と同レベルのマジンを敵に回すことになるし、衛も訓練によって日々力を増している。
どう転んでも、強硬手段に訴えた時点で彼らの敗北は決定するのだ。
しかし、私だって命が惜しいし、CIAやペンタゴンのエージェントがケイコ達に敗北して破滅する姿を見たいわけでもない。
「わかりました。ペンタゴンやCIAが、強硬手段に訴えるような愚か者じゃないと信じますが、念のため私はしばらくオントネーに留まります」
「サンクス。ミス・アイリス」
こうして、ニビル調査隊の活動で暴れすぎてしまった私は、身の安全を守るためにオントネーに留まることになった。
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